死んだ金魚はトイレに捨てろ

コイル@委員長彼女③6/7に発売されます

第1話 死んだ金魚はトイレに捨てろ


 頭が燃えてるみたい。

 ちゃんと帽子をかぶっているのに、頭の上の部分が太陽で直接焼かれてるみたいに熱い。

 耳の前にタラリと汗が流れてきて、指先でふいた。


「この帽子、意味があるのかな……」


 小学校六年生の私……久米美穂(くめみほ)はそうつぶやいて帽子を一度取った。

 すると汗をかいた頭が、風に触れて気持ちが良い。

 小学校一年生の時から「必ずかぶるように」と言われ続けているこの帽子は、ぶあつくてテカテカしている。

 帽子というより、プラスチックで出来た下じきが帽子の形をしてるみたい。

 ぜんぜん空気を通さなくて、男子はこの帽子に水を入れてバケツ代わりにしていた。

 六年間かぶっているから、黒くなっていて、汚い。

 お母さんに言ったらキレイにしてくれるかな。言ってみよう。

 私はそのぶあつくて、かぶったほうが暑くなる帽子をグイグイと頭に乗せた。


「はやく、はやく!」


 つぶやきながら交差点にくると、まだ信号がピカピカしてないのに、目の前に黄色のはたが下りてきた。

 まだ渡れるのになんで? と顔を上げたら、はた持ちの人がいつもの女の人じゃなくて、もっと若い女の人で、ああ……と思う。

 この人は信号がピカピカする前にはたを降ろして、渡れなくしてしまう。

 いつものおばさんなら「はいはい、はやく渡ってね!」と言ってくれるのに。

 目の前で下ろされた黄色のはたをにらみながら「なんで今日なの? 一秒でも早く学校に行きたいのに!」と思う。


 私が通っている西小学校は、色々な当番がある。

 放送当番、はた上げ当番、あいさつ当番。

 その中でも私が一番好きなのは生き物当番だ。

 うちの小学校では、四年生から六年生は、教室で小さな生き物をかうのが許されている。

 バッタ、カタツムリ、カブトムシ、ウーパールーパー。

 色んな小さな生き物が教室の一番後ろにいる。

 その生き物の面倒を見るのが、生き物係の仕事だ。


 うちのクラスは金魚を飼っている。

 その金魚は山の上で行われる夏祭りの金魚すくいで、家が近くて仲良しの男の子、圭吾(けいご)と取ってきたものだ。

 毎年圭吾と「今年こそがんばろうね!」と金魚すくいをしてたんだけど、一度もすくえなかった。

 いつも残念賞のチュッパチャプスを食べながら「くやしいね」って話をしていた。

 でも今年は、金魚すくいが得意だという子がいてその子に教えてもらって、圭吾と二人で二匹の金魚をすくうことが出来た。

 すごくラッキー!

 取れた金魚はピンクと赤色の二匹で、私が取ったほうは大きな背びれが付いていて、すごくキレイ。

 ふたりで「わあああ!」と大さわぎしながら家に帰った。

 一緒に取ったんだし、学校で飼わない?! だって同じクラスだし! と盛り上がり、教室で飼うことを先生とクラスメイトに提案してオッケーが出たのは、一ヶ月前のこと。


 でもそんな提案、しなきゃ良かったと今は思っている。


 だって圭吾の金魚と一緒に飼いたかっただけなのに、当番にならないと餌があげられない。

 みんなが金魚に餌をあげて盛り上がってるのに、金魚を捕ってきた私と圭吾は見てるだけだった。

 そして今日、念願の生き物当番なのだ。

 みんな餌をあげるだけで、水そうの掃除をしない。水そうに緑色のコケが付いているから取りたいのに!

 まずは金魚を移動させて、水そうを掃除して……!

 やってあげたいことがたくさんある。

 それにぐうぜん! 圭吾も同じ生き物係の日で、一緒にやろうって約束した。


「やったー!」


 私は声に出して上ばきを床に投げつけて靴を下駄箱に入れた。

 そして圭吾の靴箱を見るけど、まだ上ばきが入っている。まだ来てないか。

 当然かも。だって私楽しみすぎてものすごく早くきたから!

 私はまだゴミも落ちてないキレイな階段を駆け上がって教室に向かった。

 小学校の階段は、一番下に「A」。その次に「B」というシールが貼ってある。

 ローマ字を覚えるために貼ってあるんだけど、こんなの見る人いないでしょ! と思ってたけど、今日はそれも楽しい。

 「A! B! C!」と大きな声で言いながら階段を上がった。

 そして教室に入ってランドセルを机に置いて、一番後ろにある水そうの所にいって水そうをのぞきこむけど、金魚が水中にいない。

 ん……どこにいるんだろう……と水草の周辺を見たけどいない。


 背伸びして一番上を見てみたら、そこに金魚が二匹浮いていた。

 ぷかぷかとオモチャみたいに。


 水そうには水の中の金魚に酸素を送るために、ぽこぽこと泡が出ている。

 その横、たくさん泡がぽこぽこある隣に、二匹の金魚がぷかぷかと浮いていた。

 たわんと水中で転がって白いお腹を見せて、ピンク色の背びれを生きてるようにふわふわ揺らして。


 え?

 まさか。

 まさか。

 まさか、死んでる?


 私は怖くて動けない。

 目の前がグラグラ揺れて、金魚を見てるのに教室に溶けちゃったみたいに感覚がない。

 嘘でしょ? 嘘だよね、今、ちょうど浮いてるだけだよね?

 人差し指をぽこぽこ動いている泡の上に持って来て、ゆっくりと金魚のほうに動かす。

 そして指をゆっくり動かして、つん、と金魚に触れてみたら、ぷよんと沈んで、また浮いた。

 死んでる。これ絶対死んでる。

 私は金魚を何度も水中に押してみるけど、再び浮いてくる。

 なんで浮くの? 泳いでよ。昨日まで普通に、元気に泳いでいたじゃない。

 なんで、なんで、なんで。


「金魚死んでるの?」


 その声に驚いて、私は「ひやあああああ!」と叫んでその場に座り込んでしまった。

 そこに立っていたのは、同じクラスの島崎桃(しまざきもも)さんだった。

 真っ黒な髪の毛は肩でまっすぐに揃えられていて、身長が大きい女の子。

 いつも冷静で、クラスの男子が暴れると頭から押さえつけて文句を言うような子。

 でもその強くてまっすぐな姿をカッコいいと女子はみんな思ってる子。

 私はその場に座り込んだまま動けない。

 島崎さんは水そうに近づいて、手を水の中にジャバンと突っ込んで、金魚をむんずとつかむ。

 私は思わず「あっ……」と声を出して立ち上がった。

 金魚をそんな風につかんだら死んでしまう。

 島崎さんは水そうの中から手をズボッと出した。だらだらと水が落ちて教室の床に落ちる。

 そして手に二匹の金魚を乗せた。

 島崎さんのてのひらの上で、金魚はピクリとも動かない。


「死んでるよ、これ」


 そう言って島崎さんはそれを水そうの中に投げ込んだ。

 ポチャンと水しぶきが上がって、その水が私の頬について、だらりと垂れた。

 島崎さんは水そうをのぞき込んで、


「昨日は元気だったのに、簡単に死ぬのね」

「どうしよう、圭吾が泣いちゃう」


 思わず大きな声が出た。

 夏休み中、圭吾が家で可愛がっていたトカゲが死んでしまい、ものすごく悲しんでいた。

 大好きなサッカーの練習にも行けないくらい落ち込んで、二週間くらい目が赤かった。

 だから絶対に金魚を捕まえたくて、やっと捕まえて、元気になったのに。この金魚を一緒に育てようと思っていたのに。

 島崎さんは叫ぶ私を静かに見て、


「じゃあ死体を無くせばいい」

「え?」


 私は島崎さんが何を言ったのか分からず、聞き返した。

 島崎さんは再び水そうにジャバッと手を突っ込んで金魚をつかんで私に見せた。

 指先で二匹をつかんで私に見せて、

 

「これをトイレに捨てよう」

「えっ……はっ……えっ……?」


 私は島崎さんが何を言っているのか分からない。

 生き物が死んだら、お墓をちゃんと作るのが当たり前だ。 

 圭吾のトカゲも庭に小さなお墓を作ってお花も置いたのに。

 学校の校庭の裏には今までみんなが飼ってきた生き物のお墓がたくさんある。

 そこにちゃんと埋めてあげなきゃいけない。それなのに島崎さんは金魚に死体をトイレに流すと言っている。

 島崎さんの指先には金魚がつかまれていて、そこから水がダラダラとたれている。

 生き物じゃない、おもちゃをつかむように強くにぎって教室を歩き出した。

 私はあわてて追う。


「ねえ。ダメだよ、ねえ、そんなの。ねえ」


 島崎さんはスタスタと迷い無くトイレに向かう。

 私は島崎さんの背中の服をぐーーーっと引っ張って、


「死んだらお墓作らないとダメなんだよ!」

「死体を見て圭吾くんが落ちこんでも良いの?」

「それは悲しいけど、でも捨てたこと知ったら、もっと悲しむよ! 私は圭吾に悲しんでほしくないの!」


 島崎さんは手に金魚を持ったまま振り向いて、


「捨てたことを誰にも言わなければいい。私と久米さんがこっそり捨てたらバレないよ」

「でも金魚がいなくなるから死んだってバレちゃうよ!」

「死体が無ければいいのよ。これがあるから死んだと分かっちゃう」

「島崎さん変だよ!!」

「死体が無ければ死んだと思わない。盗まれて、どこかの水そうで生きてるって思うんじゃないかな。探してる間にきっとみんな忘れるよ」

「そんなの無理だよ……!!」

「おう、美穂! おっはよーー!」


 気がつくと、少し遠くの廊下に圭吾の姿が見えた。

 そして「なんだよ~。一緒に学校行きたかったのに、どうして先に行ったんだよ-」と言いながら近づいてくる。

 目の前には、金魚の死体を持っている島崎さんが立っている。

 こんなところ、どうやって説明すればいいのか分からない!

 私は慌てて島崎さんの腕をつんでトイレに連れて行った。

 島崎さんは私のほうに向いて首をかしげて、


「捨てる?」

「……ダメなのにっ……!!」

「じゃあ石井くんに見せましょう、この死んでる金魚」

「島崎さんが水そうから出しちゃってるから、どこで死んだのか説明できないよ。こんなの私たちが水から出して殺したみたいじゃん!!」

「あはは。違うって、久米さんが説明すれば分かってくれるんじゃない? 一緒にお祭りにいく仲良しなんでしょう? はいどうぞ」


 島崎さんはそう言って死んだ金魚を私の目の前にぶら下げた。

 あんなに元気だったのに、今はダラリとしていて動かない死んだ魚。

 つる……とその体から水がしたたって、トイレの床に落ちた。

 ……いやだ、触りたくない!


「もういいよ、わかった、捨てよう、そうしよう、それでいいよ!」


 私は島崎さんの腕を引っ張って便器の前に立った。

 私のその言葉と行動に島崎さんは満足したようにほほえんで、持っていた金魚をトイレに中に投げ込んだ。

 トイレの丸い所にいる二匹の金魚。また動き出すんじゃないかって、ずっと見てたら、島崎さんが水を流して金魚はグルグル回転しながら消えていった。

 やっぱり、やっぱりそんなことしちゃいけなかったんじゃないかな。

 ああ、やっぱり違った気がする。

 とんでもないことをしてしまった気がして泣けてきてしまう。

 島崎さんは洗面所で手を洗って、スタスタと出た。そして教室に入った。

 圭吾が走りよってくる。


「なあ、金魚がいないんだけど。どこ行ったんだ?!」

「学校に来たらもういなくて。誰かが盗んだのかも。ね、久米さん?」

「……うん」

「だから洗面所とかトイレとかかなって探してたんだけど、居ないの。ね、久米さん?」


 そう言って島崎さんは私の顔をのぞき込んだ。

 静かに当然のように、あっさりと島崎さんは嘘をついた。

 私はただコクンと重力に従うように、うなずくしかなかった。

 そう、金魚は学校に来たら居なかったの。

 力なく口だけ動かして嘘を重ねた。

 圭吾に死体を見せたくなかった。

 ……でも本当にそうかな。

 本当に私は圭吾に見せたくなくて捨てたのかな。圭吾に私が殺したと思われたくなくて捨てた気がする。

 圭吾が本当のことを知ったら、もっと悲しむのに、どうしてそんなことしたんだろう。

 横に立っていた島崎さんは金魚をつかんだ冷たい手で私の手をキュッとにぎり、耳元に口をよせて


「金魚は消えたの。死んでなんていない。これはふたりだけのひみつにしよう。大丈夫、私は誰にも言わない」


 と小さな声で言った。

 そんなの……信じられるの?

 私は島崎さんに手をにぎられたまま、うつむいた。




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