ポケットのジャガイモ(上)

 亀裂だらけ石畳がところどころ浮き上がってガタつく床に、苔生して蔦が這い回る冷たい石の壁。

 カンテラの小さな灯だけでは通路の先もろくに見えない暗闇の中、大きなバックパックを床に下ろすと、ティトン・ディグダグはそそり立つ壁に手を付き頭上を見上げた。

 道と同様、真っ暗闇に塗りたくられた天井の高さは伺えない。視線を下ろし、指ぬきグローブを嵌めた手で正面の壁を軽く撫でてから、満足げに大きく頷いた。

「ここで間違いないね」

 脇に挟み持っていた細柄の戦槌を右手で握り、軽く振り下ろして足下の石畳を叩く。コォン、という固い響きが一帯に反響すると同時に床に浮かび上がったのは、赤色に発光する印章だ。三角形を二重丸で囲んだシンプルな図柄で、大きさは、ティトンの首周りに浮き上がる青いハロより二回りほど小さい。

 その印を遠巻きにするように数歩退き、ティトンは壁から距離を取った。耳当て付きの飛行帽の唾を指で摘まみ持ち、腰に手を当てて再び視線を上向けると、朗々と唱える。

「トリガー!」

 赤い印が一際眩く光を放ったかと想うと、空気を焼く短い音とともに噴き上がったのは紅蓮の火柱。真上目掛けて一直線に伸びた炎の高さはティトンの背丈のゆうに四倍を超えたが、天井に達することはなく、最高到達点でとぐろを巻いて火の粉を散らした。

 その間、ティトンは青い瞳を見開いて、壁面上方へ目を凝らす。

 伸び上がった炎に照らし出され、ようやく視認が可能となった天井から張り出しているのは、ティトンの腰回りよりも太い巨大な樹の根だ。ぐねぐねと曲がりくねったそれらは、硬い石壁すらも浸食し、壁面に刻まれた彫刻すらも無遠慮に破壊している。

 炎の柱は三秒ほどで勢いを失い、熱だけを残して消え去った。再びカンテラだけが頼りになった暗闇の中、ティトンは上方を見つめたまま顎に指を当て、フム、と考え込む。




 ティトンが現在潜っているのは、地下ダンジョン「ドーリッシュ遺跡」の第四層だ。人の背丈よりも遙かに高い壁に挟まれた細く複雑な回廊と、それよりさらに高いドーム状の天井を持つ複数の広間で構成された広大な階層である。

 ドーリッシュは、最深層と考えられている第二十層については今なお前人未踏破の巨大遺跡だが、第七層までは完全開拓されている。浅い階層であれば危険度が高い魔獣も出ないため、初心者であっても潜りやすい身近なダンジョンでもあった。

 当然、発掘調査士にして遺跡マニアであるティトンは過去に幾度となく探索している。それどころか、街に出回る第七層の完全マップは彼の調査結果を元に作られたものだ。

 第四層など散歩コースのようなもので、マップはおろか、魔獣の溜まり場やトラップの位置、果ては彫像装飾の場所までが全て頭に叩き込まれている。この程度の浅い階層であれば、貴重なアイテムや精製素材が入手できる可能性も低く、わざわざ探索するメリットは小さい。

 にも関わらず、彼がこうしてこの場にいるのは、とある実験調査のためである。

 ――予想どおりだ。

 顎から手を離し、ティトンはその場に腰を下ろして胡座をかいた。バックパックから使い込まれたスケッチブックを取り出し、ページをめくる。現れたのは、簡素ではあるが要所を抑えて正確に描かれた石壁のスケッチだ。

 今から三日前、彼は今日と同様に単独で第四層に潜り、この壁の前を訪れていた。そして事もあろうに、最大出力の雷魔法で、壁と天井の一部を豪快に吹っ飛ばしたのである。

 床から迸った雷撃は石材を砕き、天井に風穴を開けて第三層まで貫通した。学者にあるまじき破壊行為であり抵抗感は強かったが、それでもティトンが思い切ったのは、それなりの意図と確信、そして、ある種の「保障」があったからこそだ。


 それは、PIYOと呼ばれる摩訶不思議な生物の存在。


 ヒヨコそっくりの丸々とした外見で、エデンの至る所を――屋内外を問わず、それこそダンジョンの最深部ですら平然と歩き回っている。エデンの住人にとっては身近でありながら、未だに謎が多い、どころか、ほぼ謎しかないこの生物最大の特徴は、「壊れた施設や環境を直す」という特異な力を持っていることだ。

 どれだけ酷く破壊された建物だろうが、焼け野原と化した土地だろうが、PIYOたちは人が少し目を離した隙に群がって、たちどころに修復してしまう。どんな高度なハロにも勝る驚異の力だが、エデンの住人にとっては日常の一環であり、不思議に思う者すら稀なのだった。

 PIYOが修復する対象は、ダンジョンも例外ではない。

 ティトンが無残に破壊した壁は、そして天井も、僅か三日の間に完全に復元され、穴はおろか焦げ目のひとつも見当たらない。おそらく三日と言わず、ティトンがここを去った数時間後には今の状態になっていたのだろう。それだけPIYOの修復能力は高く、エデンにおいては驚くに値しない。

 だがティトンの実験の狙いは、まさにそこにあった。

 三日前に描いたスケッチは、彼が破壊行為に及ぶ前に、天井から伸びて壁を這う樹の根の長さや形、位置を描き留めたものだ。そして今、炎で照らし出したそれらは、ティトンの記録と完全に一致した。

 と、言うことは、PIYOは天井や壁のみを単純に修復したのではなく、むしろそれらを傷める原因である樹までも元どおりに直したということになる。

 PIYOの力が「施設環境を万全な状態にする」ものであれば、遺跡は樹に浸食される前の綺麗な状態が再現されるだろう。だが現実には、天井も壁も樹に蝕まれて酷く損傷し、亀裂だらけの姿のままだ。

 樹は、天井が低く狭苦しい第三層のさらに上、第二層の地下森林から、この第四層にまで根を伸ばしている。石の土壌すらものともせず巨大に育つ生命力と引き換えに、この樹は成長が非常に遅く、根が伸びる速度は一年にわずか十数センチ程度。一度丸焦げになったものが、僅か三日でここまで再生できるはずがない。

 つまりPIYOは、その施設環境を単に直しているのではなく、「特定の年代の状態にまで戻している」のだ。ある種の時間回帰と言えなくもないだろう。

 では一体、「特定の年代」とは、いつなのか?

 壁材の劣化具合や樹の根の長さから割り出すと、この地下施設は約五百五十年前に作られ、その後百五十~二百年程度で人の手を離れたと推定できる。ここから逆算していくと、PIYOによる修復は、この場所が本来の用途を成さなくなってからおおよそ三百五十~四百年後の状態を維持するように機能しているらしい。


 あたかも朽ち果てた「遺跡」こそが、正しい姿であるかのように。


 謎の探求に情熱を注ぐティトンは、エデンに存在する他の遺跡でも同様の調査を進めているが、PIYOの修復が帰結する年代や遡及年数は遺跡によってまちまちで、未だ法則性は見出せない。ティトンはこの「特定の年代」を独自に「年代的特異点」と呼称し、その解明を彼の研究における最大の目標と位置づけていた。

 だが、ここから先に進む道が見つからない。

 同じクランに属し、千里眼という特殊スキルの持ち主であるイロハに協力を仰いだこともある。しかし彼のハロにとってもいわゆる「不可視」の領分らしく、めざましい成果は得られなていない。お人好しのイロハに無理をさせるわけにもいかないため、以降は彼のハロに頼ることはすっぱり諦めたのだが、ティトン単独での調査にも限界が見えつつあるのだった。

「分っかんないなぁー。あーもう、面白ーい」

 長考の末にスケッチブックを投げ出して、ティトンは悔しげに唸りながら、だが楽しそうに大きく伸び上がった。途端に腹がグウと鳴る。

 夢中になると寝食を忘れがちなのはティトンの悪癖である。調査と思考に没頭していたためすっかり失念していたが、早朝にクランを出て以降、丸半日食事を取っていなかった。

 そう気付いてしまうと、俄に空腹感が襲ってくる。深青緑色のズボンのカーゴポケットに片手を突っ込んで中をまさぐり、そして。

「……あれ?」

 ティトンは首を傾げた。

 逆サイドのポケットも探る。フロンティアポケットも、尻ポケットも。果てには愛用の巨大なバックパックを引き寄せて、ありとあらゆるポケットを検めた。が、無い。


 ジャガイモが無い。


 ティトンはいついかなる時でも、弁当として、非常食として、大好物であるジャガイモを服や鞄のポケットの中に入れて持ち歩いている。今朝もクランの台所でジャガイモを丸ごと四つ蒸かし、冷ましてからワックスペーパーで包むつもりで、テーブルに置いたところまでは記憶があった。それを回収しないまま出掛けてしまったのだろう。そこまで思い至って、ティトンは「あちゃー」と、掌底で己の額を叩いた。

「僕としたことが、まさかジャガイモを忘れるなんて」

 本当はこのあと、コトワリやアロへの手土産に素材のひとつふたつも収集して帰るつもりだったが、空腹のためにダンジョン内で行き倒れるなどという愚挙はさすがに避けたい。

 渋々ながら、ティトンは散らかした荷物やスケッチブックを拾い集め、帰り支度に取りかかった。

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