第49話  ラベンダーの花園にはラベンダーがいっぱい


「卯花ぁぁぁ!!! 向こうに着いたら! 話があるんだけど!!!」


「ええ!? なんですか!!!???」


 頭上では、わんわんと巨大な風音が響いていた。

 そのせいか、正面の席に座る部長が何かを言っているようだったけれど、何も分からない。


「だからぁぁ!! 話があるんだって!!!」


「聞こえないんですよぉ! だって! ここ! ヘリの中じゃないですかぁぁ!!!」


 そう。俺たちがいたのは、上空だったのだ。

 高度にして、三千メートル。正直、高所恐怖症でなくとも下を見れば足がすくむくらいの高さだ。


 ひえー、おっかねー。なんて思いながら、下を見てると、隣の先輩が脇腹の辺りをつんつんと突いてきた。


「礼君。お昼はどうしようかしら?」


「そうですね。折角の北海道ですし、味噌ラーメンなんていいですね」


 あー、食べたい。セットでザンギとかあれば最高だ。あとは、ご当地関係ないけど高菜チャーハン。


「なんでそっちの会話は伝わるんだよぉ!」


 顔を真っ赤にした部長がまたも何か言っていた。ほんとのほんと本当の本当に聞こえない。


「えっ!!?? なんですって!?」


 むすっとした顔をして、部長はそっぽを向いた。くっ、聞こえない。俺のせいなのは明白だ。

 そして、またも脇腹を些細な感覚が伝う。


「礼君。茉利理の隣に座ってあげて? きっと大切なことだから」


「ええ。分かってます。そうしようと思ってたところです」


 表情を見れば、それくらい分かった。いくら二股を掛けているクソ野郎でも、だ。


「すみません、部長。話聞かせてください」


「何がー? なんのことかわかんないんだけどー」


 とんでもなく棒読みだ。それにそっぽを向いたままだし、きっと拗ねているのだろう。これは、俺が悪いなぁ。


「ほんと、すみません。部長の話が聞きたくて堪らないんです。お願いします! バカで耳の遠い俺にもう一度だけチャンスをくれないですか?」


「……一回だけだから」


 ようやく部長はこちらを向いてくれた。


「はい、この命に変えても聞き取ります!」


「じゃ、じゃあ言うから」


「はい! お願いします!」


「……その、お前さ。あたしのこと、部長って呼ぶじゃん?」


 うむ。その通りだ。この二年はずっとそう呼んでいる。


「なのに、さ? 紫苑のことは名前で呼ぶじゃん?」


「そう、ですね」


 確かにそうだ。それが体育祭後に紫苑先輩に頼まれたことだし、俺もそう呼ぶことで少しでも距離が近づけばいいと思っていた。

 それが多分嫌なのだろう。


「だから、部長のことも名前で呼べって、話ですよね?」


「……むぅ、もういい。分かんないならそれで終わりだから」


 部長はそのまま、またそっぽを向いてしまった。

 結局、ヘリコプターが目的地に到着するまでの一時間半。なんとなく気まずくなってしまった機内にただただ座っているしかなかった。


………

……


「着きましたね」


 大きく息を吸い込んでみる。鼻の中に広がったのは、爽やかですっきりとした良い香り。流石はラベンダー。洗剤や香水で使われたりするだけはある。


「こう見ると、写真よりもずっと壮大ね」


 先輩は目の前に広がる広大なラベンダーの園に少し驚いたようだった。けれど、その表情はというと何処か晴れない。


「ぶ、部長」


 部長はと言うと。


「何? 卯花君。あたしに何か用かな?」


 まるで、出会った頃のように敢えて俺との距離を置いてくる。

 顔は笑っているが、絶対に心は笑っていない。


「紫苑先輩、ちょっと」


 先輩に耳打ちをする。


「何かしら?」


「五分だけ、部長と二人で話してもいいですか? 今のままだと俺も部長もきっと楽しめないので」


 そう言う。すると、先輩はふっと小さく笑う。それが俺には少し自嘲的に見えた。


「私が断れると思う? 私たち二人と付き合って、なんておかしなことを言い出して、貴方と茉利理に負担を強いてる私に」


 きっと気になっていたんだろう。ヘリコプターに乗っていた時から。

 俺と部長の空気が悪くなってしまったのをきっと自分のせいだと。


 先輩はクールでいつだって冷静に見える。他人からすれば、冷たく感じるくらいに。けれど、本当は何かあった時、いつだって、自分を責めてしまう人だ。

 でも。


「……先輩。それは違います」


「何、が?」


「今、紫苑先輩と部長と付き合ってるのは、俺が二股掛けてるクソ野郎だからって話です。ですから、紫苑先輩が自分を責める理由なんて、一つもないんですよ」


 俺が選んだ結果。いや、俺が二人のうちどちらかを選べなかった結果が今のこの現状なのだ。だから、先輩は悪くない。


 もしも、本当にもしも、先輩が何か少しでも悪かったとしても、それの何倍も俺が悪い話だ。


「……ごめんなさい。ありがとう。礼君」


「いえいえ、謝るべきもお礼を言うべきなのも、ずっと俺ですよ。それじゃ、ほんのちょっとだけ待っててくれますか?」


「うん。分かった」


「では」


 俺は先輩と頷き合ってから、少し前を歩く部長の隣へと小走りした。


「なに? 内緒話は終わったの?」


 やっぱり不機嫌だ。俺のせいで。


「部長、手を繋ぎませんか?」


「……っ。いい、けど? 卯花がどうしてもって言うなら?」


 部長はもじもじとしながらも、そっと左手を出してくる。


「どうしても、したかったんですよ。俺。ありがとうございます」


「茉利理、礼君。私、少しお手洗いに行ってくるわね? すぐ戻るからこの辺りで少し待ってて?」


「あ、うん」


「はい。分かりました」


 先輩は気を利かせてくれたみたいだった。それじゃと先輩はそのまま来た道を引き返していく。その背中は少し寂しげで、胸がきゅっと痛くなった。……後で絶対埋め合わせをしなければ。


「それで? 手なんか繋いできて、なんのつもり? 今更機嫌取ろうったってそうはいかないから」


 部長そう言いながらも、先ほどよりよっぽど上機嫌だ。もしも、犬の尻尾が生えていれば、ぶんぶんと振り回しているに違いない。

 とはいえ、だ。


「まずは、すみません。さっきは」


 ヘリの中でのこと。きっと自分の発言が良くなかったから。


「……別に、怒ってない」


「それでも、よくは思わなかった。でしょ?」


「……まあ、それは。うん」


「俺、勘違いしてたみたいです。一年半も一緒にいて、部長の好意にも気づいてあげられないような馬鹿だから。部長のこと名前で呼べば、嫌がるかもって思ってました」


 連なったラベンダーの紫が風に吹かれて、海面に波が立つようだった。

 紫や黄色、ピンク。いろんな色があって、どれも等しく美しい。


「俺にとって、部長も……いや、茉利理部長も紫苑先輩も二人とも俺にとっては大切で、必要で、何物にも変え難い大好きな二人です」


「……うん」


 陽光は暖かく、けれど風はつんとした冷たさを秘めている。


「だから、俺が原因で傷つけてしまうなら、俺は正直生きていられない」


「大袈裟、だな」


「本気なんですけどね。まあ、俺が空気も読まずに茉利理部長の名前を呼んで、嫌な思いだけはさせたくなかった。ほんと、気が利かなくて、すみません」


 深々と頭を下げる。これくらいしか、今はこれくらいしかできないけれど、どうか許して欲しい。


「お前さ、なんか勘違いしてないか? 卯……いや、礼!」


「茉利理部長?」


 突然名前を呼ばれて、正直少し驚いた。下げた頭を上げると、部長は顔を真っ赤にしていた。


「──好きなやつに、名前を呼ばれて喜ばない奴なんていない。お前も、そうだろ?」


 確かに、驚きはすれど、不快だなんてとても思わなかった。


「そうですね。茉利理部長」


「あと、部長ってのもなし! それだとあたしとお前がただのサークル仲間見たいだろ?」


「なら……茉利理?」


「それだと、紫苑が不機嫌になる。それに、お前が常に呼び捨てなんてどうせ出来ない」


「なら、なんと呼べば?」


 さん? または様? いろんな敬称が頭の中を駆け回る。


「あたしのことも、先輩でいい。茉利理先輩っ! これでいい!」


「了解しました!」


「さ、早く紫苑のところに戻るぞ。あたしのせいで次は紫苑が不機嫌になったら、収集つかないだろ」


「はい! そうですね! その時は俺は腹を切るかもしれません!」


 そうして。

 俺と部長こと……茉利理先輩は手を繋いだまま、来た道を大急ぎで走り出した。紫苑先輩を待たせたくなかったから。


 にしても、ちょっとだけ思っていたことがある。

 ……あのヘリは茉利理先輩の知り合いの所有物だそうだが、それは本当なのだろうか? 

 きっと、真実は神のみぞ知る。ふっ、そんなところか。

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