第27話  ヤンデレクール先輩と男勝りな部長の話


「え、えーと。どういう、状況ですかね」

 

 何が何だか分からないまま店を出て、俺たち三人はいつか行った居酒屋へと入った。

 時は九時過ぎ。店内は既に、サラリーマンやら俺たちと同じ年頃の大学生やらで混みいっていた。

 俺たちは、四人掛け座敷席に座っていた。

 

「さっき言った通りよ。その……礼君。ごめんなさい、一度私と別れてくれないかしら?」


「一度? ですか?」


「ええ。一度」


 今先輩は言った。何か事情がありそうな口振りだった。

 そして、それは先輩の隣。先程からもじもじと押し黙ったままの部長が関係しているらしい。というか、しているのだろう。


「どんな事情が……いえ、はい。分かりました。別れま……」


 言いかけたところで、全身の鳥肌が尻を蹴り上げられるように立ち上がった。

 さ、殺気っ!? 恐ろしく鋭いナイフのような!


「礼君は……私と別れても平気……なのね。へぇー」


 あまりにも強力な負のオーラ。先輩、わしより強くね?


「……いや、そういう話ではなくてですね? いや、俺も俺なりに考えたんですよ? 勿論」


「そうよね、考えてくれたのよね。……ああ、この女重いな。とか」


「いや、違いますって! 何か事情があるんじゃないかって思ったからです!」


 部長の気持ちを知ってしまったというのも、もしかしたら何か関係があるのではないかと、正直少し怖かった。

 そんなことを考えていると、顔を上げた部長。ちょうど目が合う。


「……なんで、来たんだよ。卯花」


「え、えぇ」


 え? 誰? 部長の赤らめた顔を少しだけ逸らす仕草や、尻すぼみで自信なさげな弱々しい言葉。それはあまりにも……。


「乙女過ぎません?」


「悪いかよ! あたしゃまだうら若き乙女だ! ……だから、人を好きになることだってある」


 部長は赤い顔のまま、テーブルの上の茶色い液体の入ったグラスを掴む。


「あ、茉利理。それ」


「部長! 飲むやつ間違えてますって!」


「ええい! 素面でいられるかぁ!」


 部長は一気に飲み干す。

 少し気づくのが遅かった。今部長が飲んだのは麦茶ではない。

 それは、先輩のウイスキーだ。そして、不味いことになった。何せ、実は部長は酒に強くない。

 サークルの飲み会でも度数の低いお酒をゆっくりと飲んでいるような人なのだ。


「……ひくっ。あー、なんか急激に眠い。眠いぞぉ、ベッドはどこだ、爺や」


「部長。俺は爺やじゃありません」


「そうかぁ? そうだなぁ。ところで、爺や。お前、若返りの薬でも飲んだのか?」


「いや、俺は爺やじゃないんですって」


 部長の顔は確かに元々赤かった。だが、今や耳の先まで真っ赤。


「ぶ、部長? 大丈夫ですか?」


「あ? お前、卯花かぁ。たくよぉー、お前はなんであたしのこと部長、部長って呼ぶんだぁ? こら」


 ダメだ、完全に出来上がっている。


「茉利理? 本当に大丈夫?」


「紫苑もよぉ。あたしに胸を半分分けてくれよぉ。うぅ……」


 ナイーブだ! 凄くネガティブだ! これはSSRな部長だ!


「す、すみませーん! 水! 水お願いします!」


 呼ぶとすぐさま、運ばれてきた。俺と先輩は協力して、部長に飲ませる。

 一息ついて、これで少しはまともに。


「おい! 卯花ぁ! 踊れぇ!」


 ダメだこいつ。


「礼君。ここは一旦帰りましょう。茉利理は私の部屋で寝かせるわ」


「そ、そうですね。流石にこれは」


 その後、お会計を済ませ、俺たちは店を出た。近くを通りかかったタクシーに乗って、どうにか先輩の家まで辿り着く。


「酔ってない! 酔ってないぞぉ! いひひひ!」


「はーい、部長。一旦横になりましょうねー」


 肩を貸して部屋に入ってすぐ、部長をリビングのソファーに寝かせる。本当ならベッドで寝かせてやりたいところだが、何かあった時に、目が届くところにいてくれた方がいい。


「……さて。と」


 すやすやと寝息を立て始めた部長を尻目に、俺は椅子に腰を下ろした。


「礼君。何か飲む? ココアでいいかしら?」


「はい、ありがとうございます」


 ココアを飲みながら、ほっと一息ついたところで、俺は尋ねることにした。


「何が、あったんですか?」


 正直に言って、開口一番に別れてくれと言われた時は、膝から崩れ落ちて、陽の光を浴びたヴァンパイヤのように灰になってしまいそうだった。


 けれど、先輩から貰った婚姻届が俺を冷静にしてくれた。


 紫苑先輩は、俺を騙すようなことをするはずがないと。

 ……俺がやっぱりタイプじゃない、とかならどうしようもないが。


「ええ。色々とね。気づいてしまったのよ」


「それはやっぱり……部長のこと、ですよね?」


 脳裏に砂橋の顔がチラついた。


『──なんで分かってやれなかったんだよぉ!』


 あの言葉は正直、随分と堪えた。鈍器で後頭部をぶん殴られたようで、ハッとさせられた。


「そう。茉利理のこと。私とあの子のこと、貴方に話したことはあったかしら?」


「聞いてないです」


「なら、話すわ。それを知らないのに、貴方にこんなことを言うのは、酷だと思うから」


「……はい」


 こんなこと。見当もつかなかったけれど、まずは聞こうと思った。二人の話を。


「茉利理に会ったのは高校の頃。私たちの学校は女子校だったのだけれど、当時の私は……その、人が嫌いでね? 友達もいなかったし、いつも一人だった」


「はい」


「それを不憫に思ったのか、それとも何か他に理由があったのかは知らないけれど、同じクラスになってからは、ずっと一緒に昼ご飯を食べないかと誘ってきたの」


「……部長らしいですね」


 ああ見えて、部長は誰よりも空気が読めている。誰とでも仲良くなれるし、あの明るさは、一緒にいると心が軽くなる。

 ……毛山に対する当たりはなぜか強いが。


「私、そんな彼女になんて言ったと思う?」


 ぐっと先輩が力んだのが分かった。きっと、何か後悔するようなことをしてしまったのだ。


「なんて、言ったんですか?」


「……失せろ。消えろ、近づくな。そんな酷いことを沢山」


「……そう、ですか」


「なのにあの子、全然やめないの。毎日、私の所に来ては、そんなことを言われ続けた。

 ……だから、周りもよく思っていなかったのでしょうね」


 先輩はふっと自嘲的に笑って、ココアを一口飲み込んだ。


「何が、あったんですか?」


「とある日、私の上履きが無くなったの。あり大抵に言うと、いじめと言うやつね。私は別に構わなかった。代わりは学校で借りられたから。でも、茉利理は違った」


「そういう、問題ではないでしょ。それは」


 はらわたが煮え繰り返りそうだった。幾ら、気に入らない人がいたとしても、そんなことをしていい理由は……。


「ほんと、礼君は優しいのね。そういうところも大好き。でもね、それっきりいじめは続かなかったわ」


「……なら、良かった」


 大体、話は見えてきた。そのいじめを止めてくれたのが、部長。だったのだろう。


「ええ、礼君の想像通り。上履きを隠した生徒と、それを空に面白半分で付き合ってた生徒達は翌日、私の元に謝りに来たの。頬を真っ赤に腫らしてね」


「……流石は部長」


 そんじょこそらの男なんかよりもよっぽど男らしい。


「それから、私は茉利理と話すようになって、ご飯も時々一緒に食べるようになった。恩を感じたというのもあったけれど、あんなことを言った私なんかを助ける人に、少し興味が湧いたの」


 それが、先輩と部長の出会いの経緯だった。

 そして、話は本題へと入っていく。


「だからね、礼君」


 突然、先輩はぎゅっと手を握ってきた。お酒が入っているからか、とろんと少し溶けたような先輩の瞳は妙に艶かしくて、ドキドキしてくる。


「は、はいっ!?」


「私は、貴方のことが好き。大好き。正直、自分でも少し怖いくらい」


「勿論、分かってます」


 俺も、先輩のそんなところが好きだ。


「でもね、私は私が幸せになることで、茉利理が不幸になるのは嫌なの。きっと、このまま二人で幸せになったとしても、いつか思い出して後悔してしまうから。それくらい、茉利理のことも大事」


 その目が、何よりもその言葉の重さを語っていた。

 指先は少し震えていて、きっと先輩自身も本当は怖いのだと思った。

 その先の言葉を言うのは。


「だから、ね。礼君」


「はい」


「──とりあえず一旦私との交際を打ち切って、私と礼君。そして、茉利理。この三人で一度、改めて付き合ってみるのはどうかしら?」


………………。



…………。



……ん? あれ、なんか思ってた話と違う。普通、どっちと付き合うのかはっきりしろとか、私と別れて茉利理と付き合ってあげて、だとかそんな話になると思っていたのだが。


「どうかした? 礼君?」


「い、いえ、てっきり紫苑先輩と別れて部長と付き合ってみたいなことを言われると、思ってたんで」


「え? 無理よ? そんなの。だって私、もし礼君に本気で振られたのなら、死ぬもの」


 そう。勘違いはダメだ。

 これは、ラブコメでも青春ものでも、ましてや、三角関係が気になるラブストーリーでもない。

 あくまで、これは。


 ──コメディ、ラブなのだ。

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