ある凶悪犯の懺悔 〜福島の山々〜

早里 懐

第1話

ミステリーサスペンスというジャンルは何気ない日常に潜む人々の欲望や憎悪、猜疑といった負の感情を白日の下に晒す。



それ故に、普段は目を逸らしている人間の内側に潜む醜怪さを覗き見ているような感覚に人々を陥れる。



その性質こそがミステリーサスペンスを愛する人々を魅了するのだろう。



何を隠そう私もその1人である。




そんなミステリーサスペンス界で女王と呼ばれているのは故アガサ・クリスティ氏だ。


恥ずかしながら実際に彼女の作品を私は読んだことはない。


しかし、彼女の作品を原作とする映画やオマージュ作品は楽しませていただいた。


その中でも衝撃を受けたのが綾辻行人氏の「十角館の殺人」だ。


作中に登場するある一文に度肝を抜かれたことを今でも鮮明に覚えている。


この作品は故アガサ・クリスティ氏の「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品であることはあまりにも有名だ。







本日は次男の練習試合の送迎で福島県の白河市にやってきた。


先日お邪魔した日本一山開きが遅い山として有名な天狗山の近くだ。


偶然にも本日がその山開きの日だった。


山開きと聞いて心が奮い立たないハイカーはいない。

私もその1人だ。


しかし、天狗山のコースタイムを考慮すると試合の合間には登れない。

よって、泣く泣く他の山を検索した。


すると近くに複数の低山があることがわかった。


その中でもまずは現在地からとても近い鶴子山に登ることにした。



今日の登山は妻と一緒だ。



登山とは言っても"鶴子山"とインターネットで検索すると"鶴子山公園"と表示される。


家族連れで賑わう大型遊具のある敷地の広い公園だ。



次男を試合会場に降ろしたのちに私たちは鶴子山公園に向かった。




比較的早い時間であるためとても広い駐車場は閑散としいた。



歩き始めてもやはり人気は感じられなかった。



そんな寒風が吹き荒ぶ公園は本来人々に与える印象とは真逆の印象を私たちに与えた。





ホラー映画の撮影地としては墓地や教会などいわゆる死後の世界に近い場所がスタンダードである。


一方で、本来ホラーとは真逆の存在と言える遊園地やショッピングモールなどの施設がある。

そういった施設から人間の気配を排除するとホラーにはうってつけと言える不気味なロケーションが完成するのだ。



まさしく今、直感的に感じた印象はそれだ。






そんな中、私は突然ある衝動に駆られた。


抱いてはいけない欲求であることはわかっている。

しかし、抑えることができない。


度々現れる症状なのだ。




どうやら妻も私の異変に気付いたようだ。


妻は「やめて」と叫び、必死になって私を止めた。


しかし、そんな叫びは私には伝わらなかった。


私はやめる気などなかったからだ。




その時だ。


駐車場の方から子供達のはしゃぐ声が聞こえてきた。


どうやら家族連れがこちらに向かってきている。



そのことが私を焦らせた。


目撃者がいることは後々の人生にとても大きな影響を及ぼす。


厄介ごとは極力減らすべきだ。


よって、素早く事を済ませる必要があった。


考える間もなく、私は走り出した。


背後では必死に止める妻の叫びが虚しく響いていた。



しかし、私の目にはある一点の対象物しか映っていない。

妻の必死の叫びも届いていない。



私は階段を駆け上がった。


そして私は犯行に及んだのだ…。







無数に、そして規則的に配置された鉄製のローラーに体を預けた。


見えるのはどんよりとした厚い雲だけだ。






私はおもむろに鉄製の手摺りを握って体を前方に勢いよく押し出した。


そして、欲望に任せて滑り降りた。


ローラー滑り台の加速は止められない。


年甲斐もなく奇声を上げながら滑り降りた。


着地は思いの外スムーズだった。




とても楽しかった。



私の欲求は満たされたのだ。



しばらくの間、感慨に耽っていた。





我に帰った私は周りを見渡した。


家族連れの姿はまだ見えない。


どうやら完全犯罪が成立したようだ。


目撃者は妻だけだ。


…。


…。


…ん。


妻がいない。


どこを探しても妻がいない。


私はローラーの摩擦により食い込んだパンツを直しながら妻の姿を探した。


しかし、妻はいない。




必死の静止を振り解きローラー滑り台を奇声を上げながら滑り降りるという凶行に走った私を妻は見捨てて先に行ってしまったようだ…。






そして妻もいなくなった…。






私はその場に立ち尽くした。


聞こえるのは惰性で回るローラーの無機質な金属音と幸せそうな家族連れの笑い声だけだった。

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