第28話 模擬戦

 エファリカの誘いを腕組みしたまま検討もせずに即断で断ったディアナ。

 エファリカは少々驚いたものの、長く生きた中で様々な人間がいる事を知っている。

 だから表情には一切出さず、冷静に疑問と忠告を口にした。


「その少年を?もしも私が連れて行くのを許したとして、その少年は確実に命を落とすだろう。連れて行かない方が少年の為だと思うが?」


 エファリカからすれば小さくてガリガリで弱弱しいマルコはどう見たって足手纏いにしか見えない。

 常識的に見て良かれと思っての発言だったのだが、ディアナはそれが気に食わなかった様で、あからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

 それがエファリカには理解出来ない。


 この少年にはディアナがそれほど拘る様な秘密があるのだろうか?

 いや、長年生きて来たがこれ程までに弱弱しい人間は見た事が無い。

 あるとすれば生まれたばかりの幼子か衰弱して死に掛けている人間だが、マルコにはそれに近い儚さを感じる。


 エファリカには理解が出来ない。


 あるとすれば、生命力に溢れるディアナの庇護欲が弱弱しいマルコを守ろうとしているのか。

 それにしたって魔物が大挙して押し寄せる戦場に連れて行きたいと思うだろうか?

 いいや、常識的に考えればありえない。


 エファリカには理解が出来ない。


 エファリカが思考を巡らせていると、ドミニクから思い掛けない提案があった。

 いや、ドミニクは最初からその展開を考えていたのだろう。


「エファリカは無駄死にする様な足手纏いを連れて行きたくない。ディアナはマルコを連れて行きたい。そういう事だな?」


「別に足手纏いとまでは言っていないが、そうだな」


「そうね」


「だったらエファリカがマルコと模擬戦をして連れて行くかを決めれば良い。マルコもディアナを一人で行かせる気はないんだろう?」


「はい」


「だったら自分の価値を示せ。不老の英雄様と戦える機会なんてそうはないぞ」


「わかりました」


 マルコは納得した様子で了承する。

 模擬戦とはいえエファリカと戦うというのに、まるで勝てる確信があると思っているかの様に首を縦に振った。


「ディアナもそれで良いな?もしもマルコが価値を示せなかったら、マルコを置いていってエファリカと戦う」


「ええ。良いわよ」


 ディアナは明らかに自信満々といった感じで、マルコを信じ切っている。


「エファリカもそれで良いか?ディアナを納得させるにはこれしかないが」


「まあ、良いでしょう」


 本当であれば、そんな余興をしなくてもエファリカにはディアナを連れて行く方法はある。

 例えば今回の戦いに参加しなければ冒険者としての資格を永久に停止するとでも脅してやれば、生活の掛かっている冒険者は参加をせざるを得ない。

 過去にはそういった方法で冒険者を動員したケースもあった。

 エファリカはそれが出来るだけの力を持っているが、出来るならば自分の意志で参加させたいし、納得した上で戦った方がディアナも実力を発揮出来る。

 どうせすぐに終わる余興でディアナが納得出来るのならばと、エファリカはドミニクの提案を受け入れた。


「模擬戦は訓練場でしょう?あたしはマルコを送り届けたら一っ走りしてくるから、あたしが着くまで待っててくれる?」


「ん?ああ。まあ、わかった」


 少し待っていて欲しいというディアナにドミニクが許可を出して、執務室にいる面々はギルドに併設してある訓練場へと移動した。


 冒険者ギルドの裏手にある訓練場は、約30m四方で地面は土になっている。

 訓練場には数名の冒険者がたむろしていたが、ドミニクは彼らを追い出して模擬戦が終わるまで立ち入り禁止にした。

 何だ何だと外から様子を窺う冒険者も散らして、窓は暗幕を掛けて隠す。

 どうやらドミニクは模擬戦を誰にも見せる気は無いらしい。


 ディアナはマルコを置いてから猛烈な速度で駆け出した。

 数分後、戻って来たディアナが肩に担いでいたのは、鍛冶屋のガントだった。


「おい!こんな所に連れて来て何だってんだよ!」


「だから、マルコが戦ってるのを見られるって言ってんの!」


「別に興味ねぇよそんなの!まぁ、見ろって言われりゃ見るけどよ」


 ディアナが地面に下ろすと、ガントはどっかりと胡坐をかいて座った。


「おやっさんを連れて来たのかよ。準備が出来たなら、さっさと始めるぜ。俺も書類仕事が溜まってるんだよ」


「それはいつもじゃん」


「今日は特別溜まってるんだよ!」


「あはは」


 一人待ちぼうけを食らっているエファリカを除いてリラックスした雰囲気が流れる。

 ディアナは手を繋いでマルコを訓練場の中央へと連れて行った。

 エファリカは既にマルコの向かいで訓練場に常備されている木剣を持っている。

 どうやら自分の得物を使うつもりはないらしい。


「少年は東刀を使うのかな?それならば東刀を使ってくれて構わない。こちらの攻撃は寸止めにするから安心してくれ。勝敗はどちらかが降参するか、立てなくなった方の負けで良いかな?」


「問題ありません」


 エファリカがルールを決めて、マルコはそれを了承した。

 審判はドミニクが行う。


「マルコ、いつも通りに」


「うん。ありがとうディアナ」


 鞘から抜いた刀を渡して、ディアナはガントがいる入口の前まで移動した。

 片手で軽々と木剣を構えるエファリカに対し、刀が重くて切っ先を地面に置いているマルコの構図が、傍から見るととてもシュールである。


「それでは両者準備は良いか?」


 どう見てもマルコの方は良く無さそうだが、お互いに頷いて応える。

 緊迫感はあまり無いが、マルコの表情は引き締まっている。


「ガントのおじさん。瞬きしたら見逃すからね」


「あ?そりゃ勝負は一瞬で付くだろうよ」


 ガントはマルコが一瞬で負けるのだろうと疑わずに言った。

 それと同様に勝利を疑っていないのはエファリカだろう。


 模擬戦開始を前に、ロウも良い子でお座りをしている。

 そしてミルナは鞄の中で寝ている。


 ドミニクが右手を上げ、その手を勢い良く下ろして模擬戦が始まる。


「始め!」


 開始の合図と共に、エファリカの目が獲物を狩る強者の目に変わった。

 マルコとエファリカの距離は約10m。


「悪いが一瞬で決めさせて貰う」


 そう口にして一気に距離を詰めに掛かったエファリカ。

 勝負は本当に一瞬で決まった。


 距離を詰めて突きを狙ったエファリカに対し、マルコはその場から動かない。


 何を狙っているのか。あるとすれば魔法か。

 いや、何も狙ってはいないだろう。あの細い体では攻撃に反応する事すら出来ない。


 エファリカはマルコを観察して思考する。

 何も出来ない相手に対しても油断はしない。

 長い時を生きたエルフは、油断をして圧倒的な格下相手に命を落とした強者を沢山目にして来たからだ。


 エファリカには少しの油断も無かった。

 ただマルコがエファリカが高く想定した天井よりも何倍も早く動き、エファリカの反応速度を超える速さで刃を首筋に当てただけだ。


 エファリカが大きく1歩距離を詰めた所でマルコの【|大番狂わせ≪ジャイアントキリング≫】が発動。

 地面を蹴って一気に距離を詰め、|致死線≪デッドリーライン≫をなぞって刀を振った。

 どうにか寸止めしたつもりだったのだが、目測を謝ったのかエファリカの美しい白肌が僅かに切れて、滲んだ血が垂れている。


「参った。私の負けだ」


 まさかの負けに目を見開いて負けを認めたエファリカは、一瞬だけ悔しさを滲ませてから笑いだした。

 その瞬間、マルコの【大番狂わせ】は切れて、マルコは必死で刀を地面に下ろした。

 マルコには刀が重過ぎて手がプルプルと震え、余程堪えたのか肩で息をしている。


「ふっ…ふふっ…はっはっは!なるほどな!それを持っている人間が現代に現れたのか!」


 楽しそうに、愉快そうに、エファリカは笑う。

 まるでマルコの力の秘密に心当たりがあるかの様に。


 マルコは寸止めが上手く出来ずに傷付けてしまった事を謝罪したが、エファリカは気にする必要は無いと言った。


「これは作戦の練り直しが必要だな。君はディアナ君と一緒に連れて行く。嫌だと言っても何としても連れて行くからな。ギルドマスター。執務室を貸してくれ。もう一度彼らと話をしたい」


「はいはい。それじゃあ先に行ってんぞ」


 エファリカはドミニクを連れて訓練場を出て行った。

 マルコ達を残したのは、どうやらマルコに用がありそうなドワーフがいたからだ。


 ガントはマルコとエファリカの戦いを見て、わなわなと身を震わせていた。


「マジか…マジか…お前マジか!本当に瞬きしてたら見逃す所だったぜ…。おいマルコ!今までの非礼を詫びる!お前はとんでもない奴だった!お前の動きは目に焼き付けた!いや、あんなもん忘れられるかよ!お前の刀は俺が打ってやる!いや、俺に打たせろ!今日から忙しくなるぜ!」


 ガントは言いたい事だけ言い切って訓練場を去った。

 あの様子ならば、然程時間も掛からずにマルコの刀は出来上がるだろう。


「あはは。ガントさんが刀を打ってくれるなら有難いね」


「あのおっさん、腕は良いものね。そんな事よりも!不老の英雄に勝っちゃうなんて流石はマルコよ!最高に格好良かったわよ!」


「あはは。ありがとう。ディアナがお膳立てしてくれたお陰だよ。さあ、お二人を待たせても悪いし、執務室に戻ろう。ロウも大人しくしてて偉かったね」


「アンアン!」


 小さな剣は、いつものほんわかとした雰囲気で会話をしながらギルドへと戻った。


 ミルナは未だ鞄の中で眠っている。

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