東日本大震災から学ぶ幸福論
盟友カラス
第1話 備えること、幸せを感じること
東日本大震災を含め、震災で起きた悲劇について真剣に考え対策することは第一に大事です。でなければ命がありません。
命がなければ「ああ、生きててよかったなあ。ありがとうアナタ」と言えず、幸せについて考えることもできません。
東日本大震災が起きた時、私は中学一年生でした。家の前は細い道を挟んですぐ海で今は家があった区域は防波堤になっています。
そんな場所にいたら、さぞ凄惨な光景が広がっていたんだろう。みんな暗い顔をしていたんだろう……ってお考えの方もいらっしゃるかもしれませんね。
でもそんなことはありませんでした。車が5台タワーになってたり家の中をくぐったり、現実離れした景色は広がっていましたが…。
おぼろげな記憶となってしまいますが、忘れてしまう前に書いておきます。
震災に備えて、非常食や非常トイレ、水の大切さ、どうやって逃げるかといった防災知識は広まってきていると実感する今日この頃。
わたしが実際に震災で経験して感じた「これ備えておいてよかった!備えが欲しかった!」も、もちろん紹介したいですが一番伝えたいことは他にあります。
いや、非常時への備えよりも大事ってわけではありません。ただ、震災を経験した人にも思い出してほしくて。
震災直後は、みんな助け合って幸せだったってこと。
もっと正確に言えば、幸せを真剣に考えて感じようとしてました。
だってもうちょっとの判断ミスとか偶然で死ぬところだったので、それだけでありがたかったのかもしれません。
「いやいや幸せってうさんくさww」って感じですよね。具体的なエピソードを。
一つ目は津波が起きた直後、家で一人だったんですが窓から様子を見たら隣の家の人が優しく声をかけてくれました。
それまでは思春期というのもあり近所と交流なんてしないお年頃。ただ心拍数が上がりっぱなしだったのが少し平常心を取り戻した記憶があります。
いやいや、さすがの私もこれだけでは幸せなんて感じません。
二つ目は津波がしょっちゅうざっぷんざっぷん(第二波第三波ってやつですね)いうのがおさまって朝と夕方だけ膝まで水が来るっていう状況に落ち着いたときです。
震災発生から二日後くらいでしょうか。
みんな笑顔でバーベキューをしてました。
心から笑ってたんじゃなくて笑うしかないって感じだったのかもしれませんが、みんな同じくらい不幸で、でも生きてるからラッキーで、みすぼらしい服装でマウントなんか取らなくて気が楽でした。
ちょうどその頃に母親が私と家の様子を見に来て無事合流しました。
私と家、どっちを見に来たんだろう…母は私を見てびっくりしてました(笑)
涙の感動の再会って感じではなかったです。ニュースとかも見れなかったので、ありがたみとかわからず状況を把握してない感じでした。
母は教師だったので、避難所のスタッフをしなければいけず、私もついていくことにしました。
わたしの服装は学校のジャージだったかなという記憶。
丁寧にとっておいた水は家を服のに使われてしまい(泣)(後に家の査定が上がったらしいですが……。水のほうが大事っていうのが私の考えです……)、リュックにおやつとか入れるっていう考えも持っておらず、前途多難でした。
いや、少々お母さんへの不満で幸せについて話がそれてしまいましたね。
失敬失敬。
ただ、お母さんの教師っていう仕事のおかげで得したこともありまして。
お母さんの教え子らしきお兄さんがお菓子を配ってて、でっかいとんがりコーンもらいました。ありがとう!お兄さん!!
リュックにお菓子何も持ってきてなくて、「どうしましょ高校までトンネルくぐって山越えてけっこー長いよ」って困ってたんで、すごい助かりました。
3つ目これです。物をあげたりもらったりが何の対価の要求もなく行われるのが、結構ありました。
わたしは、ご飯を持つって知恵がない代わりに消毒液と絆創膏を持っていて、それを目の前で足から血すごい流しながら歩いてるおじさんにあげました。
「あげてもったいないなあ」とか「声をかけるなんて恥ずかしいなあ」って当時は思わなかったですね。
消毒液と絆創膏、歩かなきゃいけないのに持っていても仕方ないし。重いし。
家とか常備する場所、貯蓄する場所がなかったから、みんないっぱいくれたのかもしれないです。
でもそれって、今を生きてるって感じがして、「将来の為につまらない勉強しろ」って言われる学校よりは苦痛じゃなかったですよ。幸せだったかも。
誰かに自分の持ち物が喜ばれるのは嬉しいし。
クレクレとは違うの?
震災直後一週間くらいまでと、一週間たってからのホッと一息ついて自分は確実に生きてると自分のスペースを確立してからは、ちょっと物のやりとりが違うのかもしれません。
震災直後は生きてる!冷蔵庫無いから生ものでBBQパーティ!そこのみんなも食べて食べて!って感じでした。
いやあ、でもクレクレとの境目って難しいですね。
わたしの実感ではくれる人はみんなアゲルアゲルって感じで、わたし含めみんなが意識して「ください」と言わないようにしていたと感じました。
大人の世界だとまた違うのかも。あくまで中学一年生が3日間くらい一人で(母親はスタッフとして働いてたので)避難所にいた体験です。
もらうときに「あ、母親生きてますよ!」とは言えず「ありがとうございます!」だけだったので勘違いされてた可能性は大いにあります。
でもそれだけで優しい世界です。
結構ヤンキーっぽい方が多い地域だったので、荒れてるのかなって勝手に思ってました。偏見もっててごめんなさい。
クレクレってなるのは、だんだん必要なものが変わってくる可能性もあります。
・急な暮らしの変化とショックで止まっていた生理が始まって、生理用品が必要になる人が増える。
・そろそろお風呂、せめて髪だけでも洗いたい
わたしは一か月後に美容院でようやく髪を洗ってもらえた記憶があります……。
・ケータイの充電器
・缶詰カップ麺だけじゃなくて、お米とかちゃんとしたご飯が食べたくなってくる。
母親は、なんとなくそういうのを感じて、一週間後くらいに避難所暮らしをやめたのかなあ。
父親と姉が、親戚の家にお世話になっていて、なんとか合流できたっていうのが一番の理由かな。
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