悪役令嬢はヒロインが怖くて婚約できない
佐々木尽左
夏の舞踏会の悪夢
舞踏会場に一歩入ると、わたくしは天井にある大きなシャンデリアの輝きに出迎えられました。今日このときのために数々の努力をしてきたわたくしの晴れの舞台です。
会場内で談笑していらした貴族子弟子女の皆さんが、次々とわたくしと隣に立つ
きれいに磨かれた板張りの床を
体を寄せて向き合うわたくしたちはくるくると舞いました。今日このときのために飾られた白い石材で造られた壁が遠くで流れてゆく中、わたくしは幸せを噛みしめます。
一曲が終わり、わたくしたちがぴたりと止まると周囲からは盛大な拍手が湧き上がりました。今のわたくしは幸せの絶頂期です!
絶頂期?
首を傾げたわたくしでしたが深く考える暇もありませんでした。何しろ、笑顔で話しかけていらっしゃる子女の皆さんに、ぜひ一曲と手を差し伸べてこられる子弟の方々にも取り囲まれてしまったのですから。
しかしあるとき、周囲の雰囲気が変わったことに気付きました。皆さんの笑顔が固まったかと思うと誰もがわたくしから離れてゆくのです。
立ち止まったわたくしが訝しんでいると、
自分の身に何が起きているのかわからないわたくしは今度こそ動揺しました。大きく目を見開いていると、目の前で立ち止った
その女は誰?
全身がぼやけてはっきりとしないその子女が怯えた眼差しをわたくしに向けてきました。一方、
「フェリシア、私は君にひどく失望した。まさかこれほどひどい仕打ちを彼女にしていたとは!」
凍り付き、口さえも動かせないわたくしは黙って王太子殿下のお言葉を耳にしました。それは、わたくしが取り巻きの者をけしかけて行ったという所業の数々です。暴言を吐くというものから階段で突き落とそうとすることまでいくつもの罪状を突きつけられました。そのどれもが身に覚えがあるようなないような、あやふやなものばかりです。
「今まで僕もやんわりと注意をしてきたけれど、ここに至ってはもう我慢できない」
いずれは王国の宰相とも名高い次期公爵家当主殿が冷たい視線をわたくしに突きつけました。先程までの温かい態度が嘘のような瞳です。
わたくしの目の前で行われる断罪に周囲の方々も同調し始めました。それは
「もう我慢の限界だ。これ以上は俺も付き合いきれねぇ」
未来の騎士団長と名高い伯爵家子弟殿が燃え盛るような瞳をわたくしに向けたままおっしゃいました。先程一曲踊ったことが嘘のように。
もはやわたくしを弁護してくださる方は周囲に誰もいません。囁くようなざわめきのどれもがわたくしを非難するものばかりです。
ここまで己の非を突きつけられていたわたくしですが、ようやくこれが
ただ、気付けただけで状況は何も変わりません。周囲の敵意は増すばかり。
ついに
「このような数々の悪行を行った君と手を携えて共に歩むことはできない。今をもって君との婚約を破棄する!」
周囲の喜びとは裏腹にわたくしはそれをぼんやりと眺めていました。そもそも体を動かせないので反論すらできないわけですが、そうでなくとも他人事にしか思えないからです。
そこから視界が少しずつ白く霞んで参りました。それと共に周囲の声も姿もぼんやりとして薄らいでゆきます。
あの方は一体どなただったのでしょうか。
目を覚ましたわたくしは周囲がほとんど真っ暗なことを知りました。侯爵家にふさわしい天蓋付きの寝台に横たえたまま首を横に向けると暗い室内が目に入ります。
まだ真夜中のようですね。わたくしは小さく息を吐き出しました。
夢。そう、あれは
このゲームはアスター学園に入学したヒロインが悪役令嬢を打ち倒して攻略対象男性キャラと結ばれる乙女ゲームです。期間はヒロインの入学から二学年の夏休み直前にある
攻略対象男性キャラは三人と少なめですが、ヒロインは二人いて最初にどちらかを選びます。そうして約一年半かけて各種パラメーターを授業やレッスンで上げていき、各種イベントで攻略対象のキャラの好感度を上げるというものでした。ライバルキャラである悪役令嬢の各種妨害をくぐり抜け、彼女と政略のため婚約していた攻略対象男性キャラを目覚めさせて婚約破棄、それからヒロインと結ばれるというお話です。
中には強引な展開の話もありましたが、それすらも話題になって新ヒロインを追加したファンディスクも発売されました。根強いファンもいたそうです。
ここまでですと単に前世の思い出でしかないのですが、今のわたくしには二つ困ったことがあります。ひとつは、今わたくしが生きている世界はかの乙女ゲームに酷似していること。そしてもうひとつは、わたくしが悪役令嬢であるフェリシア・クエイフ侯爵令嬢に転生してしまっているという事実です。
「ああもう、マジ最悪」
思わず
幼少時、舞踏の稽古で倒れたときに前世の記憶が蘇って以来、様々な手段で未来の破滅を回避しようとしました。しかし、そのことごとくが失敗してしまい、現在に至ります。アスター学園への入学拒否などはその最たるもので、このサマーズ王国の貴族子弟子女は必ず入学すべしと決まっていたのでどうしようもありませんでいした。
恐るべきは世界の修正力です。何が何でもわたくしをゲームの世界と同じように破滅させたいみたいです。
しかし、そう簡単に屈するわけにはいきません。わたくしだって人生を楽しみたいのです。そう易々と破滅させられてなるものですか。
アスター学園の女子寮である乙女館の一室、わたくしに与えられたクエイフ侯爵家の家格にふさわしい真っ暗な部屋でわたくしは決意を新たにします。
「ゲームの世界のわたくしはこの学園の裏で色々と悪さをしていましたが、それをしないというだけでは足りないでしょう。きっと根も葉もない噂を広められて破滅させられてしまうに違いありません。もっと積極的に周りに働きかけないと」
相手は世界そのもの。敵対すれば確実に破滅する上に、放っておいても破滅してしまいます。なので敵対せずに適度に抵抗しなければなりません。難易度が高すぎて目眩がしてしまいます。
寝心地の大変よろしいベッドの上でわたくしは色々と考えを巡らせました。明日からはいよいよ学園生活が本格的に始まります。対応をひとつ間違うだけで破滅する可能性がある以上、細心の注意を払って発言と行動をする必要があるでしょう。本編のヒロインたちが入学してくるのは来年ですからまだ時間があるとはいえ、油断はできません。
何事も最初が肝心だと言いますが、そうなると明日のわたくしの言動は特に重要でしょう。失敗はできません。
そう思いつつもわたくしはいつの間にか再び眠りについていました。
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