第8話 見てくれる人

「主任、資料できました」

「ん、ありがとう」

「ついでに過去の企画の内容についてまとめておいたものをメールに添付しているので確認お願いします」

「あれをか? 面倒で後回しにしていたが……助かった。後で確認しておく」


 あれから1週間が経った。


 主任は相変わらず言葉に抑揚がない。

 クールで、少し冷たい印象すら感じてしまう。

 だけどあの日の主任を見ているから、言葉の一つ一つがちゃんと誠実で暖かいものに感じられる。


 なまけたものには厳しいけれど、頑張ったものに対しては正当な評価をしてくれるのだ。

 だからなのか、その言葉は信頼できる。

 認められると、心が温かくなって、自分の頑張ってきたもの全てが昇華されていく。


 私はいつの間にかデスク上に差し入れられていた誰かからのイチゴミルク飴に気づくと、それを手に取り自然と頬を緩ませた。


 時々さりげなく差し入れられるそれが、どれだけ日々の支えになっているか。

 嫌われ者の私なんかに。

 きっとこれをくれる人は、優しい人なんだろう。


 これのおかげで、日々の仕事を挫けることなくこなすことができる。

 誰かはわからないけれど、感謝だ。


「水無瀬せんぱ~い。私、今日定時で上がらなきゃいけなくて。ほら、おばあちゃんのことで……。この仕事、あとお願いしますぅ」


 今日も?

 優悟君と佐倉さんの密会の日から毎日だ。



 あの日の翌日、自分に割り当てられた仕事はきちんとしようね、と声をかけたけれど、彼女の中で私の言葉なんてないようなものだったみたいだ。


 新人期間を終えて、自分からやりたいと仕事を引き受けたにもかかわらず期日までに終わらせないままに定時上がりだったり、午後から休みを取ったりと、仕事を投げ出す日々が続いている。

 きっと優悟君とのデートやそれに向けてのヘアサロンやネイルに時間を費やしているんだろう。

 ということは今日も……。


 あの日から優悟君はしきりに私に話しかけようとしてくる。

 だけど仕事中に、今までずっと内緒にしていた私との関係を口にするわけにもいかない彼とは、結局二人きりでプライベートな話をすることもなく今に至る。

 LIMEのメッセージで、私と話したいという内容のメッセージは届いているけれど、私は当然断り続けている。


 それはどこかの誰かの仕事のしりぬぐいで残業しなければならないこともあるから、というのもあるけれど……何を離せばいいのかわからない、という情けない理由もある。

 見た目は変わっても、内面はまだまだくらげのままだ。


「先輩? 聞いてます~? じゃ、よろしくお願いしますね?」

「っ」


 ぐっ……と無意識に自分の拳に力が入る。

 手のひらに握りしめられる小さなイチゴミルク。


 うまく言葉が出てこない自分が情けない……。


 私が悔しさに唇を噛み締めた、その時──。


「その仕事はお前がやるべきものだ。水無瀬に投げるな」

「しゅ、主任っ」


 背後から現れた般若のような顔の主任に、私たちは揃って肩を跳ね上がらせた。




「で、でもっ!! おばあちゃんの病院がっ……!!」

「今日はどこの病院も午後は休診だ」

「わ、わからないじゃないですかそんなのっ!!」


 すごい……あの主任に強気な態度……!!

 きっとこの場にいる誰もがそう思ったことだろう。

 誰も口答えすることのできない主任にこんなに言い返せる新人、そういない。

 だが次の主任の言葉で、佐倉さんの顔が色を無くすことになる──。


「お前の祖母のかかっている病院もそうだ。母親に確認を取ったが、祖母は月に一回の病院で、母親が欠かさず連れて行っているとのことだが?」

「っ……それは……」

「いったい、誰と、どこに行っていたんだろうな?」

 鋭い視線が佐倉さんをとらえる。


「~~~~~っ、しゅ、主任、プライバシーの侵害です!!」

「他の者にこれだけ害が及ぼされているんだ。なんとかするのが上司だろうが。もし連日の休みの理由が本当ならば休みに融通の利く部署に部署替えもしてやれるし、配慮もできる。聞き取り調査は正当なものだ」

「うぐっ……」

 すごい……。

 あの勢いの佐倉さんを論破した……!!


 すると、主任の視線が私に映って、その鋭い瞳が一瞬だけふわりとやわらげられた。

「っ……」

 ずるい。

 今その顔は、反則過ぎる。


「休みを取るのも定時で帰るのも結構。だが、自分に振り当てられた仕事を他人に押し付けることは許さん。わかったな?」

「うっ……は、はぁい……。すみません……」


 肩を落として大人しくなる佐倉さんに、私もほっと息をついた。


「それと、水無瀬。京都で行われる今度の事業視察だが、俺の補佐として同行を頼めるか?」

「へ?」


 補佐?

 主任の?


「あぁ。普段の仕事ぶりを見て、お前が適任だと思った。会議の資料も、ほぼ一人でまとめてくれたしな。お前に頼みたい」

「主任……。っ、はいっ……!!」

「よし。出張について詳しい話をする。すまないが退社前に第一会議室に来てくれ」

「わかりました!!」


 嬉しい……!!

 私のやってきたことが、認められたようで。

 私の頑張りが、報われたみたいで。


 私は緩む頬もそのままに、笑顔でうなずいた。





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