第四話 待ちぶせの理由
「……犯人?」
「年末に起きた、例の通り魔事件のことですよ。表向きは酔っ払い同士の喧嘩になってますけどね。ずっと追跡していた犯人をとうとう検挙できて、我々もホッとしてたところです」
「え……」
俺の驚いた様子を見て、キップスは不思議そうに説明してくれた。
「ほら去年の秋頃から、うちの隊長が夜の街を巡回してたでしょう? 見回りの途中で時間が許す限り、セディウスさんをご自宅までお送りしていた、とうかがいましたよ。通り魔は深夜に出没するから、仕事で帰りが遅くなるセディウスさんのこと、隊長もずいぶんと気にされてましたからね」
「そう、だったんですか……」
「あれ? 隊長はセディウスさんにお話ししてるとばかり……これは失礼しました! あ、でも犯人も捕まったことですし、もう何も心配ありませんから!」
「はあ……」
よかったですね、と同意を求められたが、まさに寝耳に水の話で、ショックのあまりその後何か話しかけられたが、まったく頭に入らなかった。
(通り魔なんて、初めて聞いたぞ……)
キップスと別れた後、広場の時計は正午近くを指していた。本当に正午に迎えに来るのかわからないが、約束の時間が迫っていたため、急ぎアパートへ戻ることにした。
俺は荷物を抱えて忙しなく足を動かしながら、頭の中はまだ混乱してた。
(アーベルさんが夜、店の前で俺を待ちぶせしていたのは、通り魔を捕まえるためだった? そのついでに俺を送ってくれてたってこと? でも犯人が捕まったから、もう心配ないから、だから最近来なくなったんだ……そっか)
ようやく理解できた。アーベルは職務をまっとうしただけで、やはり特別なことは何もなかったのだ。俺は気が抜けると同時に、変な虚無感を覚えた。
やがて大通りから細い裏通りに入ったところで、安アパートの前には不釣り合いな、御者付きの立派な馬車が一台停まっているのが見えた。恐る恐る近づくと、馬車の扉が開いてアーベルが現れた。今日は制服姿ではなく、深い藍色のロングコートに、黒い手袋をはめている。普段着だと思うけど、俺の目にはきちんとした格好すぎて見え、なんだか気後れしてしまう。
「……出かけてたのか」
「あ、うん……」
いつから待っていたのだろう。馬車から降り立ったアーベルは、まごまごしている俺から、ほぼ強引に荷物をうばうと、アパートの玄関へ向かって歩き出した。だが扉の数歩手前でピタリと足を止め、問うような視線を俺に投げる。
「……あ。今、鍵開けるよ」
まだキップスの話が頭からはなれず、ぼんやりと扉を開けると、アーベルはゆっくりと建物の中に足を踏み入れた。
「ここが、君の住むところか……」
アーベルは辺りを見回しながら、あっけに取られた表情を浮かべた。せま苦しい玄関ホールは、常に薄暗くてほとんど光が差しこまないため、陰うつとした雰囲気がただよっている。玄関口の真上に垂らされた電球は、先月から切れたまま放置されてるし、床板はこげ茶色にくすんで腐りかけていた。
「ええと、俺の部屋は二階だから、こっち」
「ああ……」
年季の入った木造の階段は、一段登るごとにギシギシときしんで嫌な音をたてる。築何年だか知らないが、賃料が格安な木造アパートなんてこんなものだろう。しかしアーベルは、ショックを隠しきれない様子だった。
(あんな立派な馬車に乗ってる人にとっちゃ、このボロさは衝撃かもな)
ようやく部屋に到着すると、アーベルは閉めた扉の内側で荷物を抱えたまま、所在なさげに立ちつくした。部屋の中にはベッドの他に、椅子代わりに使っている野菜が入っていた古い木箱しかない。
「悪いけど、うち椅子がないんだ。先に荷物片づけちゃうから、そこのベッドにでも座って待っててよ」
俺が荷物を片づける間、アーベルはベッドには座らず、部屋の中を物珍しそうに歩き回っていた。窓枠に手をかけて何かを確認したり、暖炉の中をのぞいたりと、謎の行動を取っていたが、俺が片づけ終わるタイミングで再び扉の前に戻った。
「この扉の鍵は? 金具が外れてるようだが」
「ああ、この間壊れちゃったんだ」
「……防犯上、問題だろう」
「見てのとおり、うちに泥棒なんか入ったって、盗るものなんて何もないよ」
「そういう問題ではない。君の身に危険が及ぶかもしれない、という意味だ」
そうつぶやいたアーベルの顔が苦しそうにゆがめられ、ああ気を使わせてしまったなあと思う。
(やっぱ、外で待っててもらえばよかったな)
こんな風に心配されても、どうしようもないんだから困る。
「あー、うん……あとで修理しとくよ」
「それから窓にも鍵をつけたほうがいい」
「んー」
「今日中だ。私が手配をしておく」
また勝手なことを、と少しだけムッとしてアーベルの顔をにらんだ。
(通り魔は捕まったんだから、もう心配する必要ないじゃないか)
たしかにこの辺りは、あまり治安がよくない。だからこそ家賃の相場も、それに比例して格安だ。安アパートだから、俺もなんとか部屋を借りられる。
でもそんな説明しても、目の前の男は納得しないだろう。
「じゃあ悪いけど、鍵の件よろしく頼むよ。後で工事費、請求してくれ」
「ああ」
俺の言葉に、アーベルは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「では、遅くなる前に出かけるぞ」
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