第57話 夢は突然に叶う
六坂家は決して裕福とは言えない。
かと言って貧乏というわけでもないが、暮らしに困らずとも、余裕のある生活が営める経済状況ではなかった。
父親の稼ぎは平均的。むしろ平均より少し上くらいはあるだろう。
だが、稼いだ金を酒やタバコ、ギャンブルに注ぎ込むせいで家に入る金は稼ぎの半分か、それ以下と言ったところだった。
家計を少しでも助けるために姉の日向はバイトをすると父親に話したことがある。
しかし父親は「それよりも勉強して優秀な成績を収めて奨学金を取り、少しでも安く良い大学に行って稼げる会社に就職する方が家のためだ」と一蹴した。
よって日向は国公立大学に現役で合格するべく、夏休みのほとんどの自由時間を勉強に注いでいた。
一方、妹のまことは日々バイトと勉強を繰り返す日々を送っている。
父親からは「お前を大学に行かせる金はない」と言われているが、それは嫌がらせなどではなく紛れもない事実であろうことをまことは知っている。実際、日向を大学に行かせるだけでも経済的には苦しいのだ。
だからまことは自らの学費は自ら稼ごうとバイトを頑張り、同時に奨学金のために勉強にも力を入れている。
高校1年生だからと甘えてはいられない。将来を見据え、今のうちから出来ることをしておきたい。まことは常にそう考えていた。
「はあ、疲れたなぁ…」
今日も夕方にバイトを終えたまことはアパートの古びた階段を上がっていく。
錆びた階段からはキキッと鉄の軋む音が鳴り、まことはどこか切ない気持ちを胸中に抱いてしまう。
「ただいまー」
2階に上がって硬い鉄の扉を開けたまことは、姉のローファーが玄関に並んでいることに気づいた。同時に、その鼻は香ばしい香りを捉える。
(姉さん、カレー作ってくれてるのかな?)
まことはスニーカーを脱ぎ、足早にリビングへ向かう。
「ただいま。夕飯作ってくれてたんだ」
「おかえりなさい。カレー、嫌だった?」
「ううん、そんなことないよ。作ってくれるだけでも嬉しい。…だけど、勉強はいいの?」
「まだ私は2年生よ。一分一秒を惜しんで勉強する時期じゃないわ。……それに、あなたばっかり頑張らせるのは申し訳ないから」
「……そっか。じゃ、私はお風呂入ってきちゃうね」
まことはキッチンで料理する姉と別れ、自室に荷物を置いて風呂場に向かう。
六坂家では、夏は節約のためにシャワーのみというルールがある。
冬場なら寒くてこごえてしまいそうだが、夏場なら暑いので風呂に浸からなくとも問題はない。
そうしてシャワーを浴び終えたまことはドライヤーで手早く髪を乾かし、半袖半ズボンのパジャマ兼私服に着替えて自室に戻った。
「はあ〜、今日は疲れたなぁ。あの先輩、やたらと私に絡んで絡んだよねぇ〜」
自室と言ってもこの部屋は姉と兼用だ。2人の空間を隔てるのは薄いカーテン1枚のみ。
その片側を唯一のプライベートゾーンとするまことは、柔らかい座椅子に寄りかかりながら虚空に愚痴を呟いた。
まことがバイトしているファミレスには男子大学生の先輩が2人いる。片方は優しい人だが、もう片方はシフトが重なるたびに絡んでくる面倒くさい人物である。
「あれが〝狙ってる〟ってやつだよね…。うーん、私、そーゆーの本当に分からないからなぁ…」
まことも年頃の少女だ。恋愛にはそれなりに興味があるし、その先輩が自分にアタックしてきているというのは何となく分かる。
だが、まことは〝好き〟という感情をよく知らない。
故に彼への対応という課題はまことの頭を悩ませていた。
「先輩だから蔑ろにもできないしな〜。うーん……やっぱりよく分からないや!!」
まことが考えることを諦めて頭を無にした時、ちょうど机の上のスマホが鳴った。
「なんだろう?」
普段は通知が来ることも少ないので、まことは不思議がってスマホを手に取り、再び座椅子に座った。
「あれ、シュンちゃんだ」
予想外の相手に驚きつつトーク画面を開く。
『久しぶり〜。あのさあのさ、英語のワークの解答ない? 無くしちゃって丸付けできなくて困ってるんだよぉぉぉぉ』
「ふふっ、シュンちゃんそーゆーところあるからな〜。仕方ないな〜」
まことは微笑みながら立ち上がると棚からワークの解答を取り出し、宿題のページの解答を写真に撮っていく。
『はいどーぞ。早いうちに探しておきなよー』
そう一言を添えて写真を送ると、一瞬で返信があった。
まことは少し会話が続くことを予想し、再度座椅子に座る。
『ありがとう!!!!!!! マジ感謝!』
『そんな大げさな〜』
『いやほんとに! 答えが気になってたから早く返信あって助かったよ。今は何してたの?』
『さっきシャワー浴びて、ちょうど髪とか乾かし終えたところだよ』
『そうなんだ。まだ5時半だけど、結構早く風呂入っちゃうんだね。私なんか8時とかになりがちなのに』
『へえ、シュンちゃんはそんな感じなんだ。私は昔から帰宅したらすぐにお風呂にしちゃうんだよね。特に夏はすぐに体を綺麗にしたいからね』
『なるほどねー。まあ、その気持ちはよく分かる』
『そう言えば、シュンちゃんは弟君と一緒に入ったりするんだっけ?』
『うん、1週間に2、3回は入ってたかも。最近は忙しくて入れてないけどね』
『そうなんだ。…それってさ、恥ずかしくないの?』
『うーん、あんまり恥ずかしくないかな。ゆーて弟だし、まだ小2だしね。中学生とかになったら流石に入らないよ!? ま、向こうから嫌がってくるだろうけど笑』
『あはは、確かにそうだね。けど、そーゆーのいいね、仲良しで』
そう送信した直後、シュンからの返信が途絶えたことにまことは違和感を覚える。
直後、自分が送った文章がいかに返答しにくいものかということに気がついた。
『ああ! ごめんごめん! 辺な意味で言ったんじゃないんだ! 深い意味はないの!』
『そっかそっか、ちょうど何て返せばいいか悩んでた所だったよ笑 ふざけて空気を変えるべきか、真面目に答えるべきか笑』
『そうだったんだ笑 ごめんごめん。ちなみにふざけてた場合どんなのを送ろうとしてたの?』
『え、「じゃあ今度まことも一緒に入る?」とかかな。流石に涼太とじゃないよ? 私と2人でって意味だけど笑』
『いいね、それ』
『……はい?』
『シュンちゃんとお風呂入ってみたい!昔から夢だったの!友達と一緒にお風呂入るの!』
『そ、そうだったんだ。じゃあ今度一緒に入る?』
『うん!!』
『じゃあなんか考えとくね』
『シュンちゃんの家でお泊まり会がいい!!!』
『あ、うん、分かった…。後で親に聞いてみるね』
『ありがとう! あ、ちょうど夕飯できたみたいだから行ってくる!』
『うん、行ってらっしゃい』
唐突に夢が叶うことになったまことは、姉に呼ばれてルンルンでリビングに向かった。
テーブルにはカレーと市販のサラダが並んでいる。
「おー、いい匂い」
「結構上手くいったと思うわ。さ、食べましょう」
「うん。いただきまーす」
2人は向き合って座り、出来立てのカレーを食べる。
今日は父親が残業のためにいないので、夕食は2人で食べる。まこととしては父親がいない方が気楽でいいが、姉と2人きりでもそれなりに気まずい。
「ん、おいしい!」
「そう。良かったわ」
会話はそれで終わってしまう。
それに、まことが目を合わせようとしても姉は視線を逸らせてしまう。
(…まあいっか)
しかし、半ば諦め気味だったまことに、姉は思い出したように話を切り出した。
「そう言えば、藤宮さんが部活の時に『まことは元気ですか?』ってよく尋ねてきたわ。結局、あの子とは仲良いの?」
「うん、仲は良いと思うよ。…けど、そんなこと言ってたんだシュンちゃん」
「ええ。…いい友達を作ったのね、まこと」
「…うん!」
少しだけ口元を緩めた姉を見て、まことも優しく微笑んだ。
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