星詠みは幽鬼の侠客と謎を解く

ぎん

星詠みは幽鬼と出逢う

第1話:秦桑縁

 しん桑縁そうえん、齢二十。

 庚永十一年、啓蟄けいちつの終わり。

 焦がれていた夢と現実との剥離を、このとき嫌というほど思い知った。


「この疫病神が! 余計なことばかりしおって! 二度と天文台に来るな!」


 提挙ていきょ司天監してんかんであるおう藍郭らんかくが彼を殴り飛ばしたのは、ただの八つ当たりである。

 その八つ当たりも、理由をあげてみれば、実に理不尽極まりないものだった。


 一つ目の理由は、桑縁の出自。

 この冬、欠員補充という名目で司天監の霊台郎へと推挙された。日月星辰の配置から国の命運を導き出し、天子に奏上する――幼い頃より司天監への所属は悲願だった桑縁にとって、それは願ってもないこと。そのために進士及第し結果も状元であったが、さすがにいきなり霊台郎に任官されるとは思わなかったし、まずはどこか皇城内で働くことさえできればいずれは……などとのんびりと考えていたのだ。

 まだ加冠したばかりの若造が霊台郎へと任ぜられたのだから、面白くないと思われるのも無理はない。とはいえ司天監は世襲制の官職であり、桑縁の祖父は生前れっきとした提挙司天監であったのだから、資格は十分にあるはずだ。


 そして、もう一つ。理由としてはこちらのほうが大きいのだろう。

 その日、桑縁は自分が書いた観測記録と林保章正ほしょうせいが書いた吉凶の内容、どちらとも異なる内容を天子に奏上したことについて、おう司天監に噛みついた。


「朝議でおう司天監が奏上した内容を噂で耳にしました。なぜ異なる内容を奏上したのですか?」


 桑縁が記した観測帳には、その日出現したばかりの『客星』の存在が書かれていた。だから、本来ならばそのことを加味した内容を奏上すべきである。にもかかわらずおう司天監が奏上した内容は、そのことについて一切触れていなかったのだ。

 否、おそらく過去の記録から適当に写したと思われるような、当たり障りなくいい加減な内容。これは明らかに職務怠慢である。


 ――知るを得ず、いずくんぞ高さ百尺のだいを用いるを為さん!?[*白居易 司天臺]


 かつて詩人がよんだように、伝えるべきことを伝えぬ司天監が、どうして天文台に登ることができようか?

 煩そうに追い払おうとしたおう司天監にカッとなって言い放った一言が、彼の逆鱗に触れた。


「我々の責務は、天文を観測し星辰が暗示した未来を読み取って、天子にお伝えすることです。事実と異なることを奏上するのは、天子への裏切りともとれる行為ではありませんか!?」


 その結果が先ほどの『疫病神』であり、殴られて腫れあがった頬なのである。おまけに『二度と天文台に来るな』だから、もうどうしようもない。


(間違ったことは何一つ言っていないのに……)


 悔しさで涙が滲み、殴られた頬はずきずきと痛む。本当は相手がなんと言おうが引き下がるつもりはなかった。しかし、殴られた瞬間によぎったのだ。


 ――あ、このままだと殺される。


 さすがに司天監に任官されて、一年と経たないうちに死ぬのは御免だ。言い返したい気持ちを歯を食いしばって堪え、泣きながら天文台を飛び出した。


(もっと……、もっと僕に力があったなら。『彼』みたいに強かったなら……)


 自分の無力さに溜め息しか出ない。

 もっと己に力があれば。

 悪に屈したりなどしない、真正面から自分の信じる正義を貫くのに。

 桑縁の涙に呼応するかのように、ぽつりぽつりと空から滴が落ちてきて、やがてそれはたくさんの雨となって降り注ぎ、夜になっても止むことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る