第45話
翌日、いつもより早めに家を出て学校へ向かう。
まだ運動部の生徒しか居ない時間の教室は静かで、悪い事をする訳ではないけど少し緊張した。
小型の無線式イヤホンを片耳に着けて、スマホを大型のバッテリーに繋ぐ。
彼女の方に準備完了とだけ短いメッセージを送る。
するとすぐに彼女からSNSを使った無料通話アプリで着信があった。
電話に出るとそれをすぐテレビ電話にして、黒板の方にカメラを向けた。
ハンズフリーでイヤホン越しに会話しながら制服の胸ポケットにカメラ部分だけ出るように入れて、彼女が教室の黒板が見えるように調整する。
初めての事に手間取りながらも、他の生徒が来る前に調整を終える事ができた。
「お疲れ様。カメラ越しでもよく見えているよ」
通話状態のイヤホン越しに聞こえる彼女の声は弾んでいる。
時間を確認するとまだ他の生徒が登校して来るまでに二十分くらい時間がありそうだった。
「まだホームルームまで時間あるけど何処か行きたい場所はある?」
「久しぶりに校内を一周してみたいな」
「試運転を兼ねて回ってみようか」
教室を出て廊下から校内を歩いて回って行く。
時折彼女と会話をすると、僕が独り言を言っているように見えるのが難点だったけど、それ以外は問題無さそうだ。
教室に戻ると数人のクラスメイトが登校して来ていた。
「篁今日はやけに早いな」
「目覚ましの時間を間違えてさ」
「それでも早すぎるだろ」
「そうだね、うっかりしていたよ」
そんな風に僕がクラスメイトと話していると、イヤホンの方からも笑い声が聞こえる。
人前だとイヤホン越しに会話が出来ないので何も聞けないけど、しばらく学校を休んでいた彼女からすると、僕がクラスメイトと普通に会話しているのが新鮮なのかもしれない。
それからはずっと自分の席に座っていたが、教室に入ってくる人達をカメラ越しに見て歓声を上げる彼女の声を聞いていると退屈はしなかった。
それから程なくホームルームの為に先生が教室に入ってくる。
いつもとは別の意味で緊張しながら、先生がホームルームを始めるのを待つ。
先生は教室を見渡すと挨拶と事務的な連絡だけをして、十分程度でホームルームを終えて教室を出て行った。
幸い先生やクラスメイトに不審がられる事なく済んだ事にまずはホッとする。
一時限目の前に一人になれる場所を探して、誰も居ない事を確認してから彼女に話しかける。
「早速イヤホンが先生に見つかると思って緊張したよ」
「ホームルームくらいで緊張し過ぎだよ」
「そういえば、映像は調整していたけど、音声の方は問題なく聞こえる?」
「雑音は多いけど問題なく聞こえるよ」
やはり音声の方は、僕の片耳に着けているイヤホンだけだと心許ない。
目立つ大型の機材が使えない以上、もう少し試行錯誤が必要だろう。
「そろそろ一時限目始まる時間じゃない?」
言われて時間を確認すると授業が始まるまで時間がほとんどなかった。
全力疾走で教室に入って遅刻を回避すると、先に教室に来ていた先生に睨まれる。
軽く頭を下げて「すみません」と謝り素早く自分の席に座る。
「まさか一緒に授業を受けられるなんて思ってもみなかったよ」
現国の授業を受けながら彼女がしみじみとそんな事を言う。
授業中で何も答えられないけど、それは僕も同じ気持ちだった。
イヤホン越しではあるけれど、初めて彼女と一緒に授業を受けた。
どんなカタチであってもそれだけで満足だった。
いつか色んな事情で学校に通えない人がリモートでみんなで当たり前に授業を受けられるようになった未来を想像する。
カメラとマイクを備えた小型のロボットが椅子に並んで座っている姿は想像してみたら見た目はシュールだけど案外悪くない未来かもしれない。
そのうち、わかりにくいからとロボットの外観にみんな自分らしく装飾して個性を出していくと、それはそれで楽しいだろう。
その日は二時間ずつで左右のイヤホンを交換しながら、六限目までの授業を受ける。
帰りのホームルームが終わる頃には、いつもとは違う緊張感もあって疲れきっていた。
それでも一日やり遂げた充足感がイヤホン越しの彼女の声と共に満ちてくる。
「それじゃあ、篁君また明日ね」
「うん、また明日」
また明日、そう言葉にすると明日もまた彼女と一緒に学校で過ごせる実感が湧いて、明日が待ち遠しくなる。
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