第2話 友よ。トイレ徹底抗戦だ。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
誰もいない教室に美人な先輩と二人きり。シュチュエーションとしては、正直期待むんむんであったことは否定しない。
ちゅ、ちゅーとかしちゃうかなーなんて思っていたのだが。
だが!
「ふぅ、ちょ、ちょっと休憩……」
「あら、どうかしたの?」
それに先輩が作ってくれた弁当は、間違いなく絶品だ。冷めているのにサクサクとして香ばしい唐揚げや、体に染み込むようなだし巻き卵も最高。
なのだが……しかし。問題はそこじゃあなかったってわけだ。
「まだ二段目の半分よ?」
「あ、あははー。そっすねー」
弁当箱の二段目ではない。あれだ、あのおせちとか入れる箱、しかも超みっちり入ったやつ。
なんの誇張もなく、胃袋は既に悲鳴を上げ続けている。なんか変な音が先程から体の中で鳴り響いているのだ。
「せ、先輩は食べないんですか?」
「私は礼君を見ているだけで、十分」
おいおい、マジか。そんな現象って起こりうるのか。目で腹は膨れるのか? 少なくとも男ならありえな……いや、夜のおかずならばあるいは。
「……ちょっとお花を摘みに行ってきます」
「ええ。分かったわ」
「すぐ戻ってきますー」
俺はそそくさと近くのトイレへと向かう。
鏡の前に立ち、蛇口から水を掬う。
「あーやばい。マジでやばい」
正直、あの量を全て平らげれば、多分俺ははち切れて死ぬ。または、虹を周囲に撒き散らす噴水にでもなってしまう。
しかして、残すなどと先輩に言えようはずもない。もし言ったとしたら……。
『あら、この私が折角作ってあげたのに最低ね。──貴方の血は何色かしら?』
そうなれば、間違いなく死。しかして、食ったとしても恐らくは前述の死。
どうする。流石にまだ死にたくない。将来は友人の結婚式に出て、代表スピーチでそいつの元カノ一覧表をスクリーンに映し出すくらいして大笑いしてから死にたい。
となれば、手は一つ。俺はスマホを握りしめ、電話番号を叩く。
「へるぷぅ! まいふれんどぉ! また部長に言って他校との練習試合兼コンパを取り付けてやるから助けてくれぇ!」
ガタン。トイレのドアが勢いよく開く。
「呼んだか! マイベストフレンド!」
と晶降臨。
「助けに来たぞ! マイオンリーフレンド!」
と慎二出現。
「おお! お前ら!」
集結。一本の矢では折れてしまうらしいが、これなら……。
「んで、なんのトラブルだ? 礼?」
「うむ。この俺たちを呼び出すとは相当にまずい状況なのだろう?」
「実は、な」
ことの経緯を説明する。すると。
「なんだ惚気か。心配して損したわ」
「ふん。急いできて損したぞ」
二人はため息を吐き、そそくさとトイレから出て行こうと出入り口へと向かった。
「はぁ!? んなわけないだろ! こちとら命懸けなんだよ!」
「へいへい。なら、次は瀕死手前になったら呼んでくれ」
「悪いが、まだ昼のプロテインを飲んでいなくてな」
「ちょ!」
こんこん。扉からノックが響いた。
「礼君? 大丈夫? 体調悪いの? もうトイレに行って8分と23秒よ?」
「ひえ! だ、大丈夫っす!」
「そう? なら、早く食べてしまいなさい、冷める訳ではないけれど、うかうかしていたら三限に間に合わないわよ?」
「うっす! ちょ、ちょっとだけ待ってください!」
や、やばい。結局、何も策を講じていない。
「可愛い彼女が呼んでるぞ」
「早よいけ」
「お前ら少しは話を聞いてくれよ」
「いやいや、たかだか弁当だろ? 文句言わずに食えって。愛がこもってんだから」
「そうだそうだ。だいたい俺は今糖質制限中なんだ。そんな俺にこの話題は失礼だとは思わんのか?」
「いや、食えるならそうしてるって!」
がんっ! ドアが激しく叩かれるような音がトイレに響いた。
「──ねえ、礼君? 誰と話しているのかしら? まさかとは思うけど、私をほっぽって誰かとランデブーって訳ではないわよね? 男友達か、それとも他の女か、どちらかは知らないけれど、もしそうだとしたら……分かるわね?」
「「「……」」」
外から聞こえた一言に、俺を含めた一同は一様に顔を青く染めて言葉を失う。
「お、おい。俺たちまで巻き込んだな、礼」
「くそぅ、これじゃあ出るに出られんぞ。どうする?」
「ふっ、これで一蓮托生だな」
「「お前のせいでな!」」
どうやら多少は危機感を持ってくれたようだ。
「とりあえずだ。慎二。お前はそのバカ筋肉を生かして、ドアを封鎖するんだ。そのうちに俺たちでどうにかする」
「よし、任されよう。なに、女性一人のバルクではこの俺に敵うまい」
マスキュラーポーズをとった慎二はドアノブを固く握る。
「とはいえ。どうするつもりだ、礼?」
「ああ。俺に策がある。その窓から脱出。外壁を伝い、売店に向かう。タッパーを買って先輩の弁当を移し替える。どうだ? 名案だろ?」
「ふっ、たまには頭が回るようだな。礼」
「だろ?」
「だが問題がある」
ピンと指を立てた晶。
「な、なにが!?」
「ここは三階。下は芝生で柔らかいとはいえ、落ちたらやばいぜ? それに俺は高所恐怖症でな、付き合えそうにない」
「ふっ、なんだそんなことか」
「な、まさかお前……」
そんなこと、もちろん想定済みだ。
「俺は昔、パルクールをやっていたのさ」
これは両親にすら言ったことはない隠されし能力。なんなら、高校時代の後半はあれに捧げていたと言っても過言ではない。
「ほう? だからなんなんだ? それが俺や慎二を逃す手になり得ると?」
「いや? だから、逃げれるってだけだ。
──俺はな! お前らは知らん!」
「なっ! 貴様ぁ!」
はっ、いい気味だ。バカどもめ。最初から話をきちんと聞いてくれていれば、この手は使わなかったものを!
「じゃあな! 馬鹿ども! 時間稼ぎは任せるぜ!」
言って、俺が窓を開け放ったその時だった。
「かっは!? なんだこのパワーは!?」
「「え?」」
慎二の体が押され始める。まるで、圧倒的な強者と拳をぶつけ合わせた少年漫画序盤主人公のように。
「あら、ここのドア。妙に重いのね」
……嘘だろ? あのバルクが、テニスをするにはあまりにも重く、女子にモテるにはあまりにもデカすぎる慎二のバルクが、今負けかけているぅ!
「おいおい! 嘘だろ! あいつの背筋は二百キロ越えだぞ!」
「耐えろ! 耐えるんだ!」
もしも、ここで開けられてしまえば、パルクールもへったくれもない。流石に壁の縁を渡るのには時間が足りない。
「み、みんな! 俺に力を分けてくれ! 今一度この筋肉達に応援を!」
その姿はまるで、主人公だ。少年漫画終盤の。
「ああ!」
「まかせろ!」
俺と晶は一度矛を納め、互いに見合い、頷き合う。そして。
「「ナイスバルク!」」
「みんな、ありがとう。──うおおおお!」
まるで、弾けんばかりに肥大化した筋肉は、ドアノブを跳ね返さんと捻りあげる。
「おお!」
「これなら!」
しかし、そう思ったのも束の間だった。
「──ほんと、この扉。重すぎるわね」
「っ!? なんだ、この底見えないパワーは!? まるで、重機のような! くっ! くはぁ! この俺がぁぁ!」
「「し、慎二ぃぃ!?」」
慎二の体はドアが開くのと同時に大きく後方へと吹っ飛び、俺と晶の間を抜けてそのまま窓から真っ逆さまに落ちていった。
「なあ、あれ……やばくねぇか?」
「し、死んだな。あれは。見なかったことにしよう。晶」
「ふう。やっと開いたわね。あら、礼君。そんなところで突っ立ってどうしたの? あと友達の……誰だったかしら」
「あ、晶っす。伊坂 晶。こいつと同じ、学科でテニサーの」
引き攣った顔のまま、晶は会釈する。
「そう。よろしく。……さて、この状況は」
先輩の切長の綺麗な相貌がトイレの中を見まわした。
「ぎ、ぎくっ!」
ああ。神よ。今思えば、こんな美人と付き合えたことが人生で一番の奇跡でした。あーめん。
俺は手を結び、裁きの時を待つ。
「礼君。大丈夫? 扉、壊れているのよね。きっと。だから、開けられなかったのでしょう?」
「ひょ? え、あの怒ってないんですか?」
ん? どういうことだ?
困惑を隠せずにいると、脇腹を晶に耳打ちされる。
「おい、これは怪我の功名って奴だろ。まあ……怪我したのは俺たちじゃないが。今はいいから誤魔化しておけって」
「……た、確かにな」
結果的にいえば、慎二の犠牲は必要だったのだろう。成仏してクレメンス、慎二よ。
「礼君? 違うの? もしかして……」
次第に、先輩の目に疑念のような感情が浮かび始める。
「いやいや! 違います! ほんと扉重すぎて何しても開かなかったんすよ! と、というか逆に先輩、よく開けられましたね……」
「……ふふ。私と礼君の前に立ち塞がるものは敵ではないわ。じゃあ、教室に戻りましょう?」
「う、うっす」
た、助かった。ほっと一息つく。けれど、同時に、気が重くなった。
まだ、戦いは残っているのか、と。
俺は、散っていった戦友へと心の中で敬礼し、教室へと向かった。
「……うっぷ」
クリーム色のカーテンが揺れている。正面ではクールながら何処か機嫌良さそうな先輩がじっと俺を見ていた。
あー、限界だ。そう思ったラインを既に二、三度過ぎている。心なしか箸を握る手も震え始めた。既に、重箱三段目半分。ゴールは見え始めているのに。
「ふー」
なのに、やはり動かない指。それに先輩は何かを察したようだった。
「礼君。もし、食べられそうになかったら言ってほしいの。今回は、その……私としても、少し作り過ぎてしまったような気がして……」
その目からは、不安が伝わってくる。
ああ。そうか。やっと分かった。
先輩はきっと見た目は見たこともないほどに美しいけれど、知的で誰も引き寄せない雰囲気があるけれど。
「先輩……すみません」
誰よりもきっと普通なのだ。だから、自分が作った料理を食べさせるのなんて不安で当然だし、美味しくないって言葉とか、残すっていう結果がどれだけ彼女を傷つけるのか。
「え? なんで礼君が謝るのかしら?」
当たり前のことだけど、簡単なことなんだけど、そんなことにも俺は気づかなかった。
「おりゃ!」
頬を思いっきり叩く。
「ど、どうしたの? 急に」
「いや、男が廃りそうだったんで! 気合い入れただけっす!」
「やっぱり……多かったわよね」
「余裕っす! 余裕! すげぇ美味しいんで、ぺろっと行けちゃいます」
動かなければ、ほんと食えなきゃ、死んだ方がいい。
「……うん。ありがとう。やっぱり、礼君は優しいわね」
「いえいえ、美人な先輩相手に、優しくできない奴なんて男にはいねぇっす」
「そうね。昨日の夜も、礼君は優しかったものね」
ぶっ! むせ返る。先輩の作ってくれた味噌汁でなければ、今頃、マーライオンよろしく噴き出していただろう。
「そ、そうっすかねぇー。あははー」
嘘よな? 嘘やんな? 知らんで、そんな事実は。
「本当よ。まあ、もう忘れてしまったのだろうけど」
「……すみません。事細かに教えてもらっていいですか? 出来れば、昨日出会ってから、今日の朝までに何があったのか」
尋ねると、先輩は顔を真っ赤にして、視線を逸らした。
「わ、私の口からは……その、難しいわね」
あーだめだ。こりゃ、やっぱやってるわ。
でも、まあ。
「そ、そうですよねー。うん。そりゃそうか。ははー」
別に、昨日のことがなくたって。分からなくたって、飯を作ってくれたのなら、残さず食べるのが、男の甲斐性ってものだろう。
先輩の顔を見ていたら、心の底からそう思った。
そんな昼休みだった。
だが、昨日の俺よ。流石に死んだ方がいい。
お前何した?
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