第4話 先輩 東条亜里沙

俺は家の近くの古着屋でバイトをしている。服やファッションに特別興味があったとかではなくただ単純に家から近いところを選んだ。


「おはよぉ」


 気の抜けたあいさつでバイト先の控室に入ってきたのは東条亜里沙先輩だ。


「先輩もうこんにちはの時間ですよ」


 そう言って俺はいつも通りを装いながら先輩に返事をする。


「龍也くんつれないなー」


 そんなことを言いながらバイトの服に着替えようと更衣室の方へ向かう先輩に振り返りながら声をかける。


「あの、先輩」


 そうするといつのまにか真後ろに立っていた先輩が俺の唇に人差し指をあてて、「いつもの喫茶店でしょ?」と耳元で囁き、今度こそ更衣室へ行ってしまった。


 なんでわかったんだ……。


 自分の考えを見透かされているような感覚がしてその日はバイトに身が入らなかった。


 夜9時過ぎ、バイトが終わり先輩より一足先に着替えを済ませていた俺は店の裏口で先輩を待ちながら美夜たちに連絡を入れていた。

 裏口で待つのはバイト終わりに先輩と遊ぶ時のルーチンのようなもので、自分で意識することもなく普通にそこで待っていた。


「美夜、今から向かうけど個室大丈夫そう?」


「大丈夫よ、女狐と待ってるから早く来なさい」


「ありがとう、優にも伝えておいて」

 

 数分して着替えを終えた先輩が出てきた。

 今日の先輩はいつもとどこか違って見える。


 いつもは特別仲のいい年上の女性という雰囲気が強い(俺のイメージ)が今日はもっと身近な存在に感じられる。


 今夜は月がよく見える、それがより一層先輩の魅力を引き立てているのかもしれない。


「おまたせー」


「いえ、突然付き合ってもらってすみません」


「急にどうしたのー全然いいよ、でもさ……」


 え?

 一昨日の美夜の姿が重なる。

 一昨日美夜は顔を合わせた瞬間「ほかの女抱いたでしょ」と言ってきた。

 とてつもないデジャブを感じる。


「今日はいつもとは違う用事、なんだよね?」


 そんな俺の感覚をまるで本当にすべて見透かしたような目でそう告げる。


「……」


「私に隠し事なんてダメだなぁ龍也くん」


「女の匂いってのはね、古着についた匂いみたいになかなかとれるものじゃないんだよ?」



「それで今日はどんな用事なのかな?」


「……先輩と俺の関係についてです」


「ふぅん」


「ねぇ、手繋ご?」


「え」


「いいじゃん、喫茶店まで」


「えーっと」


 これから別の女性と引き合わせるのに手をつないでいくのはいかがなものかと渋っていると……。


「ねぇ、どうして昨日のうちに連絡しなかったの?」


 !?

 先輩の声が聞いたことないほど暗い。


「連絡くれればすぐ行ったのになぁ」


 反射的に俺は先輩の手を握った。

 すると先輩はさっきまでの暗さがまるで嘘のように満足した顔で「さぁ、行こうか」と言って歩き出した。


「先輩は……なんでいつも察せるんですか?」


 俺はどうやって伝えようか考えながらいつも感じていた疑問を口にする。


「えー龍也くんがわかりやすいんだよー」


「そんなにわかりやすいですか、俺」


「うーん、普通の人は違うかもねー」


「それはどういう?」


「龍也くん、私たちってなにかな?」


「先輩と後輩ってだけじゃないけど……」


「けど?」


「まだ付き合ってるとかではない?」


 何が正解なんだろうと考えながら慎重に言葉を選んだ。


「そうだねー、でも普通に彼氏彼女を超えてることはしちゃってるよね?」


「そう、ですね」


「私はさ、たぶん龍也くんが思ってる以上に好きだよ?」


「え……」


 ここで告白されるとは……。

 昨日の今日だ。ここは冷静に。


「先輩」


「なにかな?」


「それについて大切なお話があって今日は喫茶店に向かってます」


「ふーん……」


 見定めるような目で頭からつま先まで視線を動かす。


「龍也くん」


「はい」


「昔の王様って妃が何人もいたんだって」


「はぁ、それはそうですが……」


 まずい、これは……。


「私はいいよ?それでも」


「え?」


「どうせ龍也くん私以外にもこんなことしてるんだろうなぁって思ってた」


「そう、でしたか」


 また、浮気を認められてしまった。


「まぁ詳しいことは後で話してくれるんでしょ?」


 そう言うと手を俗にいう恋人繋ぎに繋ぎなおし、また手を引いて歩き出した。


「待たせてるんでしょ?早くいこっ」


 ああ、やっぱり好きだ。

 このすべてわかったうえで受け入れてくれるこの感じがたまらなく好きだ。


 今度は俺が手を引いて立ち止まる。

 先輩が少しだけ驚いた表情で足を止め振り返る。


 街灯と月明かりに照らされて、道は明るい。


「先輩、俺も好きです。クズですが本気です。」


 このタイミングしかないと思った。

 先輩の顔が夜の街灯よりも、月よりも明るくなる。


 そう言うと先輩は今までで一番うれしそうな顔で「うん、それもわかってたよ」と言った。



 先輩が前を向いて歩き出したとき、妙な雰囲気を感じた。

 ……シチュエーション的には何もおかしな部分はなかった。

 俺が告白して、先輩が喜んでくれている。ただ、それだけのはずだ。

 ……けれど、その中の何かに違和感を覚える。

 だがこの時はその違和感の正体を確かめている余裕が俺にはなかった。



 喫茶店につく頃、時刻は夜の10時になっていた。

 普通に歩いたら俺のバイト先からこの喫茶店までは15分程度、そして俺が美夜に連絡を入れたのが9時半頃ということは……。


 ……まずい。非常にまずい。早く来なさいと言われていたんだった。


 先輩といろいろ話してるうちに遅くなってしまった。


 そして喫茶店についても先輩はつないだ手を放そうとしない。


「あのー、先輩店内でもつないだままで?」


「龍也くん私のこと好きなんでしょ?」


「それは、そうですが」


「じゃあいいじゃん」


 そういって笑うと俺の手を引いて店内へ入っていった。


 個室の部屋はあらかじめ聞いておいたからそこからは俺が手を引いて行った。

 どうやっても手を離した方がいいことはわかってるが、亜里沙先輩は一向に離す気配がないのだから仕方がない。


 そう、これは仕方がないのだ。

 結局手をつないだまま、二人が待つ個室へ入った。



「おい」


「ねぇ」


 美夜と優から鋭い声が飛んでくる。


「遅いしその手は何?」


「ちゃんとしてあげてとは言ったけど堂々と浮気しろとは言ってません」


 ……その通りです。


 俺が責められていると亜里沙先輩が珍しく呆気にとられたような顔をしていた。


「私も待ってるのが二人だとは思わなかったな」


 亜里沙先輩の珍しい表情が見られたのは良かったが他は何もよくない。


「と、とりあえず座って話そう」

 そう言って三人を座らせた。


 この喫茶店の個室は基本的に収容人数は最大で6人を想定されており、基本的には一対一の二人で使用されることが多い。


 そのため席は三人掛けのソファがテーブルをはさんで向かい合うような形になっている。

 さすがに初対面の人を隣同士にさせるわけにはいかないので優に美夜の方へ移動してもらって俺と亜里沙先輩が隣になる形で座った。


 美夜と優は一人分開けた形で座っていたが、先輩は俺にぴったりとくっついていた。


 さてどう話そうかと思っていると美夜が切り出した。


「私は藍野美夜です。ご存じの通りアイドルです。」


 毅然とした態度で自己紹介をする。


 するとそれに倣って今度は優が「私は夏野優です。龍の幼馴染です。」と言った。


 それを受けて次は亜里沙先輩が、と思ったが先輩は何も話そうとしない。

 さっきまで先輩のことを見ていた二人が俺の方を睨む。


「ああ、ええっと、こちらがバイト先の先輩の東条亜里沙さんです」


 ここでようやく先輩が口を開いた。


「東条亜里沙です。龍也くんのです!」


「「あ?」」


「ねぇ龍、どういうことかな」


「説明できるのよね?」


 またもとてつもないデジャブを感じる。

 ……なぜ亜里沙先輩は彼女と言ったんだろう?


「あ……」


 思わず声に出てしまう。


「「「あ」じゃなくて!!」」


 美夜に詰め寄られる。


 俺が答えに窮していると、「さっき龍也くんに告白してもらったんだ」


 えへへと笑いながらさらっととんでもないことを口にする先輩。

 辺りを取り巻く空気は一人を除いて史上最悪なレベルで凍り付いた。


 ……。


「ま、まぁでも私は昨日も愛してるって言ってもらったし?」


 美夜が張り合い始めた。

 そしてそれは優にとっては完全に地雷だ。


「龍どういうこと?私好きとしか言われてない」


「もしかして、あんなことがあったのにあの後シたの?この女と」


 そうです。その通りです。すみません。


 この中で優とだけは寝たことはない。


 その前段階というか、キスやらハグやらはすることもあったが、優には外面というか、誠実な面しか見せていなかったために、一番身近な優とはまだ夜を明かすのはまずいと思っていたからだ。


「確かに龍也くんベッドの上だと好きとか愛してるっていっぱい言ってくれるよね~」


 ここで亜里沙先輩が火に油を注ぐ様なことを言い出した。


「龍、今日の夜は私ね?」


「え、?」


 俺の思考は完全にショートしていた。


「えーせっかく日曜日の夜に告白してもらったんだし私に譲ってよ~優ちゃん」


 亜里沙先輩がニヤっと意地の悪い顔をしている。


「いやです。亜里沙さんは何度も抱いてもらっているんでしょう?私は十年以上片思いしてようやく昨日不本意な形でも叶ったというのに……」


 優が今にも泣きだしそうな顔になってしまう。

 これはさすがに優に悪い。


「亜里沙先輩すみません。これは俺が作り出してしまった問題なので解決させてもらっていいですか?」


 亜里沙先輩は表情を変えずに「まぁいいよ」と言った。


「それより」


 仕切り直しというように美夜が声を出す。


「夜の話なんて後でいいんだから亜里沙さんをどうするかでしょ」


 すごい、美夜がまともだ。

 でも、始めたのはあなたですよ美夜さん?とは口にしないでおく。

 だって、そんなことを言ったらこの状況を作ったのはあんただけどねと返される未来が目に見えているのだから……。


「えー私離れるつもりなんてないよ?」


「でしょうね。ですからそこではなく」


「ではなくー?」


「一緒に住みますか?って話です」


 亜里沙先輩はきょとんとした顔をして俺の方を見た。


「えーっと実は昨日二人が内に引っ越してきまして……」


 亜里沙先輩にようやく本題を話した。


「なるほどねぇ」


 亜里沙先輩は何かを考えているようなしぐさを見せて、よし決めたと言った。


「私も住むね龍也くん」


 即決!?


「先輩大丈夫なんですか?確かに広さ的には問題ないですが……」


「大丈夫、大丈夫別に数分大学まで遠くなるだけだし、龍也くんと一緒にいられるならそれでいいよ」


 はぁ、本当にこの人は……。


「先輩」


「やっぱ好きです亜里沙先輩」


「私も大好きだよ龍也くん」


 反射的に好きと伝えたくなってしまうのだからこの先輩はずるい。


「「おい」」


「あんたさぁクズにもほどがあるよ」


「この女狐は嫌いですがそれには完全同意です」


「ごめん二人とも、もちろん優も美夜も愛してるよ。本当に」


「「!!!」」


 あげて落とすなんて言葉があるがあれは逆を突けば想像以上のプラス効果があるようだった。

 まぁこの二人が俺に対して甘すぎるというかちょろすぎるだけなのかもしれないけど。


その日の夜は嫌がる美夜を先輩が何とか引き止め、無事?俺と優は初めての夜を過ごした。


 美夜や先輩とは違う幸福感だった。


 優は十年以上好きだったなんて言ってくれたけど、俺も心の内から好きという感情が溢れだしているようだった。


 しかし、その幸福感と同時に激しい怒りのような、そんな状況に全くそぐわない自分でも理解できないような感情が自分の中に渦巻いていた……。

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