悪役令嬢はヒロインが怖くて婚約できない

佐々木尽左

夏の舞踏会の悪夢

 舞踏会場に一歩入ると、わたくしは天井にある大きなシャンデリアの輝きに出迎えられました。今日このときのために数々の努力をしてきたわたくしの晴れの舞台です。


 会場内で談笑していらした貴族子弟子女の皆さんが、次々とわたくしと隣に立つ■■■■■こんやくしゃへと顔を向けてこられました。その憧憬の視線と羨望のため息がわたくしの自尊心をくすぐって仕方ありません。


 きれいに磨かれた板張りの床を■■■■■こんやくしゃと共に歩くわたくしは舞踏会場の中央にまで進みました。そうしてお互いに向き合うと、緩やかに奏でられる音楽に乗って踊り始めます。


 体を寄せて向き合うわたくしたちはくるくると舞いました。今日このときのために飾られた白い石材で造られた壁が遠くで流れてゆく中、わたくしは幸せを噛みしめます。


 一曲が終わり、わたくしたちがぴたりと止まると周囲からは盛大な拍手が湧き上がりました。今のわたくしは幸せの絶頂期です!


 絶頂期?


 首を傾げたわたくしでしたが深く考える暇もありませんでした。何しろ、笑顔で話しかけていらっしゃる子女の皆さんに、ぜひ一曲と手を差し伸べてこられる子弟の方々にも取り囲まれてしまったのですから。


 ■■■■■こんやくしゃと離れたわたくしは子女の皆さんとおしゃべりに興じつつ、たまに子弟の方々とも一曲踊りました。誰もがわたくしを注目なさいます。


 しかしあるとき、周囲の雰囲気が変わったことに気付きました。皆さんの笑顔が固まったかと思うと誰もがわたくしから離れてゆくのです。


 立ち止まったわたくしが訝しんでいると、■■■■■こんやくしゃが近寄ってくるではありませんか。その姿を見てわたくしは心底安心しました。早くそのぬくもりを感じたくてわたくしからも近づこうとします。しかし何としたことか、体が動かないではありませんか。それならばと声を上げようとすると口も開けることができません。


 自分の身に何が起きているのかわからないわたくしは今度こそ動揺しました。大きく目を見開いていると、目の前で立ち止った■■■■■こんやくしゃが隣に並ぶ子女の肩に手を回します。


 その女は誰?


 全身がぼやけてはっきりとしないその子女が怯えた眼差しをわたくしに向けてきました。一方、■■■■■こんやくしゃは目を釣り上げてわたくしを睨みつけてきます。


「フェリシア、私は君にひどく失望した。まさかこれほどひどい仕打ちを彼女にしていたとは!」


 凍り付き、口さえも動かせないわたくしは黙って王太子殿下のお言葉を耳にしました。それは、わたくしが取り巻きの者をけしかけて行ったという所業の数々です。暴言を吐くというものから階段で突き落とそうとすることまでいくつもの罪状を突きつけられました。そのどれもが身に覚えがあるようなないような、あやふやなものばかりです。


「今まで僕もやんわりと注意をしてきたけれど、ここに至ってはもう我慢できない」


 いずれは王国の宰相とも名高い次期公爵家当主殿が冷たい視線をわたくしに突きつけました。先程までの温かい態度が嘘のような瞳です。


 わたくしの目の前で行われる断罪に周囲の方々も同調し始めました。それは燎原りょうげんの火のように広がってゆきます。


「もう我慢の限界だ。これ以上は俺も付き合いきれねぇ」


 未来の騎士団長と名高い伯爵家子弟殿が燃え盛るような瞳をわたくしに向けたままおっしゃいました。先程一曲踊ったことが嘘のように。


 もはやわたくしを弁護してくださる方は周囲に誰もいません。囁くようなざわめきのどれもがわたくしを非難するものばかりです。


 ここまで己の非を突きつけられていたわたくしですが、ようやくこれが悪夢ゆめであることに気付きました。さすがに度々婚約者が変わるのはおかしいですから。


 ただ、気付けただけで状況は何も変わりません。周囲の敵意は増すばかり。

 ついに■■■■■こんやくしゃがわたくしに指を突きつけられて宣言なさいます。


「このような数々の悪行を行った君と手を携えて共に歩むことはできない。今をもって君との婚約を破棄する!」


 ■■■■■こんやくしゃが高らかに宣言なさると周囲から一斉に歓声が沸き上がりました。誰もがわたくしへの非難を止め、そのご英断を祝福なさいます。


 周囲の喜びとは裏腹にわたくしはそれをぼんやりと眺めていました。そもそも体を動かせないので反論すらできないわけですが、そうでなくとも他人事にしか思えないからです。


 そこから視界が少しずつ白く霞んで参りました。それと共に周囲の声も姿もぼんやりとして薄らいでゆきます。


 悪夢ゆめの世界が次第に遠ざかってゆくことに私は安心しました。しかし、ひとつだけ気になることがあります。婚約者の隣に立っていた子女の姿は最後まではっきりとしませんでした。


 あの方は一体どなただったのでしょうか。




 目を覚ましたわたくしは周囲がほとんど真っ暗なことを知りました。侯爵家にふさわしい天蓋付きの寝台に横たえたまま首を横に向けると暗い室内が目に入ります。


 まだ真夜中のようですね。わたくしは小さく息を吐き出しました。


 夢。そう、あれは悪夢ゆめです。何とも寝覚めの悪い内容でした。なぜあのような夢を見てしまったのか。心当たりはあります。あれは前世の記憶に由来するもの。いくつもやった乙女ゲームのひとつ『ホワイト・アスター』で悪役令嬢がヒロインと攻略対象男性キャラの二人に断罪される場面です。


 このゲームはアスター学園に入学したヒロインが悪役令嬢を打ち倒して攻略対象男性キャラと結ばれる乙女ゲームです。期間はヒロインの入学から二学年の夏休み直前にある夏の舞踏会アスターパーティまでで、比較的短時間で終わる上にやりこみ要素もあったので好評を博しました。


 攻略対象男性キャラは三人と少なめですが、ヒロインは二人いて最初にどちらかを選びます。そうして約一年半かけて各種パラメーターを授業やレッスンで上げていき、各種イベントで攻略対象のキャラの好感度を上げるというものでした。ライバルキャラである悪役令嬢の各種妨害をくぐり抜け、彼女と政略のため婚約していた攻略対象男性キャラを目覚めさせて婚約破棄、それからヒロインと結ばれるというお話です。


 中には強引な展開の話もありましたが、それすらも話題になって新ヒロインを追加したファンディスクも発売されました。根強いファンもいたそうです。


 ここまでですと単に前世の思い出でしかないのですが、今のわたくしには二つ困ったことがあります。ひとつは、今わたくしが生きている世界はかの乙女ゲームに酷似していること。そしてもうひとつは、わたくしが悪役令嬢であるフェリシア・クエイフ侯爵令嬢に転生してしまっているという事実です。


「ああもう、マジ最悪」


 思わず前世しょみんの言葉を交えたため息を漏らしてしまいました。最近はこの丁寧なお嬢様言葉にも慣れましたが、それでも感情が高ぶったときなどにこのような庶民の言葉をつい使ってしまいます。


 幼少時、舞踏の稽古で倒れたときに前世の記憶が蘇って以来、様々な手段で未来の破滅を回避しようとしました。しかし、そのことごとくが失敗してしまい、現在に至ります。アスター学園への入学拒否などはその最たるもので、このサマーズ王国の貴族子弟子女は必ず入学すべしと決まっていたのでどうしようもありませんでいした。


 恐るべきは世界の修正力です。何が何でもわたくしをゲームの世界と同じように破滅させたいみたいです。


 しかし、そう簡単に屈するわけにはいきません。わたくしだって人生を楽しみたいのです。そう易々と破滅させられてなるものですか。


 アスター学園の女子寮である乙女館の一室、わたくしに与えられたクエイフ侯爵家の家格にふさわしい真っ暗な部屋でわたくしは決意を新たにします。


「ゲームの世界のわたくしはこの学園の裏で色々と悪さをしていましたが、それをしないというだけでは足りないでしょう。きっと根も葉もない噂を広められて破滅させられてしまうに違いありません。もっと積極的に周りに働きかけないと」


 相手は世界そのもの。敵対すれば確実に破滅する上に、放っておいても破滅してしまいます。なので敵対せずに適度に抵抗しなければなりません。難易度が高すぎて目眩がしてしまいます。


 寝心地の大変よろしいベッドの上でわたくしは色々と考えを巡らせました。明日からはいよいよ学園生活が本格的に始まります。対応をひとつ間違うだけで破滅する可能性がある以上、細心の注意を払って発言と行動をする必要があるでしょう。本編のヒロインたちが入学してくるのは来年ですからまだ時間があるとはいえ、油断はできません。


 何事も最初が肝心だと言いますが、そうなると明日のわたくしの言動は特に重要でしょう。失敗はできません。


 そう思いつつもわたくしはいつの間にか再び眠りについていました。

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