ロイヤル・ロマンティカ

ゆるり

プロローグ

 心に灯った烈火が消えたことは、一度も無かった。

 あの日から八年間、ただの、一度も。

「…」

 車窓に広がる、晴れ渡った空の青。まるで門出を祝福するようなその色が嫌で、目を閉じた。

 瞼の裏に浮かんだのはこれまでの苦痛な日々と————僕の人生を奪ったその人の顔。

 あいつの意思一つで、全てが決まった。

 たくさんあったはずの未来の選択肢は全て取り上げられ、目の前には決められた将来に向かうためのレールが敷かれた。他の道を歩むことは許されなかった。それがどれだけ苦しく、寂しい道でも、用意されたレールの上を進み続けるしかなかった。そうすることが、僕にとって唯一の救いに繋がる道だったから。

 そして今日、この八年間の努力はついに形となる。あいつに仕える騎士という立場を与えられることによって。

 これは終着点ではなく、出発点だ。この始まりを迎えるために、僕は自分の身体も、心も、全てを費やしてここまで来た。

『次は、王都西門前————王都西門前————』

 アナウンスが鳴り響いて、目を開ける。

 減速していく列車。荷物を手に、コンパートメントの引き戸を開ける。下車する人々の波に混ざり駅に降り立った。

 改札を抜け、人の邪魔にならないところで立ち止まる。賑やかな王都の景色は懐かしいものなはずだったけれど、特に何の感情も生まれなかった。

「は……」

 吐息が溢れる。

 これからの未来に対しても、夢や希望なんてものはない。

 でも、それでいい。これからもずっと、何も期待せず、ただ言われた通りに、課せられた命を果たす。頑張る理由を探したって、何が変わるわけでもないから。定められた将来像に向かうために必要なことだけを考え、それ以外のことは頭から追い出して————実際、そうしてがむしゃらに努力した結果、世間から求められた像に限りなく近づくことが出来た。

 騎士学校で優秀な成績を収めたことは、決してあいつの為なんかじゃない。けれど、この八年間で手に入れた力は、全てあいつの為に使うことになる。

 これから、僕らはどうなっていくのだろう。

 あいつは何も変わっていない。初めて出会った、あの幼き日から。ただ楽しく笑い合っていた、親友の頃から。

 そのことを、どう受け止めたらいいのかも分からない。怒りも憎しみもあるけれど、そうやって変わらないで居てくれることは、思考を放棄する上では楽でもあって。

 考えない。感じない。それが一番効率的なんだって、この数年で気付いてしまった。心を殺してやるべきことだけに全てを捧げる。これからもそうやって与えられた責務さえ果たせれば、少なくとも居場所を失うことはない。

「…」

 国の紋章が入った送迎車を見つけ、足を踏み出す。強い太陽光が視界を白く焼いた。


     * * *


 初めて言葉を交わした時のことをよく覚えている。

 初等学校に入って最初の頃のこと。誰も彼もが、王家の子だという分厚いフィルターを通してしか話をしてくれなくて、それがどうにもつまらなくて、俺は色んなことを試した。横暴になってみたり、揶揄ってみたり、逆に下手に出てみたり————でも、皆はそんな俺の迷惑な行動にも文句一つ言わず、全てを受け入れて許した。

 もしかしたら、友人というものへの憧れは叶わないのかもしれないと、幼心に諦めを覚えようとしていた時。

 ————『みんなを振り回して楽しい?』

 俺にそう冷たく言ったのが、ユリアだった。

 ユリア・ブランドール。ブランドール子爵家の一人息子。

 君が王子だから何も言えなくてみんな困ってるんだ、とユリアは淡々と言った。正義感とも少し違う雰囲気のその指摘に俺が何も言えずにいると、ユリアは話は終わったとばかりにその場を去ろうとした。

 そんなユリアを慌てて引き止め、話をした。ユリアは終始あまり興味がなさそうで、でも、俺はそんなユリアの興味をどうにか引きたくて、魔法を見せた。

 王家の血が流れる者にだけ使える、魔法という特別な力。普通はおいそれと使ってはいけないものだが、特異体質の俺にはその制限がなかったから、その時に使えた一番派手な魔法をユリアに見せた。

 その瞬間、その目の色が変わった。ユリアはキラキラと散る光に手を伸ばして、綺麗だと溢した。アメジストのような瞳が煌めいて、光に透ける金色の髪が風でふわりと靡いて————その時のユリアの横顔は、今でも鮮明に思い出せる。

 その日から、俺はユリアに付き纏った。最初こそユリアは面倒くさそうにしていたけれど、気付けば二人で一緒に居るのが当たり前になっていた。

 ユリアは真面目でクールだった。俺がはしゃいで羽目を外すと呆れた顔をして、でも結局は一緒に腹を抱えて、バカじゃないの、と笑ってくれた。やりすぎて二人で先生に叱られたことも何度もある。その度に、お前のせいで怒られた、とユリアは不機嫌になったけれど、謝って機嫌を取っているうちに、気付けばまた二人で笑い合っていた。

 俺は、ユリアと過ごす時間がとにかく楽しくて仕方がなかった。自覚はなかったけれど、この時にはもう、俺はユリアに心奪われていたのだと思う。

 ユリアが笑ってくれると嬉しかった。一緒にすること全てに心が躍った。ユリアが隣にいるだけで、世界はキラキラと輝いて見えて————だから。

 ずっと一緒に居たいと、そう、願ってしまった。

 願いは、簡単に叶った。ユリアの人生を犠牲にして。

 そんなつもりはなかったんだ。でも結果、俺の選択はユリアのその先の未来を奪ってしまった。

 俺には、王位継承権が与えられていた。現王からの命で、別に望んで手に入れたものではない。最も優れた魔法の使い手を王とするというのが、人々を脅かす悪魔が蔓延るこの国の、古くからの習わしだった。

 王位継承権を持つ者たちは、それぞれ騎士を連れて王宮入りする。花騎士と称されるその特別な役は、護衛や戦闘以外にも、側付きとしての役目もあった。

 だから、ユリアが花騎士になればずっと一緒に居られると、そう言われて————俺は、その選択をしてしまった。

 まだ短い俺の人生の、最大の過ちだ。

 ユリアは花騎士となるために初等学校から転校させられ、十歳にして全寮制の騎士学校への入学を命じられた。王家が下した決定ゆえ、おそらくユリアに選択権は無かった。

 それから、ユリアは、少しずつ変わっていった。

 入学して一年で、笑わなくなった。

 二年経つと、俺を見る目に怒りや憎しみが浮かぶようになった。

 そして、三年目の途中で、顔を見たくない、と言われた。

 俺が訪ねると、ユリアはその意思に関わらず無理やり引っ張り出されてしまう。だから、面会は望まず、ささやかな花束や果物、そして短い手紙を送るだけにした。本当は、それすらもユリアにとっては煩わしかったかもしれない。でも、ユリアとの繋がりが完全に途絶えてしまうのが怖くて、俺は俺の為にユリアに一方的な連絡をし続けた。

 一度、ユリアが辞めたいのなら辞めさせたい、別の騎士を選ぶから、と両親に言ったこともあった。しかし、学校側に確認を取っても、ユリアにその意思は無いとだけ返され、彼を解放することは叶わなかった。

 ユリアが何を考えて、どんな気持ちでいるのか、俺にはずっと、分からなかった。

 そして、入学から五年が経って、ユリアも俺も十六になった時。

 唐突に、ユリアから連絡が来た。話がしたい、と書かれた手紙を見た瞬間、喜びと不安で胸がいっぱいになって————居ても立ってもいられず、すぐに会いに行った。

 三年ぶりに会ったユリアは、色のない目をしていた。

 全部諦めたみたいな、光の無い目。宝石のようだった薄紫色の瞳は、冷え切っていた。

 本当にユリアの全てを奪ってしまったのだと、その時に改めてその現実を目の当たりにした。

 それ以降、半年に一度ほど顔を合わせるようにはなった。当然、会ったら話もした。しかし、俺たちの間にはずっと、頑なな壁が聳え立っていた。

 もう、何年もユリアの笑顔を見ていない。無表情ではないが、常に分厚い仮面を被っているみたいだった。怒りでも憎しみでも構わないから、感情を見せてくれた方が、ずっと、ずっと良かった。

 ユリアが抱える苦しみの一片も見せてはもらえない。どんなに手を伸ばしても、閉ざされた心に俺の言葉が届くことは、ついぞ無かった。

 そしてこの春、ユリアは騎士学校を首席で卒業した。その努力は並大抵のものではないだろう。一体何がユリアにそこまでさせたのかすらも、俺には分からなかった。

 この八年間のことが知りたい。そして、どうかまたユリアに笑ってほしい。自分に向かって笑いかけてほしいなんて望まないから、せめてその心が少しでも柔らかさを取り戻すことを願って止まない。

 俺にとって、どうしたってユリアは特別だった。

 特別大切で、愛おしいと思う人だった。

 今日、ユリアを花騎士として迎え入れる。まだこの新たな関係は始まってもいないけれど、俺の頭にはそれを終わらせることしかなかった。望まぬ騎士の役目から解放してやること————それだけが、俺がユリアの幸せのためにしてあげられる唯一のことだと思っていたから。

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