6 追憶

「うう、腹痛て。ここはどこだ……?」

 ミツヤが気付いた。

「なんか頭が朦朧もうろうとするな……」


 両手と両足がそれぞれ別の鎖で石の壁に繋がれていた。10メートル四方の部屋で、全て石で出来た小さな建造物の中のようだ。

 冷たい石の感触が尻や膝から伝わってきた。


「今、何時頃だろう?」


 あかりはブラケットの蝋燭ろうそくの火が何ヶ所かあり、入り口は一つだけ。

 鉄製の頑丈な扉の前には篝火かがりびが一際大きく炎をあげている。

 ふと、扉の反対側の壁を見て驚いた。

 壁の中央辺りに直径一メートル程の丸い円が見える。

 そこだけ、まるで透明なフィルム越しに向こうの景色がゆらゆらと揺らいでいるように見えた。


「これは……何だ?!」

 感じた事のない恐怖がミツヤを襲っていた。

 得体の知れない何かが出てきそうな、そんな気がしてならなかった。

(いや、ちょっと待てよ……。これ前に見た事が……)


 その時、重たい鉄の扉の方からガチャガチャと金属同志のこすれる音が聞こえた。

 誰かが鍵を開けたようだ。

 紺色のマントをひるがえして男が入って来た。

 ドアの向こうから陽の光が入る。陽光に目を細めつつ顔の前に手をもっていった。

 どうやら今は昼間のようだ。


「やぁ、気付いたかな?」

 入り口からミツヤのしゃがんだ足元まで影が伸びていた。男は既に何かに勝利したかのような笑みを浮かべている。

「トージ!」

 ミツヤは瞬時に雷のドナムを溜めようと両手をかざしたが、全く体にそのチカラが湧かない。


「ミツヤ君。『青い疾風ブルーゲイル』の戦闘要員として大活躍しているようだね。今は君のドナムは発動出来ないよう、両手両足首に銀製の手錠を取付けてるから無理しないことだ」

(銀だと……?)

 今のミツヤには睨みつけるのが積の山だった。


「最近我々の調査で解ったんだよ。イントルーダーの特殊なドナムは銀のチカラで抑制出来るとね」

 トージは元々細い目を更に細めて薄笑いをした。


「君のとこの斬り込み隊長のヒース君は元気にしてるかな? そうだ、うちの第二隊の隊長から深手を負わせたと連絡があったが」

 ミツヤの顔色が変わったのに気付いたトージは早速本題に入った。


「まぁ恐らく死んではいまい。ジャックは急所は外したって言ってたからね。まだ彼には用があるんだよ、赤い柄の刀、頂かないとね。あそこで殺して奪ってもよかったんだが、いずれ必ず君を助けにここへやって来るだろう。その時頂戴すればいい」


「僕を囮にヒースを!?」

「まぁまぁ、そんな顔するもんじゃないよ。実は私は君を元いた世界に戻してあげようと思ってね」

「元いた世界? なんだと? か、帰れるって言うのか……?」

「そうだよ、今その壁に見えているだろう? 揺らいでいる穴……そこから我々は来たんだ。忘れていても不思議ではないだろう。この石壁の部屋を造ったのは二年程前だからね。それ以前にこの異世界へ繋がる穴を通った者は、君と同様に穴がどこにあったかも、もはや分からなくなっているはずだ」


 トージは近場にあったこじんまりとした椅子に目をやり、ミツヤを繋いでいる鎖の長さギリギリのところまで引きずって移動した。

 背もたれを正面にしてまたがるように座ると椅子の背に肘をつき、ミツヤの顔をじっと見て笑った。

 どこか余裕のある、不気味な笑みだった。


(ちょっと待てよ。何言ってんだ、こいつ。この穴から来たのがイントルーダーだと……?)


「それが本当なら、お前は……こ、この穴を隠して管理してたっていうのか?」


「隠したとはまた人聞きの悪い。まぁ、私も気付いたのは二年前だ。この穴を放っておくとどうなるか判らないだろ? 君もよく知ってのとおり、元の世界から最近こちらの異世界へ次々とやって来ている。しかも訳の分からないドナムをもったやからは集団でこの世界を翻弄ほんろうしていく……。護衛隊としてはそれを見過ごす訳にはいかないと考えたのだよ。私は当然のことをしているまででね。とはいえ」


 トージは首を前に突き出し、ミツヤの目をジッと見て言った。


「帰りたい者がほとんどだ。帰りたいと願う者を元の世界に戻してやる、これは護衛隊がやるべき人助けではないかね?」

 それを聞いてミツヤはゴクリと唾を飲み込んだ。


「君、名前からして日本人だろう? 奇遇だね、私もだよ……私は柳田 東司やなぎだ とうじ、日本人だ」


(なんだって……!?)


「年齢的に、高校生ではないのかね? 家族も心配していることだろうねぇ。クラスの友達はどうしているかな? 帰ったらみんな喜ぶだろうね」


 トージは自分が日本人である事を上手く利用し、言葉巧みにミツヤの郷愁きょうしゅうを誘った。


 途端、ミツヤの脳裏には家族や友達など、懐かしい面々が浮かぶ。

 トージはそれを見計らって一旦出ることにし、部屋の扉を開けて一言付け加えた。


「慌てなくてもいいよ。ゆっくり考えることだ。決断した頃合いを見てまた来る」

 外の陽光が扉の隙間から滑り込み、振り返ったトージの不気味な薄笑いが照らされた。


(ミツヤ君。君のような素晴らしい能力を持ったイントルーダーが、再びここへ戻ってきた時が非常に楽しみだよ……恐らく故郷へ帰ってしまえば、ヒースとの繋がりを断ち切れず、必ずこの異世界へ戻ってくるだろうからね。それでも日本へ帰らないなら、無理矢理穴に入れてもいいが……それも面倒だな。その時は、死んでもらおうか)


 鉄の扉が重厚な音を立てて閉じた後も、ミツヤは震えながら考えていた。


 この世界に来てこの二年間、まさか戻れるとは思ったこともなく、そもそも本当に異世界かどうかも確信はなかった。

 自分があの雷雨の日からどうなったかすら思い出せない。

 ただ、戻れると言われた瞬間から、元の世界のことが一気に噴き出してきた。


 思い出すと辛くなるからと、今までずっと過去にふたをしていた栓が開けられてしまった。

(ちきしょう……! この間、八神やがみさんに会って以来胸が痛くなるから考えないようにしてたってのに)

 ミツヤは元いた世界で、行き詰まる思いを胸にしまい込み、ひたすら逃げて暮らしていた。

 流れ込んできた過去はもう、止まらなかった――――。



「ミツヤ、遅刻するよ、まさか今日も行かないの?」

 朝、ミツヤの部屋に母親が入ってきた。

「……」

 ベッドから起きない。

「高校始まったばっかりでどうするんよ。授業も遅れてしまうじゃん」

「今日は休むけ」

「……じゃぁ、母さん仕事があるから、自分でホームページから欠席届出しんちゃいよ」


 前向きな他の同級生が何となく鬱陶うっとおしかった。

 何がどうという説明はつかないが、全てが嫌でたまらなかった。


「兄ちゃん、今日も行かんて?」

 弟もあまり触れないようにしてはいるが、心配のようだった。

「あんたはいいから、はよう学校行ってきんさい」

「ミツヤ、中学時代は成績も学校内どころか県内でもトップだったのに、勿体ないな」

 父親も同様に心配していた。


 ミツヤは高校に入学してひと月した頃から、なぜか学校を休みがちになっていた。


 初めての中間試験は全て欠席した。


 そんな自分が嫌で学校の帰り道、塾もすっぽかし、家に帰る気も失せて電車を降りず、そのまま県北まで行ったが最終便を逃してしまい不本意ながら深夜、電話で親に迎えに来てもらったこともあった。


 それでもバレー部に入部し、その才能を発揮すると一年生であるにもかかわらず、異例の二か月という短期間でエースに抜擢された。


「今日は試合だけどウザいから絶対見に来んでよ!」

「はいはい」

 そう言いながら母親は、いつもサングラスをかけて、こっそりエースナンバーの息子の勇姿を見に行っていた。


「ほら久留生くりゅう君のお母さん、こっちこっち……! サングラスなんか余計目立つし意味ないから、よく見えるとこおいで」


 バレー部員のママ友が誘ってくれても、母親は遠慮した。

「バレたらまたあの子に怒られるから、やめておきますー」


 腰を低くし、お辞儀して丁重にお断りすると体育館の入り口の扉に隠れてこっそり見ていた。


 そんな夏前のある日曜の夕方だった。


 公園でいつものように壁を相手にスパイクを打ち込み、中学時代の古い友人と三人でバレーボールの自主練をしていたが空は雲で覆い尽くされ、あっという間に雨が降り出した。

「すごい降ってきた、おれもう帰るけぇ」

久利生くりゅうも帰ろうや」

 いつもの二人の友人はずぶ濡れになりながら帰って行ったが、ミツヤは帰る気がしなかった。


 家の中にも自分の居場所がないような気がしたのだ。

 雨で頭から下着までずぶ濡れだ。理由は自分でもよく分からない。

 ただ何もかも嫌だったし、全てから逃げてしまいたかった。


 自分も世界も全部無くなってしまえばいいとすら思っていた。


 その時だ、雷鳴と稲光は同時だった。

 体に何が起きたか判らないまま、意識はなくなっていたようだ。

 転移したとは気付かなかった。意識が戻った時には、ボロ布をまとったような見知らぬ人が自分を覗き込んでいた。


 一人で怖かった。自分を知る人が誰もいない世界は寂しかった。

 だが自分で命を絶つ事も出来ず、ただこの見たことも聞いたこともない国や人々と、経験したことのない生活をするしかない。

 異形獣まものという恐ろしいバケモノが現れても逃げるしかない。

 そんな中、やっと貧しい村での暮らしに光を差してくれる人が出来た。


 そこをトージに村ごと消されたのだ。

 また一人でなんとかしなくてはならない。

 もう何もかもどうでもよくなってきていた。

 だからといって異形獣まものに喰われて死ぬという選択肢は無い。


 ある日、異形獣まものから逃げる際、偶然自分の体が妙な光に包まれたことを知る。

 気付けば目の前の口を開けたそれは動かなくなっていた。

 ミツヤが初めて自分のドナムに気付いた時だった。


 そして、アバロンという寂れた街の中でひっそり暮らしながら闇雲にトージを狙っていた折に、ヒースと出会った。


「ヒース、初めて会った時はマジでイラついたなぁ……。全部に前向きってカンジも。ははっ」

 そんなヒースが今や自分に明かりを灯す存在になっていたことに、彼はようやく気付いていた。


 ミツヤは穴に入るのを躊躇ちゅうちょしていた。


 一人だけ元の世界に何も言わず帰ってしまうと、ヒースに申し訳ないと感じていた。

 ミツヤの記憶の中でヒースの言葉が再生される。


 ――まずは二人からだ。ミツヤがいりゃぁ、当面やれると思うぜ。ていうか、お前がいないと出来ない――。


(あいつ、護衛隊に斬られたって……大丈夫かなぁ。僕なんかいなくてもチームには支障ないだろうな。石ちゃん、やっくん、皆どうしてるかな……。戻れるのか……もう異形獣まものや護衛隊と戦わなくていいのか。けどヒース達は突然僕が居なくなったら、なんて思うだろう)


 ミツヤの頭には、次々と今までのヒースや仲間との出会い、事件、異形獣まものとの闘いなどの場面が浮かんでは消え、ヒースや仲間の顔が浮かぶ度にどこか体が軽くなるような感覚が押し寄せてきた。


「いや違うな、僕は逃げていた。現実世界へ戻ったらヒースに申し訳ないだって……? 言い訳だ。本当は帰りたくないなんじゃないか? もう目をらすな……! 結局僕はこうやって、嫌なものから逃げてきただけだ。それをヒースのせいにするところだった」

 ぐちゃぐちゃになっていたミツヤの頭の中で、あと少しで何かのつっかえが取れて自分らしくなれそうな気がしてきていた――。


(ヒース、ジェシー、ルエンド、アラミス、六さんに八神さん……)

 皆の顔が浮かぶ。そしてそこで気付いた。


「あれ、なんで僕は拉致られた? やっぱヒースが目的なのか? けど、それなら斬った時点で僕じゃなく、ヒースを連れてくりゃいいんだ」

 声に出しても誰も聞いていないが、つい独り言が出た。


 その時だった、壁の透明な揺らぐ穴から、生ぬるい風が吹き出した。と、思うと中から人の頭が出て来たのだ。

「うわ、お……おい、だ、誰だあんた……!」

 目の前の壁の辺りにゆらゆらと揺らぐ透明な穴。


 そこからぬぅっと出てきたのは人間だった。

 その時、トージはそっと扉の隙間から様子を見ていた。


(ほーぉ。彼、やはり帰って来たじゃないか。しかもいいタイミングだねぇー)

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