脇見

 カンダさんは以前田舎に住んでいた頃事故を起こしたという。『こんなんなるんですよ』そう言って袖をめくって腕に残った傷跡を見せてくる彼だが、その怪我の原因には未だに納得がいかないそうだ。


「絶対あの時にじいさんが居たと思うんですけどね……」


 彼の話によると、田舎に住んでいた頃、バイクに乗って結構なスピードを出すのが楽しかったそうだ。彼によると『きちんと車検は通してたんすけどね……』だそうだが、開くまで本人の談なのでどこまで本当かは分からない。ただ、スロットルとハンドルとブレーキがきちんと動作していたのだけは確実だと断言していた。


 その日、夜に彼はバイクで道を飛ばしていた。もちろんスピード違反なのだが当時は暴走族が大量にいた時代で、警察もなかなか手を焼いており、一人で走っていたカンダさんを捕まえるのに躍起になるほど余裕は無かった。


 だから油断したのか、住宅街を夜中に走っているとライトの先に人影が見えた。それは道の脇からひゅっと飛びだしてきて道を横切ろうとした。慌ててハンドルを左に切って体重を傾けた。轢かなければ転んだっていいと判断して無理矢理バイクが倒れるのは覚悟の上で傾け、当然のように横に転んで自身は吹き飛んだ。


 せめてもの幸いは、当時格好がいいからという理由でフルフェイスのヘルメットをかぶっていたことだろう。もしよくいる暴走族のようにノーヘルや半ヘルだと命に関わっていただろうと後から警察に言われたそうだ。


 当然住宅街で轟音を立てて事故を起こしたので警察と救急車が来て病院に搬送された。後になって怪我人は出ていないので刑事罰はないと言われホッとしたそうだ。当時はまだ危険運転がはっきり専用の法律で規制されていなかったので何とかなったようなものらしい。


 病院に運ばれたカンダさんが意識を取り戻すと警察の調査が始まった。そのときに彼は『脇道からの飛び出しをかわそうとして転んだ』と言ったのだが、警察は通報したのは近所に住んでいた人で、その人は現場にいなかったという。


 では事故に驚いて逃げたのではないかと言ったのだが、どうにも警察の歯切れが悪い。怪我は腕が主な場所で、骨折は足に影響がなく、少しして現場に連れて行かれた。そして自分が事故を起こした場所を見せられたのだが、そこで驚いてしまった。そこはまっすぐな住宅街の道路なのだが、脇にはずっとブロック塀が続いている。そこには切れ目なく壁が続いており、誰かが隠れる場所も飛び出す場所も無かった。


 混乱していたカンダさんに薬物疑惑がかかったのだが、当然何の反応も出ない。結局、彼の見間違えということで警察は調書を書いて終わった。真相は不明だが、彼はあそこで誰かが飛び出してきたのは確かだという。ただ、状況だけ見るなら間違いなく単独事故だった。


「で、まあこうして東京に来たんですよ。おっかなくてバイクも自動車も運転したくないですからねえ……」


 彼は今、バスと電車で生活のほとんどを済ませている。時々公共交通機関が無い場所に行くには、多少の出費があるもののタクシーを使用しているそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る