第37話
家庭科室での試作を無事に終えた週末今日も彼女の家に向かっていた。
すっかり慣れた道を歩いて彼女の家に到着するとチャイムを鳴らす。
最初のときこそ緊張したが、流石にもう以前程緊張する事はなくなっていた。
いつものようにドアが開くとき珍しく彼女ではなく妹の夏織さんが出て来た。
「あれ、姫柊さんは?」
「お姉ちゃんは急用で外出をしてます」
そう言われてスマホを見ても彼女からの連絡は入っていない。
急用だとしても彼女が連絡を忘れるのは珍しかった。
「それなら今日は帰ってまた今度来る事にするよ」
呼んだ本人が居ないので今日はこのまま帰るつもりでいたら夏織さんがそれに待ったをかける。
「お姉ちゃんからピアノの練習相手を頼まれているのでどうぞ上がって下さい」
彼女が居ない間に家に上がる事に相応の気まずさはあるけど、断れる状況でもなかったので素直に家にお邪魔する事にした。
そのままリビングを通らず二階の彼女の部屋へと上がる途中で夏織さんに気になった事を尋ねる。
「今日はご両親は?」
「二人共用事があって留守にしています」
「そう。そういえば姫柊さん最近顔色悪そうだったけど平気?」
「よくわかりましたね。外ではメイクしてたはずですけど」
「やっぱりどこか悪いの?」
「どこかの誰かが苦労ばかりかけるから疲れが溜まっているんじゃないですか?」
夏織さんはこちらを見ずに前を向いたままいつものように棘のある言葉を使う。
彼女の言葉はどこかなげやりでいつもの覇気がない。
ただ指摘された内容は図星だったので僕には頷く他にない。
「そこは善処するよ」
気まずそうに答える僕の方を見た夏織さんは先程のどこかなげやりな態度からもういつもの態度に戻っていた。
「まずはピアノをまともに弾けるようになる所から始めましょう」
「お手柔らかにお願いします」
一通り通して弾いて隣で見ていた夏織さんが納得いかなそうに頷く。
「かなり安定して弾けてるのでそろそろ本番と同じ形式で練習しましょうか」
「なんで褒められている筈なのに不機嫌そうなの?」
納得いかないみたいな顔で褒められて一応理由を聞いてみる。
「改めて技術が無くても先天的な資質でここまで弾けるんだなと思うと釈然としなかったので」
単なる嫌味になると思ったのか夏織さんは続けてすぐにフォローをする。
「当然、暗譜とか基礎的な練習を相当してるのはわかるんですけど」
夏織さんからすれば、自分が小さいころからずっと積み重ねてきた事を他人が資質があるからとそんな理由で、短期間で出来るようになる姿を見せられた時に釈然としない気持ちもわかる。
積み重ねきた時間と努力を否定されたような気持ちというか、他人の才能を見た時に感じるどうしようもない感覚には覚えがあった。
多分この場合は僕が何を言っても夏織さんは納得出来ないと思う。
それに釈然としない気持ちにした人間からの慰めはかえって惨めになるだけだ。
幸いな事に僕が何かをフォローする前に夏織さんは自分で気持ちを切り替えてピアノの前に座った。
「時間が勿体無いので早く連弾の練習をしましょう」
眠れる森の美女のワルツを今日からは文化祭と同じように連弾で合わせ始める。
一人で弾く時と違って相手の音を聞かないとリズムが崩れてすぐに合わなくなって不協和音になる。
一度通しで全部弾いてから酷評をされる。
「一人でやる時と違ってスピードも遅かったり早かったり、やっぱり安定しないしこの辺は素人ですね」
これこそ積み重ねが大事で夏織さんとの経験の差が如実に出た感じだ。
「とりあえず、一度休憩を挟んで練習を再開する事にしませんか?」
「うん。少しキッチンを借りてもいいかな? 休憩用にお菓子を持って来たんだ」
「構いませんけど。そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ」
一階に降りてキッチンを借りると持参してきた抹茶の粉と道具一式を使ってお茶を点てる。
今日のお菓子は和三盆を準備してみた。
抹茶を点てると夏織さんの前に抹茶と小皿に入れた和三盆を置く。
「どうぞ。抹茶だから好き嫌いはわかれるかもしれないけど。お菓子と一緒に食べたら平気なはずだから」
「飲んだことが無いのでなんとも」
初めて出された抹茶に困惑する夏織さんに何か気の利いた事でも言えないかと思ったけど結局、出て来たのは彼女の言葉だった。
「もし苦手そうなら、ミルクと砂糖を入れても良いから」
「なんか、それは邪道なので遠慮しておきます」
「やっぱり! そうだよね」
「自分で勧めておいて断ったら何で嬉しそうなんですか?」
「姫柊さんは苦いのあまり好きじゃないみたいで、お菓子が無かった時にミルクと砂糖を入れていたから、僕的には抹茶に対する冒涜だと思っている」
「だったら、なんで勧めるんですか?」
ますます困惑する夏織さんに僕は思った通りに言葉を並べる。
「姫柊さんと話した後に、それも多様性かなと思って、多様性っていうのは何でもかんでも自由にしていい。全て認めろって乱暴な事じゃなくて、今まで一つの選択肢しかなかった事に対して、複数の選択肢を認める事なのかって」
今回で言えば、文化だからとストレートの抹茶以外認めないって主張に対して、苦いのは苦手だからミルクと砂糖を入れる事を認める事も一つの多様性だ。
これによって僕も彼女も抹茶という同じ物を楽しむ事が出来る。
それを認める事が多様性だと僕は思っている。
全員が同じでなくても良いみんなと違っても良いそれを認める事が大事なのだ。
「そうですか。これは、文化祭の出し物でやるメニューですか?」
「うん。お菓子は違うけど、概ね同じだよ」
「点てるのを見てても良いですか?」
「構わないよ」
僕は夏織さんが見やすいように少し移動して自分用の抹茶を点てる。
その姿を夏織さんが興味深そうに見ている。
「良ければ、やってみる? 僕ばっかり教えて貰ってばかりで悪いから」
「はい」
学校で説明したように一通り手順を説明して抹茶を点てる。
それから夏織さんの前に一通り道具を並べた。
「どうぞ」
恐る恐る茶筅を持った顔さんはゆっくりと抹茶を点て始める。
元々手首が柔らかいのか泡がきめ細かくて抹茶を点てるのが初めてとは思えないくらいに上手い。
点てた抹茶の見た目的には僕が点てた物と遜色ない。
「初めてとは思えないくらいに上手いね」
「そうですか?」
「うん。十数年やってたのに僕と殆ど遜色ないくらいだよ」
「これを飲んだらピアノの練習を再開しましょう」
夏織さんの表情からピアノを練習していた時の釈然としないような感じは消えている。
多分これは僕も夏織さんもお互いの積み重ねた技術を教えてお互いに出来るようになったから納得出来たのだと思う。
若干、見ただけで出来る夏織さんの適応力に僕の方が納得いかない気はするけど、それは料理や他の分野で僕がやってこなかった事である程度の技術を持っていたからだろう。
「いえ、時間もないので、そろそろ回想ソナタの練習を始めます」
「えっと、夏織さんはその曲を弾けないって言ってなかった?」
「本来の速度で弾く事は出来ないですけど、楽譜通りにゆっくり弾くくらいなら出来ますから」
「そうなんだ」
「はい。なので、それを見て本来の速度で弾けるようになって下さいね」
さっきまでの釈然としない気持ちが消化出来たのか、至極当然というように自分を超えろと要求してくる夏織さんに今度は僕が唖然とする。
「そんな無茶な」
「私を超えるくらいの気持ちでやって貰わないと困ります」
そう言って笑う夏織さんの表情は完全に面白がっている。
それからは夏織さんが弾く回想ソナタを指の動きを見て暗譜する。
まずは耳馴染みがない曲なのでネットで探しても音源が見つからず、楽譜もCDも田舎のお店では取り扱っていない。
スマホで録音させて貰ってお手本に聴き込む用の音源を作る。
これを通学の時に流して耳でも覚えるようにする。
後は地道に弾いて体に覚えさせる。
その後、何度か休憩を挟みつつ、夕方まで練習を続けた。
結局、その日は彼女の姿を見る事はなかったけれど、練習で必死でその事実に最後まで気付かなかった。
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