第7話 また、明日
体育館。
職員室。
特別教室棟。
それから、教室。
秋野を校庭に待たせて、朝、念入りに準備した場所を確認していく。
ひとり二発で、合計四発。
スイカほどの大きさの火薬玉は、手製の遠隔着火装置と共に、静かにその時を待っていた。
配線よし。
電池よし。
モーターよし。
慎重に、リュックの中のスイッチに触れる。
……あとはこれを押すだけだ。
深呼吸をして、覚悟を決めた。
*
校庭に戻ると、秋野はぼんやりと空を見上げていた。
「おまたせ」
「うん。学校で、何するの?」
俺は答える。
「夏祭り、かな」
力一杯、スイッチを押し込んだ。
さあ、花火大会を始めよう。
どうしようもなく小規模で、だけど、これ以上なく派手に咲かせよう。
ろくでなしの大人にも。
消えていった友達にも。
この町に残る誰かにも。
飼育員のオッサンにも。
在りし日の自分自身にも。
隣に立っている秋野にも。
もしいるのならば……神様にも。
どこにいたって見えるくらい、派手に。
見せつけてやりたい。
ざまあみろと笑いたい。
俺はまだ、ここにいる。
俺はまだ、戦っている。
俺は、ここに生きている。
……………………。
………………。
…………。
……。
数秒。
数十秒。
一分は経った。
夏の夜は相変わらず静まり返っている。
花火は、爆発しなかった。
「あれ?」
「……何も、起きないね」
「っかしーなあ」
カチカチと何度も押し込む。
校舎は変わらず静かで、うんともすんとも言わなかった。
「それ、何のスイッチなの?」
「打上花火の点火装置。これで学校、爆破しちゃおうと思ってさ」
「爆破」
秋野は目を丸くする。
「ラジコンとライター改造して、スイッチ押したらモーターが回って火花が出るはずだったんだけど」
「試運転は上手くいったのになあ」
「……ラジコンの操作距離を越えちゃってるのかも」
「え、そこ?」
今度は俺が驚いた。
「うん。電波、100メートルが限界だと思う」
「いや、そこじゃなくて!」
「?」
秋野が首を傾げる。
「……てっきりまた、爆発物取締法がーとか何とか言われるかと思って」
俺の言葉に、秋野は僅かに眉を吊り上げた。
「言おうと思えば、言えるけど。まず花火を打ち上げたかったら許可を取らないとダメ。
それから、大きさによって確保すべき保安距離だって」
「だー! わかった、わかった!」
何でそんなこと知ってるんだよ。
慌てて遮るが、秋野は止まらない。
「それに、法律とか資格を抜きにしても……」
「そもそもラジコンの周波数が届くような距離で爆発なんかさせたら、私たちも巻き込まれちゃうんじゃないかな」
「あ」
「それに、中庭のコスモス。避難させてね」
秋野は冷静に締め括った。
「…………」
ぐぅの音も出なかった。
正論を突きつけられて、己の詰めの甘さを痛感する。
思い付きだけじゃ、限界があったか。
「さすが、不動の学年一位だな」
俺は負け惜しみに憎まれ口を叩く。
それを聞いて、秋野は微かに……だけど確実に、悪戯っぽく微笑んだ。
「そうだね。榎本くんも、ちゃんと勉強してれば上手に爆破できたかも」
「……勉強か」
「確かに、しとけば良かったかもなあ」
皮肉でも適当な相槌でもなく。
自分でも驚くほど素直に、言葉が出た。
秋野が横目で俺を見る。
「手伝ってあげようか、爆破」
「え。秋野が?」
爆破?
学校を?
「うん」
「……先生に、怒られるぞ」
咄嗟に、何ともマヌケな返事をしてしまった。
「いいよ、怒られても」
秋野は平然と言ってのけた。
「あ、化学実験室だったら使えそうな薬品とか、色々あるんじゃないかな」
「秋野。グレちゃったな、お前」
「大丈夫。これも勉強の一環だから」
「はぁ?」
混乱する俺に、秋野は言った。
「夏休みの、自由研究だよ」
俺は、笑っていた。
「……自由研究は課題にないだろ」
*
家路を辿る。
……ひとりで。
秋野はというと、爆破のリベンジを約束するや否や、
「門限を過ぎちゃったから」とあっさり帰っていった。
やっぱり最後まで、秋野は秋野で。
そりゃあ少しはガッカリしたけど、それが心地よくもあった。
「また明日ね」
「……ああ」
別れ際。そう言った秋野に俺は『また明日』と返せなかった。
いつの間にか……約束が苦手になっていたことに気づく。
約束は曖昧で、脆くて、苦しい。
信じられるものなんて何もなく、皆が俺の側からいなくなった。
果たされなかった約束は雪のように降り積もり、溶けることなく心の底に澱む。
中途半端に右手を上げる俺に、秋野は無理矢理、右手の小指を絡ませた。
「また、明日」
近づいた距離に鼓動が跳ねる。
それに気づかれないようにするのがやっとで、俺は当たり前みたいに、そう言っていた。
「また、明日」
『ジリリリリリリ!!!!!!』
その時、夜の静寂を切り裂いて、警報の音が鳴り響く。
「え?」
「うわ、なんだ?」
見ると、校舎の廊下から黒い煙が噴き出していた。
……
「これ、火災報知器か!」
「……時間差で点火されちゃったのかな」
マジかよ。
ってことは、まさか爆発成功するのか?
一瞬、期待で興奮するものの、すぐに秋野の言葉が甦る。
『私たちも巻き込まれちゃうんじゃないかな』
一気に血の気が引いた。
……三尺玉って、開いたら何メートルあるんだ?
勉強不足の己を恨みつつ、秋野に問いかけた。
「もしかして、この距離……ヤバいか?」
「ヤバい、かも」
顔を見合わせる。
「よし、」
秋野は何故か、笑っていた。
「逃げよう!」
「ええっ?」
言うが早いか、指切りした俺の手を取って走り出す。
夏の夜。
黒い煙。
警報音。
その中を、手を繋いで全力疾走する。
もうヤケクソだ。
秋野は声をあげて笑っていた。
俺も。
グラウンドを駆け抜けて、荒い息のまま振り返る。
煙は既に晴れていて。
そこには、忌々しき我らが母校が静かに建っていた。
爆破はやっぱり、失敗らしい。
「スプリンクラーが動いたのかも」
「んだよ、それ……」
呆れと疲労で、道路に倒れ込む。
背中に触れるアスファルトはまだ昼間の熱を保っていて。
何となく、地球の体温みたいに感じられた。
……まったく。
学校ひとつ吹っ飛ばすのにも、障害が多すぎる。
「課題が沢山だ。リベンジしがいがあるね」
「……前向きだな」
秋野は勉強だけじゃなく、妙な知識も豊富だ。
本人は『仕方なくやってる』なんて言ってたけど、いくら時間をかけたからって、この進学校でトップなんて取り続けられるものだろうか。
知識欲や、試行錯誤。
やっぱりこいつは勉強も好きで、向いてるんじゃないか。
そんな、どうでもいいことを考える。
「あーあ! 星が綺麗だな、ちくしょう」
最後までカッコつかない展開だ。
ロマンチックの欠片もありゃしない。
……ただ。
腹の底の焦燥は、気づけば消えていた。
*
家に着く。
手を洗って、飯を食う。
風呂に入って、歯を磨く。
いつもと同じ。
いつも通りの夜。
何となしにラジオを点ける。
電波を乗っ取って今も放送を続けている物好きなDJが、地球最後の放送をしていた。
『それでは皆さん、よい終末を』
布団に寝転がる。
益体もない思考が、浮かんでは消える。
また明日、か。
明日が来たら何をしようか。
新学期だよな。
課題、やってないな。
秋野に写させてもらえないかな。
……それとも、ほとんど町から逃げちまってるから、休校か。
だったらいいな。
再開する前に、やっぱり爆破してしまおう。
そんで、遊ぼう。
目を閉じる。
秋野の顔が浮かんだ。
あいつを誘ってみよう。
おさかなくんだっけ。
今度はちゃんと話を聞こう。
アニメを一緒に見るのもいい。
あとは、コスモスの水やりも手伝ってやろうかな。
他には何が好きなんだろう。
何が嫌いなんだろう。
まだ知らないことばかりだ。
これから、知っていけるだろうか。
色んなところに行ってみたいな。
水族館にも、また行こう。
あいつはきっと、どれも新鮮に、ちょっとズレた反応をするんだろう。
俺はそれをからかうんだ。
楽しいだろうな。
……それから。
それから、やりたいことを見つけよう。
作り話みたいな現実が襲ってきて、だけど現実は映画みたいに上手くはいかなくて。
花火は失敗して。
秋野とは何ともならなくて。
親との関係も、友達のことも、俺の成績も、夏休みの課題も、
別にどうにもならないままで。
俺は世界を救えないし、昨日と何も変わらないし、
明日がやって来たとしても、たぶん何も変わらずに過ごしていくんだ。
今日は特別な日にはならなかった。
ただ何でもない夏の一日になった。
だけど、たぶん、それでいいんだ。
きっと、それがいいんだ。
俺は、今日という日を精一杯楽しんだ。
今日を……何でもない日に出来たんだ。
それは、俺の戦いだった。
目標達成ということにしておこう。
でも、だったら、新しい目標が必要だよな。
少しだけ考えて、すぐに気がついた。
……そういえばまだ、知らなかったな。
もうすぐ、日付が変わる。
ラジオのDJは、世界で最後の曲をかけた。
眠りに落ちる寸前、俺は明日の目標をひとつ、心に刻む。
世界を救えなくても。
何も変わらなくても。
何もかも変わっても。
明日会ったら、あいつの名前を聞いてみよう。
夏ノ桜にゆびきりを StudioCyan @StudioCyan
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