特別じゃない贈り物

高菜あやめ

第一章 0時5分の待ち人

前編

 夢を失ったわけでも、希望を捨てたわけでもない。ただ深く考えることを放棄しなくてはならないほど、今の俺は仕事に追われていた。


 ここロッサ通りは、バルテレミーの城下町でも、飲食店がひしめき合うもっともにぎやかな歓楽街の一角だ。この通りに面した某大衆食堂の厨房で、俺は皿を洗いながら一年の終わりを迎えようとしていた。

「セディ、皿足りねえぞ!」

「はいっ、今そっちに持ってきます!」

 凍えるような寒い日でも、いつだって厨房は絶え間ない注文と怒声が飛び交い、さまざまな料理の匂いと熱気でもうもうとしてる。止まらない汗は、間違っても料理に落ちたりしないよう、額に巻いたバンダナに吸わせ、首にかけたタオルでせき止める。さえない麦わら色の髪は、しばらく切ってないから襟足を超えてボサボサだが、汗で首にはりついて邪魔にはならない。それより汗が目に入るほうがこわい。めっちゃ痛くて、ただでさえきつい印象のルビーレッドの瞳が、寝不足で白目が赤くなることでより強調されて目立ちするから嫌なんだ。

 俺の一日は、朝六時の床掃除からはじまる。それから薪をくべて火をおこし、野菜を水洗いする。昼の開店時間から夜の閉店時間に向かって、厨房では忙しさに拍車がかかるので、息をつく暇もない。午後十一時に閉店してからも後片づけに追われ、片づけの合間にありあわせで用意されたまかない飯をかきこみ、さらに翌朝の仕込みを手伝い、ようやく店を出るころには日付をまたぐ。

(今日のまかない、うまかったな)

 年末のお祭り騒ぎとあって、いつもは野菜と肉の切れはしを煮込んだスープと硬いパンひと切れなのに、めずらしく小さな骨付きの炙り肉が出された。仕事の合間にあわてて食べたせいで、口の中をちょっと火傷してしまったが、かんだときにあふれ出た肉汁に舌がとろけそうだった。

 思い出して小さくふふっと笑うと、裾がすり切れたコートを着こみ、穴のあいた手袋をはめて裏口から外へ出た。夜空はくっきりと澄みわたり、星がキラキラとまたたいてる。

 ハアッと白い息を吐くと、体のしんまで冷えてきそうだ。早く家に帰って、温かい寝具にくるまりたい。近見を使おうと、ひと気のない通りを足早に横切ろうとしたら、前方からのびた影に阻まれた。

「いつもこんな遅くまで働いているのか」

「……アーベルさん」

 街灯の向こうから現れたのは治安部隊の隊服姿の、背が高い男だった。さいきん俺がもっとも苦手としている人物だ。

「いつもこんなに遅いのか、ときいてる」

「今夜は年末だから、お客も多くて忙しかったんです」

 威圧的な話しかたは、まるで役人の尋問みたいで、一日中立ち仕事で疲れきった気持ちをいらだたせた。実際このベルンハルト・アーベルという男は、市井の治安と警備を司るバルテレミー第五部隊の隊長だから、言葉通り役人の尋問といえるだろう。

 アーベルは分厚い制服のコートをひるがえし、道を急ごうとした俺の前に立ちはだかった。鋭いアイスブルーの瞳に、銀色に輝く髪が野生の狼みたいで、ただそこにいるだけで妙に迫力がある。

 しかし、もともと田舎の森育ちで野生動物に慣れている俺にとっては、ただ口うるさくて面倒な相手にすぎない。

「だから今夜は特別で」

「今夜だけではないだろう、セディウス・ゾルガー。いつまでもそのような働きかたをして、ただで済むと思ってるのか」

「いつもは、ちゃんと規定の労働時間は守ってますってば……」

「それは調査すればわかることだ。君が違法な長時間労働をしていると判明されれば、店は営業停止を免れない。そうなれば君だけの問題ではなく、他の従業員も職を失うことになる」

 俺は一瞬目の前が真っ暗になり、体をふらつかせた。とっさにアーベルが手を差し出されたけど、それを避けるように体を後ろへ引いた。

「きったねぇ……おどす気かよ」

「おどすつもりはない。事実を述べただけだ」

「それがおどすっつーんだよ。なんだよ、いいだろっ……こんなこと、このあたりの店は、どこも同じことしてんだろ」

「なぜ労働時間に上限が設けられているのか、君は本当に理解しているのか。人の体には限界があり、心身ともに健康を保つには一定の休息が必要だ。軍隊だってよほどの事情がないかぎり、定められた規則にしたがって休息を取るものだ」

 この国では労働基準法に則り、労働時間の上限が定められている。しかし労働者の合意があり、かつ雇用主が『適切な』給金さえ払えば、規定の労働時間を超えて働くことは禁じられてない。よって出稼ぎにやってきた者や日雇い労働者はもちろん、健康と体力に恵まれた者は、ほぼ無制限に働ける。

 ただ貧富の差は、特にこの王都において著しく、法律は雇用主にとって有利に働く仕組みになっていて、労働者が過酷な労働時間を強いられる事態は、当然のように横行していた。

「だからって、わかったような口きいてんじゃねーよ。俺たちの事情なんて、なにも知らないくせにっ……あの店クビになったら、行くとこなくなっちゃうだろ!」

「労働局の相談窓口に行けば、もっとまともな働き口を紹介してもらえるはずだ」

「それが無理って言ってんだよ。俺は学もないし、ツテもコネもないから、いろいろ難しいんだよっ……いいからそこどけよ。早く家に帰って寝たいんだ」

「夕飯は食べたのか」

「あたり前だろ。忙しくたって、まかない飯ぐらい食わせてもらえるわ! 今日なんかな、骨付きの肉が出たんだぜ。すっげーうまかったんだからな」

「……先週会ったときよりも、さらに痩せたようだ。それにそのコートは、今の季節にはいくらなんでも薄すぎるだろう」

 俺は彼の視線を避けるべく踵を返すと、逃げるように走りだした。

「セディウス・ゾルガー、待て!」

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