第27話

試験勉強か終わって荷物を片付けていると、彼女が鍵盤蓋を開けてピアノを弾き始めた。

僕には何の曲かわからないけど、指の動きが複雑で難しい曲だという事だけはわかった。

僕にはたとえ練習してもとても弾けそうにない。

僕ような素人でもそう思わせるような演奏だった。

曲を弾き終えた彼女は得意気にどうだった? とばかりに、こちらを振り向くけど、ポカンとした僕の顔を見て少し困ったように言う。

「ニコライ・メトネルの回想ソナタって、マイナー過ぎて知らないよね」

作曲者と思われる名前も曲名も全く聞き覚えがない。

辛うじて作曲者の名前の雰囲気からロシア系の名前だとわかるくらいだ。

少し思案して別の曲を弾き始めた彼女は、一瞬だけ部屋のドアに視線を向けてピアノを弾きながらこちらに顔を向ける。

「これなら、テレビでもよく流れるから知っているんじゃないかな、チャイコフスキーの眠れる森の美女のワルツ」

作曲者と曲名言われて耳を傾けていると、確かに聞き覚えがある。

音楽の授業で軽く音楽史を学んだ時に聞いた名前で確か先生が蘊蓄と一緒に作曲した曲を言っていた気がする。

ピアノを弾き終えた彼女は、静かにと手でジェスチャーをしてからドアに近づくと、突然ドアを全開にして開けた。

小さな悲鳴と共に、ドアに聞き耳を立てていてバランスを崩した彼女の妹が尻餅をつく。

彼女はそんな妹を呆れたように一度ため息をついて、優しく問いかけた。

「そんな所で何をしているの?」

「久しぶりにピアノの音が聴こえたから聴いていたの」

「わざわざそんなことしないで普通に部屋に入って来たら良いのに」


やんわりと嗜めるように言う彼女に妹さんは素直に謝る。

「ごめんなさい」


姉妹の微笑ましいやり取りを見ながら僕はくすりと笑った。彼女の妹の耳には長時間ドアに押し付けたような跡が残っていたけど、僕も彼女も指摘しなかった。 


「夏織も久しぶりに一緒に弾く?」

彼女は少し物足りなさそうにしている夏織さんに聞いて妹さんが答える前に座っていた椅子を半分空ける。

「うん」

即答した妹さんは慣れた様子で空いたスペースに収まると鍵盤に指を添えて準備運動の為にさっき彼女が弾いていた曲を軽々と弾いてみせる。

「毎日練習しているから上手になったね」

「まだまだだよ。それでどの曲を弾くの?」

照れているのか、少し顔を赤くして否定する夏織さんの頭を撫でてから彼女は思案顔になる。

「チャイコフスキーの眠りの森の美女のワルツを連弾で良い?」

「いいけど。さっきも弾いてなかった?」

少しつまらなそうに言う妹さんに彼女はさらに提案する。

「コンクールの課題曲だし。それなら本番形式で伴奏してあげる」

「いいの?」

「うん。流石に本番だと一緒には弾けないから、練習くらいはね」


残念そうに言うと切り替えるように笑って妹さんの頭を撫でると姉妹でピアノを弾き始めた。

妹さんも素人が聞いても相当上手だと思う演奏だけど、その隣で演奏する彼女は贔屓目なしに聞いても段違いに上手かった。

二人の演奏を並んて聴くと年齢差は三歳くらいだけどその三年でここまで顕著な差があるのかと思ってしまう。

それくらいピアノを演奏している彼女を異質に感じた。

そうして一通り演奏を終えると妹さんは満足したのか何も言わずに自分の部屋へと帰っていった。

ただ僕には妹さんの表情は見えなかったけれど、自分でもわからないけど、その後ろ姿は何故か満足には程遠い姿に見えた。


彼女も何も言わずに見送ってから彼女は僕にも同じように勧めてくる。

その様子はピアノを弾いてる時に感じた異質さはなく、いつも通りの彼女だった。


「良ければ、今度は篁君も試しに何か弾いてみる?」


「僕はピアノば弾いた事は無いから遠慮しておくよ」

先程の演奏を聴いてたらとても僕には弾ける気がしない。

「流石にさっき弾いたのは無理だと思うから、簡単なきらきら星とかなら難しくないよ」

彼女は僕の考えを見透かしたように苦笑すると、きらきら星を弾き始めた。

前奏の時点で小学校で習ったきらきら星よりも音の数が明らかに多く指の動きが複雑で十分近い演奏が終わる頃には既に素人目にも授業で演奏したきらきら星とは別物だとはっきり理解した。

「ほら、これなら練習したら出来そうでしょ?」

僕は即座に首を横に振って無理だと示す。

「初心者にいきなりは無理だよ。そもそも両手でピアノを弾ける気がしないし」

パソコンのキーボードならともかく、ピアノの鍵盤を両手を別々に動かして弾ける気は全くしない。

「確かに、いきなり両手を別々に動かして弾くのは大変かな。それなら利き手の反対側は私が弾くから片手だけで弾いてみない?」

そう言って今度はゆっくりと右手で前奏部分だけを弾いていく。

片手で弾いてるのを聴く限りだと、確かに両手で弾いてる時よりは難易度が低く、先程よりゆっくり指を動かしているのでどの鍵盤を叩くのかを見て確認する余裕があって先程よりは出来そうに見える。

「少しずつ区切って弾いてみたら出来ると思うよ。何事も挑戦という事でやってみればいいんじゃないかな?」

何かを確信するようにそう言われてこの前の広島での山登りの時の同じように挑戦したらまた自分の中で何か変わるのか、それが知りたくて僕は鍵盤に指を置いた。

彼女が弾いていた通りに指を動かしてみると、当然思った通りに指は動かず、指が引っかかってしまったり鍵盤を叩く力が均一にならずに音が弱かったり、強かったり音もテンポもばらばらになってしまう。

それでもなんとか弾き終えると、彼女は控えめ拍手と共に褒めてくれた。

「凄いね。初見で間違えずに弾けるのは驚いたよ。」

そんな彼女からの称賛に照れ臭くなって目を逸らしてしまう。

「でも、指が引っかかってたり、音もばらばらだし」

「そんなの練習したら良くなるよ。相変わらず自己肯定感低いなぁ。むしろ初めてで完璧に弾けたのなら、今からでも高校を中退してピアニストを目指す事をお勧めするよ」

彼女は仕方がないみたいな顔をして励ましてくれる。

それから何度か練習すると、音の強さはばらばらでも引っ掛からずに弾く事が出来た。

「そろそろ、一緒に弾いてみない?」

彼女はそう言うと自分の左手を鍵盤に置いた。

「弾き始めるタイミングは篁君に合わせるからさ」

「わかった」

それだけ言うと、僕も右手を鍵盤の置いて彼女を見る。

練習した通りに右手で弾いてると、僕の頼りない演奏に彼女が左手で合わせてくれる。

音に厚みが出て一人で右手だけで弾いてる時よりもなんだか、曲として成立していた。

「上手く出来たね」

彼女の言葉に僕も今度は素直に返す事が出来た。

「そうだね。今は前奏とか一部だけど、一曲全部一緒に弾けたら楽しいと思う」

素直な気持ちを言葉にして心地よい余韻に浸たる。

結局この日はこれで終わりにして、玄関で彼女にお礼を言ってから帰路についた。

家に帰ってからは、テストに備えて早めに就寝する事にする。

寝る前にスマホを確認すると、彼女から明日も勉強するから教科書を持って来るようにとのメールが届いていた。了解とだけ返し、その日は眠りについた。

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