第2話 トーヤ

 今日はずいぶん、空が高い。ぼんやり空を見上げて、もうすっかり秋の空気だと思う。外をぴゅうと強い風が吹いて、トーヤは縫い物の手を止めた。


「母さん、わたしちょっと、外の掃除してきます」

「あら悪いね。子どもたちはいないの?」

「鶏小屋の掃除をしたら遊びに行っちゃったわ」


 姉の子供たちはやっと家の仕事を手伝えるようになってきた歳で、遊び盛りだった。けんかも多く、今朝も掃除をしているのやら散らかしているのやら分からないような様子で、乳飲み子を抱える姉に代わってトーヤが手伝った。去年の秋冬は一緒に門前の掃除をしたが、危うく落ち葉で水路を詰まらせるところだった。

 ほうきを持って道に出る。昼間なので人は多くないが、それでも子供がかけっこをして遊んでいたり、女たちが木陰で針仕事をしていたり、あるいは戸口で立ったままお喋りをしていたり、荷車が音を立てて通っていたりと賑やかだった。


「トーヤちゃん、こんにちは」

「こんにちは。先日は無花果をありがとうございました。おいしかったです」


 通りすがりの顔見知りに挨拶して、トーヤは掃除を始めた。門の土壁は少し崩れていて、冬の間に補修した方が良さそうだ。水路を見て、問題なく流れていることを確認する。夏の嵐で飛んできたさまざまなものは既に取り払ってしまったらしい。

 おばさんに無花果のお礼を持って行って、父に土壁について相談して、子供たちに今年こそちゃんと掃除を教えて――あれこれと考えていたせいだろう。後ろから走ってくる気配に気付かなかった。


「トーヤ!」

「わあっ!?」


 笑いまじりの、姪の声だった。息を弾ませ、小さな身体が勢いよく突進してトーヤの腰に飛びついてきて、トーヤはぐらりとバランスを崩し、片足が水路に突っ込んだ。びしゃっと水滴が顔に跳ね、状況に気付いた姪の身体が硬直した。


「ご、ごめんなさい」

「いいよ、大丈夫。ちょっと洗ってくるから、わたしの代わりにお掃除してて?」


 言葉なくこっくり頷いて、姪は彼女の背丈より大きなほうきを受け取った。泥で汚れた足を洗うには、井戸に行かねばならない。トーヤがひょこひょこ歩いていると、みんなが笑った。

 トーヤちゃん、またうっかりしたのかい。トーヤちゃんはぼんやりさんだね。トーヤはのんびりしてるから。

 五人姉妹の末っ子として、あまり父母の目が届かない中育てられ、姉たちにしつけられ時に甘やかされ、トーヤはのんき者に育った。それ自体は構わない。家族と一緒に、婿取りをした姉の子供たちややがて老いる両親の世話をして生きていくのだって、悪くないと思う。同じ年頃の友人たちが結婚して新しい所帯を持ったり街を離れたり、あるいは姉のように婿取りしていっても、その感覚は変わらなかった。

 けれど時々、むしょうに、人からどう見られているのか気になることがある。


 井戸にはだれもいなかった。水を汲んで、足を流してふと視線をあげると、少し離れた場所に人影が見えた。二頭の馬を連れた、若い男性だった。とっさに、トーヤは足を隠して頭巾を直した。初対面の異性に髪や肌を見せるのははしたないことである。


「あの、すみません。馬を追って旅をしていて――水を汲みたいのですが、井戸を使わせてもらっても構いませんか」


 青年は、砂よけの口布を下ろしながらそう言った。旅疲れた様子だったが、涼しげな瞳と穏やかな声だった。

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