第1話 目が覚めたのは

「ん……うぅ……」


 なんだか体が重い。頭がズキズキする。


 重いんじゃない。痛い。

 そしてここはどこだ。目を閉じていてもわかる、腐葉土と枯葉の匂い。

 そして聞き覚えのない虫の声。風の音。


 え?外?


 ゆっくりと、目を開けた。


「どこ……?ここ」


 私は何でこんなところにいるんだろう。

 痛む体を起こす。


 森だ。見たこともない草木、知らない風景.

 自宅の近くの植生ではない。

 かつての旅でも、見たことがない。


 背後で風が跳ね返った気がして、振り返る。

 崖?


 私は、崖下にいた。


「崖……あっ!」


 そうだ、私は転生の秘術を発動したんだ。つまり私は転生した…?

 でもこの体は…


「痛っ!……痛い痛い痛い!!」


 両手で頭を抱えても耐えきれないほどの頭痛。あまりの痛さにのたうち回る。そして同時に、”この体”のそれまでの記憶が”私”の記憶の中に流れ込んできた。

 ”この体”はもうすぐ15歳になるであろう14歳、商人としての計算や仕入れ、目利き、商いの方法を学んだ女の子だ。


 名前は…レベッカ


 そうか、この体は”レベッカ”っていうのか。


 同時に、どうしてこの子がこんなところにいるのか、直前の記憶が蘇ってきた。


 この子のいた隊商が山間の峠道に差し掛かったところ魔物の群れに襲われ、隊商は壊滅。

 この子は森に飛び込んで逃げる他なく、魔物に追いたてられる中、この崖から落下。

 

 記憶の最後は、10階の建物の更に数倍はあろうかという高さを頭から落ちていくなんともスリリングな光景だ。その記憶を掘り出したとき足元が寒くなったほどだ。

 これはきっと、最低でも首の骨を折って即死だろう。叩きつけられて脳髄や臓物をぶちまけたかもしれない。


 ……だからそうか、要するに私は死んだこの子の魂が抜けた抜け殻の体に入り込んだんだ。


「転生って、そういう意味?」


 てっきり赤子から産まれるものだと思っていたが、こういうパターンもあるのか。

 神話の話で聞くようなやつはどれもどこかの赤子に潜り込むやつだったから、こういう事になるとは思わなかった。


「まあいいわ。すぐに動けると思えば」


 考えてもみたら精神面だけ大人なのに赤ちゃんからスタートというのもどうかと思うから、14歳のこの子くらいがちょうどいいかもしれない。


 それにしても体中が痛い。回復しよう。


「エクスヒーリング!」


 魂が入れ替わって多少のダメージリセットがあったのかもしれないが、こんな高さの崖から落ちて平気なはずがない。だから魔力のコスパがとか余計なことは考えず、先ずは全回復だ。躊躇なく上級治癒魔術を行使する。


 体が光に包まれ見る見るうちに痛みが引いて…いかなかった。


「え?なんで?」


 どうみても下級治癒魔術の”ヒーリング”程度の効果しかない。というよりこれはヒーリングそのものであってエクスヒーリングではない。

 だから、すっと引くはずの痛みがなかなか引かない。


 じわじわと治っていく感じはするものの、時間もかかるしそもそも初級治癒魔術では重傷になると完全には治らない。

 信じられない。私は大魔術師なんだ。こんなはずが……


 それでもなんとか痛みも緩くなって、動けるようになった。

 立ち上がり、改めて体と装備を確認する。


「骨折とかは……なさそうね。うわっ、何これ。血がべったりじゃない」


 レザーアーマーの地面についていた側には、土を落としたらべったりと血の跡がついていた。この子、やっぱり落下時の衝撃で頭を割ったらしい。


「そりゃそうよね。あんな高さから落ちたら」


 再び視線を上げると視界の大半を占拠するほどの崖がそびえたっていた。首が痛くなるくらい上を見ないとその頂点すら視野に入れることができない。


 あとは傍に落ちていた短剣に、腰につけていた二つの小袋に多少の宝石類とこの辺の土地の通貨と思しきコイン十枚ちょっと、もう片方には保存がきく豆類の食糧だ。


 この子の記憶をたどる限り、多分ここから数日の距離には町があるはずだ。先ずはそこを目指そう。

 ただしそれはきちんとした街道を通ればの話だ。

 こんな藪の中からどうすればいいんだ。


「ふぅ……」


 崖に体を預け、一息つく。

 今日はここで大人しくしていた方がよさそうだ。

 かつての経験からわかる。今のこの体に受けていた致命傷は多少リセットされていても体力は回復していない。

 弱くてもいいからヒーリングをかけ続け、少しでも怪我を治して体力を回復させてから動き出そう。


「ヒートウォーター」


 頭から熱いお湯を被る。水を流しだす初歩的水魔術と、加熱用の火の魔術。二つの初級魔術を同時に行使するものだがこれは普通に使えた。

 血と泥で塗れていた頭を洗い流す。同時に、レザーアーマーや衣類を脱いでこちらも洗う。

 地面にできた水たまり。泥が落ち着いて静かになった水面。そこにぼんやりと私が映る。

 はっきりとはわからないが、それなりの容姿を持つ体に転生できたらしい。


「この子も赤髪なのか」


 どす黒い土と血の混ざったものを洗い流して現れたのは短めに切られた前世よりも少し明るめの赤髪だ。深紅だった前の髪よりも少し明るく橙色がかかってもみえる。

 あるいは、前世でも若い時はこういう色をしていたかもしれない。


「なら、買う服とか悩まなくていいか」


 濡れた肌着だけ、温水を作るのと同じ要領の魔術で作った温風で乾かしたところが体の限界だった。

 それらを着てから脇の乾いた地面に移動して、崖に寄り掛かる。

 引き続き水を魔術で作り飲み干しながら、栄養価が高いとこの体が記憶していた豆をいくつか口にして、目を閉じた。


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