第15話 贈り物
境界の地に夏がやって来た。それでも人間の世界に比べれば格段に涼しく、ジルネフィは薄手ながら長袖のローブを羽織っている。
(いよいよだ)
三日後、スティアニーの成人の儀式を行う。同時に新米魔術師としても歩み始める弟子のためにとジルネフィは贈り物を用意していた。
一つは魔術師の証となる銀の指輪で、スティアニーの瞳と同じ色のアメジストをあしらっている。もちろんただの宝石ではなく、ジルネフィが手ずから調整した魔力を含む特別なものだ。二つ目はジルネフィと色違いの魔術師専用のローブで、「これを着たスティはどれだけ愛らしいだろう」と想像するだけで頬が緩む。
ほかにも魔術師が好む首飾りや魔獣の毛で編んだ銀色の髪紐、それに魔術師が使う基本的な道具も用意した。ほとんどはジルネフィが長年愛用してきたもので、愛弟子への贈り物にしては数が多い。
ふと、人間の世界で聞いた「花嫁の父」という言葉を思い出した。人間は嫁入りする子に様々な道具を持たせるらしく、まさにいまジルネフィがしているようなことをするのだという。
(いや、スティの嫁ぎ先はわたしになるのだから花嫁の父というのはおかしいか)
道具を見るプレイオブカラーの瞳がクルクルと色を変える。口元には笑みが浮かび、道具を撫でる指先も心なしか弾んでいた。
成人の儀式の日、スティアニーは魔術師になるのと同時にジルネフィの花嫁になる。これはスティアニー本人が望んだことだ。
(それにしても、まさかスティのほうから婚姻の話をするとは思わなかったな)
ジルネフィのほうから話しをする予定だった。まずは成人の儀式の説明をし、それから魔術師として今後どうするかの話をする。そうして最後に婚姻について話すつもりでいた。
(一緒にいるためには婚姻が一番だと丁寧に説明するつもりだったんだけど)
ところが説明を始める前にスティアニーから「お師さま、僕のお願いを聞いてもらえますか?」と言ってきた。
やや緊張したような表情を見つめながら「何でも言ってごらん」と促した。願い事を口にすることなど滅多にない弟子に「珍しいな」と思いながら待っていると、段々と目元が赤くなっていく。
「スティ?」
「僕、お師さまと……ジルさまと結婚したいです」
「結婚?」
「あの、人間はずっとそばにいたい人と結婚するのだと本で読みました。昨日、帰り道で見かけたのがそれなんですけど」
言われて、ジルネフィは「あぁ、あれか」と花が舞っていた光景を思い出した。人間の世界での帰り道、たまたま古い教会の前を通った。そのとき結婚式なるものをしていたのを見かけた。
「スティはああいうことがしたい?」
「え!? あ、そうじゃなくて、儀式はしなくていいんです。ただ、人間みたいに結婚したいというか……あの、魔族には結婚というのはないんですか?」
「魔族にもあるよ。儀式を行うかは種族によって違うけど、婚姻を結ぶ魔族は多い。中には魔獣と婚姻する魔族もいるくらいだ」
「魔獣と……」
途端にスティアニーの体がブルッと震えた。それに笑みを浮かべつつ菫色の瞳を見つめる。するとスティアニーがいつになく真剣な表情でジルネフィを見つめ返した。
「ジルさま、僕と結婚してください」
はっきりとそう言葉にした。難しい調合に挑むかのような表情が微笑ましい。
(花嫁に婚姻を申し込まれるのも悪くないな)
自ら腕に堕ちてくるスティアニーに悦びを感じながら、ジルネフィは「喜んで」と答えた。
(あとは夜のことだけど……まぁ、そこはわたしが手ほどきするのだから問題ないか)
あれこれ考えながら贈り物を箱に仕舞ったところで玄関が開く音が聞こえた。作業部屋から出ると、手にバスケットを持ったスティアニーが柔らかな外行きの靴を脱いでいるのが見える。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
元気のいい返事に微笑みながら「お茶にしようか」とバスケットを受け取った。「はい」とこれまた元気に返事をした弟子がキッチンに向かうのを見送ってから、プレイオブカラーの瞳をバスケットに向ける。
(さて、何が入っているのやら)
バスケットからは精霊の魔力をほのかに感じる。にやりと笑う精霊王の顔を思い浮かべながら居間に行くと、すぐに茶器やお茶菓子を載せたトレーを持ってスティアニーが入ってきた。
「メルディアナは元気だった?」
「はい、とてもお元気そうでしたよ」
昼過ぎに家を出たスティアニーが向かったのは精霊の庭だった。精霊王からの「祝いの品を渡したい」という言づてを風精霊が持って来たのは昨日の夕方で、「保護者は来なくてよい」というひと言が添えられていたため一人で行かせることにした。
スティアニー一人で来いという言外の内容から「ろくでもないものじゃないだろうな」とジルネフィは想像した。スティアニーに害が及ぶものを渡したりはしないだろうが、夜の営みに関する何かしらを渡したに違いない。
(真っさらなスティに手ほどきするのはわたしだというのに)
やや不快に思いながらも表情には出さずスティアニーに話しかける。
「メルディアナからの祝いの品は何だった?」
「ええと、華茶とか蜜茶とかいただきました。それから……この小瓶もいただきました」
そう言ってバスケットから取り出したのは美しいコバルトブルーの小瓶だった。瓶が揺れると銀色の小さな粒が現れ、まるで小さな花火のようにパチパチと弾けて光る。そうして細かくなった銀の粒が少しずつ瓶底に積もり、まるで青い海に降り注ぐ銀月の光のような様子を見せた。
「お師さまの髪のように美しい銀色ですよね」
スティアニーが「ほぅ」とため息をつく。
「これは精霊の涙だね」
精霊が涙をこぼすことはほとんどない。精霊に実体がないからだが、稀に魔力がにじみ出ることがあった。瓶に詰められているのは花精霊の庭に棲む精霊たちから集めたものだろう。
「持つ者に愛と幸運をもたらすと言われている、とても縁起のよいものだよ」
「大事にしなさい」と言うと、スティアニーがうれしそうに「はい」と頷いた。それから「ほかにもいろいろいただきました」とバスケットの中身をテーブルに並べ始める。それを見ていたジルネフィの眉が少しずつ寄っていく。
「お師さま?」
「あぁ、うん」
どうしてそんな表情をするのかスティアニーは気になった。チラチラと師の顔を見ながら七つの瓶を並べ、何を言われるのだろうかとじっとジルネフィを見ている。
(なるほど、そうきたか)
瓶の中身は魔族の嗜好品でもあるハーブティーの茶葉だ。ただし半分は催淫効果が高い茶葉で、残り半分も人間であるスティアニーが口にすれば体を火照らせることだろう。
「もしかして、よくないものですか?」
不安そうな弟子に「大丈夫だよ」と返事をする。毒ではないという意味では大丈夫だが、夜の営みという点ではどうだろうか。
(メルディアナらしいといえばらしいけど)
ため息をつきながらも、内心「これを飲んだスティはどうなるだろうか」と考えた。これまで催淫薬といったものに興味がなかったため使ったことはないが、相手がスティアニーだと思うと興味がわいてくる。
(なるほど、父上もこんな気持ちなのか)
魔族の王ですらそうなのだから自分がそう思ってもおかしくはない。ジルネフィは「少し先のお楽しみにするかな」と瓶の中身を眺めながら微笑んだ。
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