パラリンピックにも注目しないのなぜ?おっさんの疑問

白鷺(楓賢)

本編

オリンピックが開催されるたびに、全メディアがこぞってその熱狂に巻き込まれる。テレビやネット、新聞、雑誌といったあらゆる媒体が放送権を競い合い、アスリートたちの活躍を大々的に報じる。スポーツにあまり興味のない私でさえ、たまに観ると心にグッとくる瞬間があり、その熱気や感動に引き込まれることがある。


しかし、ひとつ大きな疑問がある。オリンピックが終わった後に続くパラリンピック。選手たちは同じく全力で競技に臨んでいるのに、何故その盛り上がりはオリンピックほど感じられないのだろうか?これは子供の頃から感じていた疑問であり、今もなおその答えは見つかっていない。


パラリンピックが放送されることはあるが、その扱いはオリンピックとは大きく異なる。放送時間も限られており、取り上げられる競技もほんの一部に過ぎない。これでは、多くの競技や選手たちの努力が十分に伝わらない。メディア全体に漂う関心の差を強く感じる瞬間だ。


オリンピックとパラリンピックの選手たちは、どちらも同じように自分の限界に挑戦し、競技に全てを賭けている。それなのに、なぜメディアの注目度がこれほどまでに違うのか。パラリンピックの選手たちが必死に頑張っている姿は、オリンピックと同様に感動を呼ぶものであるはずなのに、その魅力が伝わりにくい現状に私は非常に違和感を覚える。


さらに言えば、身体障害者に対するメディアの扱いも、稀に特集が組まれる程度であり、精神障害者に関してはほとんど取り上げられることがない。精神障害者もまた、多くの困難を抱えながら日々の生活に立ち向かっている。彼らが持つ苦悩や努力は目に見えにくいかもしれないが、その苦しさや挑戦は決して軽視されるべきではない。


この温度差は、社会全体が障害者に対する関心を欠いていることの現れではないだろうか。日本では、障害者への支援は後回しにされているように感じることが多い。その姿勢がメディアにも反映され、障害者に関する報道が少なくなっているのではないかと考えてしまう。


私たちが社会全体で障害者への関心と理解を深め、彼らの生きづらさを少しでも軽減するためには、まずメディアがその役割を果たす必要がある。パラリンピックのように、注目されるべき場がしっかりと取り上げられ、障害者の努力や活躍が広く知られるようになれば、社会も少しずつ変わっていくのではないかと思う。


テレビを観ていて、ふと感じたこの疑問が、私の中でいつしか強い思いに変わっていった。生きづらさを抱える人々の声が、もっと届く社会になってほしいと願っている。メディアが目に見える感動だけでなく、見えにくい場所で戦っている人々の姿もきちんと伝えられるようになれば、少しでも生きやすい社会が実現するのではないか。そう信じて、私はこの疑問を抱き続けるのだ。

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