海の魔女は人の子の推しぴになりたい
F.ニコラス
1.幸運な出会い
私、
右手には筆箱を持ち。
左脇には大判のスケッチブックを挟み。
はたはたと風で揺れるスカートを少し押さえ、防水魔法を施したスニーカーで砂をさくさくと踏んでいく。
浜辺には誰も居ない。
ずーっと沖の方に、大きな船がぽつんと小さく見える。
どこにしようか。
絶え間なく周囲に目を配りながら、私は歩く。
たとえ見慣れた風景でも、毎日少しずつの変化はある。
波の高さ。
カモメの数。
水平線の霞み。
そして何より、魔力の揺らぎ。
私は、自分の心の穴を埋めてくれるような「変化」は無いかと、宝探しでもするような気分でスケッチの場所を探す。
長く長く続く浜辺を、西から東へ。
今日はなかなか良いものが見つからず、いつもより遠いところまで足を延ばす。
ちらりと腕時計を見れば、時刻は午後2時。
こんな時間から自由にできるのだから、休日って素晴らしい。
魔法学校で勉強をするのは楽しいけれど、それはそれ、これはこれだ。
砂浜を歩くのは少々骨が折れるが、私はどんどん進んで行く。
すると、右手側にずっと連なっていた消波ブロックの行列に、ぽかんと穴が空いているのが目に入った。
絶妙なバランスで成り立つその空洞には、周囲とは異なる魔力の揺らぎが発生しており、私はすぐさま近寄る。
覗き込んでみると、中には腐りかけた木箱のような物があった。
これは何だろう。
誰かが棄てて行ったのだろうか。
あるいは、どこかから流れ着いたのだろうか。
ますます興味が湧いてきて、もっと近付いて見る。
木箱には屋根っぽい部位と、扉っぽい部位があった。
つまりは、木箱というより小さな祠といった感じだ。
全体的に古く濁った魔力が纏わりついている。
側面に文字が書いてあるようだが……かすれ切って全く読めない。
扉っぽい部分には、錆びた錠前が付いていた。
気に入った。
私はスケッチブックを開き、画角を考え始める。
祠を大きく描こうか、それとも引きで、消波ブロックと共に描こうか。
あれこれと思案していた、その時。
「人の子よ」
不意に声が聞こえた。
私は反射的に周りを見る。
しかし、誰も居ない。
「人の子よ、聞こえますね」
困惑している間に、また声がした。
「こちらへ来てください」
私は耳を澄ませる。
声の出所は――目の前にある、この祠のようだった。
「さあ、こちらへ」
恐る恐る、私は祠に顔を近付ける。
ふわり、と甘い香りを纏った魔力が頬を撫でた。
「誰か居るんですか……?」
小声で話しかければ、「はい」とすぐに声が返って来る。
「どうか、助けてください。悪しき者に囚われ、出られないのです」
「と、閉じ込められてるんですか?!」
私は思わず大声を出す。
魔法でどこかから声を伝えているのではなく、本人がこの中に……。
小さい祠に人が入るとは思えないから、たぶん魔法で形を変えられて、押し込められているのだろう。
いわゆる監禁だ。
まごうこと無き大事件だ。
警察を呼ぼうかとも思ったけれど、閉じ込められて心細いであろうこの人を置いていくのは気が引ける。
ひとまず私は周囲を警戒しつつ、会話を続けることにした。
「大丈夫ですか? 具合が悪かったりしませんか?」
「問題ありません。それより、どうかこの扉を開けてください」
「わかりました! ……って、あれ……これは……?」
私は祠をまじまじと観察した。
全体が何かの魔法で覆われており、中でも扉に強く魔力が絡みついている。
封印魔法っぽいけれど、少なくとも私が知っているようなものではない。
どうやってこれを解除したらいいのか、私が首を捻っていると、また声がする。
「私の言うことを復唱してください。魔力を込めることを忘れずに」
「は、はい!」
耳を傾けると、すう、と息を吸う音がして、声が響き始めた。
「オウィラキ、ヒキサワミ」
どうやら呪文らしい。
聞いたことの無いものだけれど、響き的には。
「……オウィラキ、ヒキサワミ」
私は言われた通り、魔力を声に乗せながら復唱した。
「声」、「魔力」、「言葉」。
これが魔法を発動させる三大要素だと、魔法学校でしつこいほどに教わったことを思い出す。
「オウェ、コティ、ニマイ。オウェ、コティ、ニム」
声の主は呪文を唱え続けた。
なんというか、ちょっと古い感じがする呪文だ。
「オウェ、コティ、ニマイ……オウェ、コティ、ニム」
これもまた復唱する。
と、扉がカタ、と僅かに動いた。
「ウリクカ、ヘアモ。ウリクキ、ニム」
私は祠をいっそう注視する。
声は「祠から」というより、「扉の奥から」聞こえてくるという感覚が強くなってきていた。
「ウリクカ、ヘアモ。ウリクキ、ニム」
最後の1音を発し終えると、にわかに祠が光った。
周囲の消波ブロックが、光でパッと白くなる。
私は咄嗟に2、3歩あとずさり、腕で顔を覆った。
数秒して、光は収まる。
そっと前を見ると、そこには1人の女性が立っていた。
深い海の色をした、ウェーブのかかった長い髪。
陶器みたいに白くて綺麗な肌。
手触りの良さそうな黒いマーメイドドレス。
エメラルド色の瞳は、蠱惑的な輝きを放っている。
あんぐりと口を開けて呆然とする私に、彼女はにこりと微笑んだ。
「人の子よ、ありがとうございます。おかげで解放されることができました」
「ど、どういたしまして……?」
私はスケッチブックと筆箱を持つ手にぎゅっと力を入れる。
そうでもしないと取り落としてしまいそうだった。
「あの、誰があなたを閉じ込めていたんですか? 警察に行って、犯人を捜さないと……」
「いません」
「え?」
「私を封じた者たちは、もういません。もうずいぶん経ちますから」
「??」
やばいぞ、何を言っているのか理解できない。
犯行から時間が経ってるから、犯人には既に逃げられてるだろうってこと?
いや、だったらなおさら「いません」で片付けちゃダメだろうに……。
「えっと……お名前を伺っても?」
とりあえず、確実にわかることから訊いていこう。
近くの交番に行って名前と事の経緯だけ伝えれば、警察の人が何とかしてくれるはずだ。
「名前。呼称は特に定めていませんが、人の子からはこのように呼ばれていました――『海の魔女』と」
「海の魔女?」
名前くらいはと思ったのに、またもやぼんやりとした回答だ。
……いや待てよ。
『海の魔女』って、聞いたことがある気がする。
確か、そう。
魔法学校の、歴史の授業で……石頭の石山先生が……。
――かつては魔道具や魔法理論が発達しておらず、一部の力ある者が横暴に振舞うことが時々ありました。
――その最たる例が『海の魔女』と呼ばれた、500年前の怪物です。
――国を乗っ取ったり、街を破壊したり、多くの人間の心臓を食らったり……悪事の数や規模は途方もないものでした。
――ですが『海の魔女』は各地から集った実力者たちによって封印され、海の底へと沈んで行きましたから、現代では心配する必要はありません。
「…………え、やば……」
全身から血の気が引く。
間違いなく、やばい。
やっすい正義感でとんでもないことをしてしまった。
どうしよう、もう1回祠に戻す……?
いやできるわけがない。
じゃあ逃げる?
これって逃げ切れるものなのだろうか?
私の脳内は完全にパニック状態だ。
しかしどうしたことか、『海の魔女』は私を殺すでも取って食うでもなく、悲しそうに笑った。
「私を恐れているのですね、人の子よ」
孤独。
その2文字が、ふっと頭をよぎった。
危険な怪物だと習ったのに、不思議と、彼女への同情心がじわりと滲み出してくる。
「どうか怖がらないでください。私の望みは、ただひとつだけなのです」
「望み、って……?」
恐る恐る問う私に、『海の魔女』は穏やかな声で答えた。
「人の子の、推しぴになりたいのです」
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