されど、身体は冷たく

与野高校文芸部

されど、身体は冷たく

 僕はこの世界で生きている。

 この世界では、醜い身体も美しい身体もいらない。

 この世界はただの現実であり、美しい夢でもあるから。

 この世界では争いも闘争も必要ない。

 全てが僕自身であり、僕自身が全てであるから。

 この世界では全ての人が幸福に暮らし、幸せな夢を見ている。

 不幸だと言える人はどこにもいないから。

 全ての人が最大限幸福に生きられる世界。

 だけど、僕はこの世界が不満だった。

 この場所はとても冷たくて、大事なモノが欠けていたから。

 僕はまた幸せな夢を見る。

 

───総体へ報告。個体名「ユリ」が人型存在を確認

 

「──ユリ、起きてください、ユリ様」


誰かが僕を呼んでいる。いや、誰かなんかじゃない。この声は───


「うぅ……」

「おはようございます、ユリ様。良く眠れましたか?」


深淵から引き戻されるように僕の意識は覚醒する。


「おは、よう……? あれ? どうして?」

「寝ぼけているのですか? ほら起きてください。早くしないと朝ごはん冷めてしまいますから」


何故だろか?もう名前さえも覚えていないはずなのに、彼女を見ると懐かしさが、愛おしさが込み上げてくる。


「ねぇ、本当に……リリーなんだよね?」


そうだ、思い出した。彼女は名前はリリー。


「はい、私はユリ様のリリーですよ」


五世代型介護アンドロイドであり、僕の唯一無二の……僕だけの親友だ。

 

───総体へ報告。個体名「ユリ」が人型存在と戦闘を開始

 

 アンドロイド、それは数十年前に人類の技術の粋を集めて作られた、機械生命体の総称のことだ。

 彼らは人間に奉仕するように作成され、アンドロイドもそれに従っている。


「あはは……ゴメンね、さっきは困らせちゃって」


リリーに車椅子に座らされてダイニングテーブルまで運ばれた僕は、頬を掻きながら寝室での出来事を思い出す。寝起きだとはいえ、少し僕らしくない感慨に浸っていた。いつも通りのやり取りのはずが、どうしてか凄く新鮮で嬉しく思う自分がいた。


「大丈夫ですよ。むしろ、ユリ様の違う一面を見られて嬉しい限りです」


リリーはそう嬉しそうに、予め調理しておいた朝ご飯を配膳してくれる。

今日の朝ご飯はフレンチトーストと目玉焼き、ヨーグルトと珈琲のようだ。家じゅうに香ばしい香りが漂い、暖かい雰囲気をそこに作りあげた。


「頂きます、リリー」


僕は手を合わせ、トーストに齧り付く。皮はぱりぱり、中身はしっとりしていてとても美味しい。


「はい、召し上がれ、ユリ様」


リリーは満足そうに顔をほころばせるが、彼女用の食事はないため、置物のようにこぢんまりと椅子に座った。彼女が既に食べ終わっている訳ではない。リリーたちアンドロイドは電気で稼働しているため、食事も睡眠も必要ない。そのため、アンドロイドは社会の隅々に浸透していき、介護や医療の現場は、彼らなしでは成り立たなくなっている。

 僕も、今やその恩恵を受けている一人だ。


「いつもありがとう、リリー」


リリーと食事を共にできないのは残念だけど、彼女と過ごすこの瞬間までも愛おしく思えた。

 

───総体へ報告。個体名「ユリ」の損傷率十%

 

「リリー、目的地まで後何分くらいなの?」

「およそ五分くらいですね、ユリ様」


リリーが食器の後片付けを終わらせた後、家を出た僕は、リリーに車椅子を押されながら、目的地を向かっていた。ギコギコと車椅子の車輪が音を奏で、

枝々を漏れる朝の光が道に網目のような影を落とす。早朝だから誰もいないのだろう。この並木道は僕達の独占状態だった。


「すいません、一つ聞いても良いですか?」

「うん、どうしたの?」


僕は彼女に顔を向けて、リリーの表情を確認しようとする。だけど、彼女の表情は見えなかった。


「……ユリ様を傷付ける私でも貴女の……ユリのアンドロイドで居続けられますか?」


リリーはそう脈絡もなく、消え入りそうな声色で聞いてくる。この短い期間で彼女に何があったかどうかは分からない。だけど、ここで答えを示さなければ、リリーは僕の手が届かない場所へ行ってしまう……そんな予感がした。


「大丈夫だよ、どんなリリーであれ、リリーはずっと僕のリリーだから」


僕は壊れ物を扱うかのように彼女の頬を撫で、優しく囁いた。


「あ……」


リリーが僕の隣に立つ前に、とあるsf小説を読んだことがある。その小説ではアンドロイドが反乱し、最終的には主人公は絶滅して首を吊ってしまったけど、


「……変なことを聞きましたね……忘れて下さい」


もしも、その小説のようにアンドロイドが反乱することが起こっても、リリーに殺されるなら良い気がする。

 

───総体へ報告。個体名「ユリ」の損傷率三十%。対象の不明ユニットの使用を確認、回避を推奨。

 

「ありがとう、リリー、ここまで連れて来てくれて」

「どういたしまして、ユリ様」


リリーは口元に笑みを刻みながら答える。目的地である海に着いた僕たちは、理由もなく水平線を眺めていた。海は何処までも青く、磨きたてた青銅の鏡の色をしている。技術がいくら進歩しようがこの光景は変わらない。ずっとこの光景のままが良いと心底感じる。だって、あの頃の光景を思い出せるから。


「昔、この海辺で良く遊んでいたよね……親戚の皆で集まって……父さんと母さんも生きていたけど」


僕は車椅子を動かして、水面を覗き込む。


「父さんと母さんが事故で死んだ時、リリーが抱き締めて、僕を慰めてくれて…」


子供の頃は何も知らなそうな、あどけない顔が映って居たけど、今はもう何も映らなくなっていた。


「ねぇ、リリー。また一緒にこの光景を見られるかな?」


僕はリリーの方を向き、そう呟いた。


「……ナノテクノロジー医療治験のことですか?」

「うん……ちょっと不安なんだ」


やっぱり、そう見えるよね。ナノテクノロジー医療治験というのは人工知能と医療用ナノマシンを組み合わせた治療法のことだ。僕の病気が治るかもしれない。だけど、まだ人への臨時試験は前例がないらしく、危険性はあるし、死ぬ可能性もある。


「でもね、別に死ぬことを怖れているわけじゃないんだ。ただ、君と一緒じゃなくなったらって……」

「え……あ……」

「君なら僕が居なくなってもきっと……」

「──そんなこと言わないでくださいよ!」


一瞬、ビクッとした。だって、リリーが爆発したかのように怒鳴るのは初めてのことだったから。

 

───総体へ報告。対象の行動停止を確認。個体名「ユリ」に攻撃を命令。


「私が何を思って貴方と過ごして来たか分かりますか!大好きなんですよ。貴女の全てが、私の全てなんですよ!!熱を持たない私には、貴方の……ユリの温もりしか──」


半狂乱になって、今にも泣いてしまいそうな彼女。だから僕は……


「……あ」


僕は彼女を抱き締めた。かすかな潮騒だけが優しく響く中、ゆっくりとまぶたを閉じながら、


「大丈夫だよ、リリー。僕はずっと一緒にいるよ」


僕はそう、ぽつりと耳元で囁いた。

 

───総体へ報告。個体名「ユリ」の損傷率七十%

 

「……帰ろうか、リリー」


リリーと小一時間ほど抱き合った後、そう口にする。

本当はもう少し海を眺めていたかったけど、彼女はもうそういう気分じゃないと思うから。


「ユリ……」 


リリーが唐突に僕を抱き締めてくる。


「どうしたの、リリー?もしかして僕にママ味を……」

 


───総体へ報告。個体名「ユリ」が脳機能に致命的な損傷を負いました。個体名「ユリ」は直ちに退避を……

 


 あぁ……そうだ、全て思い出した。


『これは!?AIによるナノマシン統制システムに異常が……』

『ただちにネットワークを切断!プログラムの停止を…』


僕はあの日、“怪物“になった。多分、ナノテクノロジーの暴走とかだと思う。あのナノテクノロジー医療治験のどこに問題があったかなんて分からない。だけど、僕は沢山の人を傷付けてしまった。世界で一番大切な彼女さえも…… 


「lily…」


彼女は大きな杭の武器(パイルバンカー)を持って、僕の前に立っていた。

ありがとう、ごめんなさい、大好き。数々の思いが脳裏に浮かび、言葉に出来ずに零れていく。


「lily…」


僕は醜く歪んだ手を伸ばした。彼女を包み込んでしまうほどの不釣り合いな大きな手。


「aaaa……」


そんな僕でも彼女は抱き締めてくれた。あの幻想は僕にとって幸せなものだった。だけど、そんなものはどうでも良いと思えるくらい、僕が愛していた暖かい……確かな温もりで満たされていた

 

 

───個体名「ユリ」の活動が停止しました。

 

 

「──報告。“怪物“の……ユリの排除に成功しました」


ユリがナノテクノロジー医療治験を受けた20年前から、世界は変わりました。発端は医療用ナノマシンを制御していたAIの暴走です。あのAIは、生物を浸食して“怪物“にしていき、やがて“怪物“たちの意識を元に一つの世界……いわばハイブマインドを作り上げました。そして、“怪物化“を避けた人間や、私たちアンドロイドは地下に基地を作り、身を寄せ合って生活しています。


「どうして……私は」


彼女が私のいる基地に来たのは偶然です。もしも知っていたのなら、私は───


「私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は───」


私は貴女の世界へ行くことはできません。私は貴女の温もりを知らないから

私はこの世界現実では生きていけません。だって、貴女の温もりが恋しいから。


「あぁ……冷たいな……」


いつの日か二人で■■に行きましょう。

きっと、海よりも綺麗な場所ですよ。

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されど、身体は冷たく 与野高校文芸部 @yonokoubungeibu

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