第4話 オリーブの王子
ぺらり、ぺらりと書物のページを捲る音だけが響いている。
ああでもない。こうでもない。
頭をフル回転させ、エリックは必死に考える。
魅了状態の治療薬の作り方。探しても探しても、それらしい文献は見当たらない。
(ったく、どーしろって言うんだよ……)
百歩譲って、エリックの渡したポーションが媚薬だったとする。
媚薬に必須な素材は、サキュバスの涙だ。これがなければ、絶対に作るのは困難。もしも、エリックが誤って媚薬を作ってしまったのだとしたら、どこでそれが紛れ込んだのか。
サキュバスは主に魔界の谷に生息している。数も少なく、この辺りをウロウロしている魔物ではない。
どう考えても、作れるはずがない。やはり、後からすり替えられたと考えた方が自然だ。
コンコン、とノックの音が響いた。
アルフレッドが来るのは明日のはずだ。
こんな時間に一体誰が。この店にあるのは薬草ばかりで、金目のものはほとんどない。老朽化で立て付けも悪く、盗賊が入るのも躊躇うくらいのボロボロ具合だが、念のため、すぐ近くにナイフを取れるようにしておく。
扉を開け、恐る恐る覗き込んでみる。
「あの、どちら様ですか」
「……お前がエリック、だな?」
ドアの外には、フードを被った長身の男がいた。後ろに引き連れている馬は暗闇でもはっきりわかるほどの毛並みの良さで、鞍は金の装飾が施されている。
明らかに上流階級だ。
つい最近までは、エリックには縁のない世界だった。
アルフレッドの関係者。心当たりはそれしかない。
「はい、そうですけど……」
男はフードを脱ぎ、素顔を見せた。
その拍子に、黒い前髪がさらりと靡いた。見えたのは溌剌と輝くオリーブ色の瞳。両耳のピアスや大ぶりの指輪がやや軽薄そうな印象だが、アルフレッドとはまた違ったタイプの、美しい顔立ちだ。
「本当は偽名を使った方が良いんだが……めんどくせぇから名乗ってやるよ。聞いて驚け、俺はランドロフ・ヴァルクレイン」
「それって……」
ヴァルクレイン。それはまごうことなき、王族の姓だった。
第一王子、ランドロフ・ヴァルクレイン。
あまりの驚きに、エリックの喉からひっと引き攣った声が漏れ出た。
「あぁ、別に傅かなくていいぜ」
庶民の反応には慣れっこなのか、ランドロフはへらへらと笑ってエリックの肩を叩いた。
「そんなことよりさ、お前、アルフレッドに妙なもん飲ませただろ」
(やっぱり、そうだよな……)
王子がわざわざ庶民の元へ出向くなんて、よほどのことがない限りあり得ない。
「いや、あれは多分俺じゃないと思うんですけど……」
なんとかして、自分のせいではないとアピールしないと、このまま逮捕されてしまう。
不敬罪を覚悟で、エリックは言い訳を始めようとした。
「うん、俺もそう思う。なんかお前鈍臭そうだもん。媚薬なんか作れなさそう」
ランドロフはエリックを小馬鹿にしながら指を差した。
(それはそれで傷つくんだが……)
流石に王子に言い返せずに、エリックはぐぬぬと唇を噛んだ。しかも、鈍臭いのも媚薬を作れないのも事実ときた。
「でもな、残念ながら、お前が第一容疑者なんだわ」
びし、とランドロフはエリックを指差した。
「アイツには婚約者がいるんだ。名前はロザリア・ヴァルクレイン。超絶可愛い俺の妹。昨日、アルフレッドが『真実の愛に行きたいから婚約破棄する』って言い出して、もう親父はカンカンだよ」
騎士団長と王女。まさにお似合いのカップルだ。
そんな二人を意図せず引き裂いた重罪人になってしまい、エリックはますます頭を抱えたくなる。
「治癒魔法も万能薬も片っ端から試してるんだが、全く効果なし。当の本人は式を挙げるだの新居作るだの言ってやがる。こちら側としてはこれ以上大事にしたくないんだわ。婚約破棄だなんて国民に知られたら、王家の名に傷がつく。極秘も極秘。知ってるのは身内だけに収めたい。だから、わざわざ王子の俺が動いてるってわけ」
「な、なるほど……」
「というわけでお前。とりあえずアルフレッドと一緒に住め。そしたら、アイツも大人しくなるだろ。んで、何としても正気に戻せ。さもなくば、国外追放!」
「ちなみに断ったら今ここで処刑な!」
ランドロフはがっはっはと笑いながら剣を抜いて、切先をエリックへと向けた。
もうなるようになれ、だ。
エリックは全てを諦めて愛想笑いを浮かべた。
「明日迎えに来るんだろ?今のうちに荷物まとめとけよ!新居、めっちゃイカしてるらしいぜ。楽しみにしとけ」
じゃあな、と笑い、ランドロフは颯爽と去っていった。
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