豺狼は奪いかつ散らす

ぶざますぎる

[1]

 のぼるが小学生の時分、教室の後ろに虫籠が置いてあり、沢山のバッタが入れられていた。ある日、馬鹿な男子生徒がそこへカマキリを混ぜた。直ぐとバッタは喰い殺され始めた。悲惨のうち、まだ殺されずにいたバッタは草を齧り、交尾をし、産卵した。籠中ろうちゅうにはバッタの死骸と卵が転がった。クラス担任の若い女教師が、その光景をえらい気味悪がった。昼業間になると女教師は虫籠を抱え、校内に設置された焼却炉へと向かった。昇は女教師について往った。焼却炉では老用務員が何かを燃していた。女教師は用務員に、虫籠の中身をすべて掻き出して焼却炉へと捨てるよう命じた。

「地獄やの」

 用務員は虫籠を受け取った。しかして殺戮を続けるカマキリも、喰われたバッタの残骸も、草を齧り、交尾に熱中している生き残りのバッタも、籠の隅に残ったバッタの卵も、すべてが焼却炉にブチ込まれ、燃えた。

 世では似たような男と女がひっついては交り合い、陰裂から両親と似たようなガキがひり出される。而して裂帛れっぱく叫哭きょうこくとともに誕生せしめられたガキは爾後じご、おおかた両親と似たようなザマで有漏路うろじを彷徨い、機縁あれば、てめえと似たような人間を見つけて閨事ねやごとをカマし、やはり玄牝げんぴんの湿り気の奥から似たようなガキが排泄され……向後、科学の発展で同性間の生殖が可能になろうが、天が下に行われることは今も昔もすべて同じだ。

 ときたまカマキリに喰い殺されるアンフォーチュネイトなヒトも存するが、これ能事のうじ運否天賦うんぷてんぷ、世にはてめえを遥か凌駕する有力で強大なカマキリが衆多していやがる。極めて限定された存在であるヒトが如何に機巧を弄しようとも、度を越した禍患の前ではすべて徒爾とじに終わり、ノーマーシーに撃砕されるのがオチだ。嘆いても詮がねえ。おのおの好き勝手な人生規矩きくこしらえて、精精てめえの烏兎輝うとかがやきを保ちやがれ。

 併し、運の良し悪しに差があろうと、どいつもこいつも、どうで籠中のバッタ。籠の外では焼却炉が口を開けて待っている。てめえの方寸に関係無く、ハテはみんなで仲良く籠から掻き出され、炎で灼かれる。而して思い出も肉体も精神も、万事擺脱はいだつせしめられては塵に返り、どっとはらい。遮莫さもあらばあれ

 それにしても暑い。

 警察署の軒天の影から外に踏み出すと、とみに熱感が増した。トーチャーじみた暑さ。全身の毛穴がかっ開く感覚があって、須臾しゅゆの間も無く流汗淋漓りゅうかんりんり。汗みどろと相成る。見上げてみれば高高とした蒼穹に、日輪がサディスティックな光波を放っている。直瀉ちょくしゃする陽は矢の如し。不覚と顔が苦る。全身が灼けちまいそうだ。今や中年の昇にとり、斯く昼景はえらいこたえた。

 日影に身を戻す。溜息。この灼熱の裡を往かなきゃならねえのか。舌打ちを放つ。横に居た立番のおまわりが、訝しげな目を向けてきやがった。業沸く。なに見てんだよ、馬鹿が。クソおまわりめ、ぶっ殺すぞ。土性骨どしょうぼねが短気にできている昇は、身の裡で反射的に罵声を放つ。とあれ、いつまでもここにこうしているワケにもいかねえ。意を決し、日の下へ歩き出した。

 せんだって職籍を置いていた工場で暴力沙汰を起こした昇は、留置場へぶち込まれ暫時、籠鳥檻猿ろうちょうかんえんを強いられ、ハテようやっと釈放されたところであった。迎えは無かった。友も恋人も係累も持たぬ昇にとり、それはアタボウで。また留置中、工場の専務がやって来ては、「はっきり言って、アンタはおかしい。もうこちらには一切、関わらないでいただきたい」なぞと、実に冷冷たるラツと口吻で馘首を告げた。

 而して職無し中年が独り、娑婆へと押っ放り出されたワケで。

 蹣跚まんさんと道を往く。足取りの悪さは暑さだけに由らない。生活全体にチェックメイトの感があった。已往いおう、てめえの自業自得で掛替えのない一瞬一瞬を台無しにし、一五一十いっかな進境を示さねえまま便便と馬齢を累ね、気づけば小手先の弥縫策ではどうにもならぬほど生活が破綻していた。くびに巻きつく真綿の感触とともに、暮らしは漸漸ぜんぜんと昏さを増す。希望はごうも無く、トースト状態。どん詰まり、危地にあった。おまけに今般の逮捕と馘首。レイムダックとはこのことだぜ。ヤキが回ってやがる。我が扶助たすけ何処いずこより来るや。どこからも来ねえ。怏怏おうおうたるダッチマン。やんぬるかな。心機靉靆あいたいとして足も重くなるさ。

 而して煉獄めいた暑さの裡、現実からの逃躱處のがればを探す如く街を低徊していると、サウナの看板を見つけた。土性骨がサウナ廃人であり、時節関係無く馬鹿みてえにサウナで発汗カマすへきのあった昇は、万事不如意の留置場暮らし明けということも相まって、ひとっ風呂浴びたくなった。それに疲れていた。何も考えず、やすみたい。ちょっくら命の洗濯でもしよう。入店す。


[2]

 愛想の欠片も無え受付のブルドッグ・ババアへ風呂銭を叩きつける。脱衣場には人気ひとけが無い。浴場に入るとがらん、湯の音が響くのみで誰も居ない。しめた、貸し切り。あなうれし。上機嫌と相成る。悠悠と洗体。鏡は極力目路に入れない。鏡に映るてめえを見ると、身のうちで怒りが奔騰ほんとうし、叩き割りたくなる。已往、幾度も震怒を惹起せしめられては、数え切れぬほどの鏡に往生遂げさせた。

 浴場の奥にあるサウナへ向かう。不図、サウナ扉の直ぐ横にある水風呂が目に入った。照明を反射して、水面は銀鏡めいた光輝を放つ。そこにガキの水死体が浮いていた。俯せの姿勢で頭蓋とうがいと四肢を水中へ垂下げた死体は、腐敗で魚吐白ぎょとはくに変色した皮膚の所所が損傷し、傷口から黒味帯びた肉を露出している。剥離した肉片は水面に四散し、風呂の注ぎ口から絶え間なく流入する冷水が起こす漣に、浮き葉の如く揺蕩う。

 ピクリと水死体が動いたかと思うと、矢庭にガバと頭を起こした。

「いつ死ぬの」

 極度に損壊してはいるものの、かろうじて顔の輪郭を保ったソレが、眼球の失われた眼窩がんかを昇へ向け、溜息めいた声を発した。

 ガキめ、また化けて出やがった。馬鹿が。ぶっ殺すぞ。業沸く。舌打ち。無視してサウナに入る。とあれ、貸し切りサウナを満喫だ。L字3段構成の最上段に座り、目を瞑る。併し、須臾の間も置かず扉の開く気配があり、冷たい空気が入り込んで来た。目を開ける。入口に真っ白い蓬髪ほうはつの、羸痩るいそうとも表すべき痩せこけたジジイが立っている。股間にずず黒いイチモツを垂らし、佯狂者ようきょうしゃワシリイみてえな風態なりをした該ジジイ、にへらと笑みを浮かべると「よっ、やってるね」

 何がやってるねだ、馬鹿が。ぶっ殺すぞ。思わずかろき舌打ちを放つ。業沸く。折角のサウナ独占も槐夢かいむと終わった。まったく、娑婆は何処に往ってもゴキブリみてえに人間が湧いてきやがる。闖入ちんにゅうジジイが。本当に殺してやろうか。即身仏寸前みてえなガリガリ・ボディしやがって。似非えせワシリイが。

 昇の瞋恚しんいにも気づかず、似非ワシリイは間近に座を取り、狎狎なれなれしく絡んできやがった。そのすべてにシカトを決め込む。ニュース番組を映している室内テレビの画面をじっと見つめ、似非ワシリイの存在なぞハナ無いものとする。併し似非ワシリイ、一向めげる気配を見せず語り掛けてくる。マシンガン・トーク、とどまるところを識らぬ。

「おれの親父はよ、おれが15の時分によ、御袋のことっちまったんだよ。でよ、お袋の死体の横でよ、てめえも首掻っ切って死んじまいやがったのよ」

 閨事の最中に絞め殺し、己も後追って自殺した由。

「今もよ、夜中によ、二人揃って出てきてよ、おれの横でよ、同じことしてんだよ」

 イカれジジイめ、首を絞めるジェスチャアまでしやがった。

 とあれ、無視。返辞なぞしてやらねえ。テレビでは、イスラエルのパレスチナ人虐殺に抗議するプロテスト・キャンプの様子を映している。場所はアメリカの大学らしい。先般、該キャンプをシオニストが襲撃し、負傷者が出た由。政府はシオニスト側に与し、抗議者たちは保護されず、糅てて加えて官憲からの弾圧を喰らっていた。抗議者の裡のひとりが武装警官から暴力的な制圧を受けている映像が流れる。苦痛に顔を歪めた、痩せぎすの黒人青年。そのラツを見て昇は悸乎ぎょっとした。あっ、ジェームズ。否、そんなワケあるめえ。かれは死んだんだ。映像が切り替わる。次いで、武装したイスラエル人入植者たちがパレスチナ自治区を襲撃し、現地のパレスチナ人を殺戮、土地を強奪している由、報じ始めた。

「狼は羊を奪って散らす、だな。まったくよ。なあ、そう思わねえか」

 瞥見べっけんすれば似非ワシリイめ、レスポンスを懇望するかの如く、その瞳子どうしを昇へ向けて動かさない。何なんだこいつは。ヨハネ伝まで引きやがって。業沸く。いい加減黙りやがれ。あんまりうるせえと叩き出すぞ。

「おいおい、仲良くしようぜ」似非ワシリイ、急と嘲るような声色を使った「お互い人殺しの息子だろ」

 と胸を突かれて見遣ると、似非ワシリイ、獰猛な悪光りを目に走らせては、寒山拾得かんざんじっとくの如く口が裂けんばかりにニタニタ笑っていやがる。口中、鋭い歯並びが覗く。けけけけけけ。呵呵大笑かかたいしょうしたかと思うと、いきなり掻き消えた。

 業沸く。悪態を吐きながらサウナを出た。浴場には相変わらず他の客の姿は無かったが、まだ水死体ガキが居た。水風呂の縁につくばっている。「いつ死ぬの」復これだ。水風呂にはガキの肉片が浮いている。ここに入る気は起きない。「いつ死ぬの」うるせえな。無視してカランの前に往き、汗を流す。ヒタヒタ。背後でガキが近づく足音が響く。「いつ死ぬの」耳元で声がした。業沸く。馬鹿が。ぶっ殺すぞ。舌打ちを放って振り向く。ガキの姿は消えていた。

 風呂をあがって休憩室へ移る。誰も居ない。電設が旧いのか部屋全体が薄暗い。幽鬼の巣の如し。自販機で菓子と瓶牛乳を購めた。椅子に座って食べる。テレビではドラマの再放送をやっていた。疾っくの昔に自殺した俳優が刑事でか役で出ている。おまえ、もう死んでいるんだぜ。併し、画面の俳優は永久に気づかない。ずっと刑事をやっている。御苦労なこって。菓子と牛乳を平らげて、昇はまどろんだ。


<中に続く>

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