第14話


 ルゥルゥの予想は嫌なくらいに当たっていた。翌日の昼時、ルゥルゥとヴァリスは休憩室で屍と化していた。

「おい……どうなってんだこの館は……奴隷か俺たちは……」

「呪に侵された方が多すぎますね……ヴァリス様の呪いも触発されやすくなっていますし……」

 二人は同時にベッドに突っ伏す。

 複数人の呪いを一気に相殺するというヴァリスの申し出を早々に却下し、ルゥルゥのサポートのもと、彼には患者に一人ずつ対処してもらった。だが、これが予想以上に時間がかかる。一度の呪いの相殺は短くて済むが、何せ数が半端ではないのだ。

「ヘクトルのぼんくら野郎が……何が患者は五十くらいだ……絶対に五十じゃ足りねえぞ……」

「日に何度か患者の方も増えていきますからね……正確な数は出せないのでしょう……」

 ヴァリスはごろりとベッドに寝転がると、大きく嘆息した。

「つーか、どうなってやがる……どいつもこいつも、呪いの強さが尋常じゃねえ。そりゃ昨日ほどじゃねえが……」

 ルゥルゥも頷いた。

「私も患者を看せていただきましたが……おそらく呪を『植える』ような形で呪って、そのあとは患者の体の中で呪が増幅するような設計になっていますね」

 呪い解きの館に運び込まれている患者には、みな相応の症状が出ていた。軽い者でも、重い風邪と食中毒がいっぺんに来たような有様だ。ひどい者は理性を失い、獣のように暴れ出すため、特殊な術のかけられた鎖でベッドに縛りつけられている。

 軽い症状の者もいつ暴れ出すか分からないため、手首をベッドに繋がれている状態だった。

 痛ましいものだ。無理やり体に呪が注ぎ込まれると、大なり小なりそういう症状が出る。

 しかし、同時に不思議でもあった。通常、呪いには術者の感情が乗る。自分以外に目を向けないでほしい、自分より上に行かないでほしい、不幸な目にあってほしい、死んでほしい……呪いの程度や症状には、それぞれの「感情」由来の特徴が出るはずなのだ。

 だが、病のような症状が出たり理性を失って暴れたりするのは、最も根源的で基本的な症状だった。呪いをかけた人間の感情が見えない。

「……それはそうと、ルゥルゥ」

 不意に、彼がぽんと放り投げるように言った。

「俺の呪いについてはなんか分かったか。……つっても、今日はひたすら呪いを相殺してばっかで、何もしてねえが」

「いいえ、ヴァリス様」

 ルゥルゥははっきりと首を横に振った。

「ヴァリス様が呪いを相殺してくださったとき、悪魔憑きの呪いは確かに反応していました。どの程度の症状が出ている人の呪いを相殺するか、そもそもヴァリス様が呪いを相殺した方が誰なのかで、反応速度も反応の強さも変化しているのです。ずっと呪いを自分に渡していましたから、それくらいは分かります」

 彼は興味を持ったのか身を起こした。彼女もなめらかに言葉を繋げる。

「悪魔憑きについては確かに明確な対策がほとんど存在しません。鎮石についても不明な点が多いです。しかし、悪魔憑きは『悪魔に呪われている』状態に近いものだと母は言っていました」

「……? 俺を呪ったのは、俺の母親じゃねえのか」

「悪魔に命じたのはそうかもしれません。でも、実際に呪うのは悪魔ですよね? 呪いには、呪い手の心が出ます。悪魔のように自我が強すぎる存在ならなおさら……たとえ『この人を苦しめてほしい』と望んだとしても、性を好む悪魔なら性に関わる苦しみを、力に固執する悪魔なら暴力による苦しみを、美しさにこだわる悪魔なら醜さによる苦しみを与えます。悪魔は道具じゃありませんから、機械的に、決まった呪いがかけられることはまずありません……そこで、ここからは私が考えたことなのですが」

 一度言葉を切る。ちらりとヴァリスを見やると、彼は真剣な瞳でじっとこちらを見つめていた。

「……呪いが悪魔の感情によって、心によってかけられているならば、その感情を鎮めてしまえばいいのではないですか?」

「何?」

 彼の目が見開かれる。

「そんなことができんのか?」

「分かりませんが……人は呪うときに必ず、呪いの対象に関してなんらかの感情を持ちます。その感情が、呪いには残滓として残ります。それを辿って、呪いを相手に送り返すのが、呪い送りと呼ばれる行為です。呪いをかけるときの術者の感情が、呪いを解くための手がかりになる……」

 人差し指を曲げ、関節部分を唇に当てながら、ルゥルゥは言葉を選んで話す。

「つまり……悪魔にも感情があるのなら、理論的には、それを鎮めてさえしまえば、呪いは封じられるはずなのです。鎮石は、なんらかの方法で悪魔の感情を鎮めるものなのではありませんか?」

 ヴァリスは息を呑んだ。正直、仮説に仮説を重ねた理論だ。分かっていないことが多すぎるし、確かめるすべもない。

 だが、少なくとも理論上は、可能なはずなのだ。悪魔は混沌の存在で、人を惑わし、たとえ召喚されても術者に問答無用で従うことなどない。彼らは圧倒的に上位の存在で、たとえ人間が何かを捧げて祈ったとして、面白半分にその願いを叶え、それ以上の対価を要求する生き物だ。

 だが、感情がないわけではない。絶対に、そこには彼らの美学があり、信念があり、恫喝じみた祈りさえある。

 それを封じるのだ。彼らを殺せなくても、眠らせることはできる。

「うーん……ヴァリス様の中にいる悪魔とお話ができれば早いのですが……」

 彼はぎょっと目を見張った。

「ルゥルゥ、お前、たまに命知らずなことを言うよな」

「そうでしょうか? 良い考えだと思ったんですけれど……案外、話の分かる方かもしれませんよ」

「話が分かるやつだったら俺は呪われてねえだろ。つーかそもそも、悪魔と会う方法なんざ……」

 彼は唐突に言葉を切った。ルゥルゥが首を傾げたが、彼の目は虚空を見つめたままだ。ややあって、口元を片手で覆い、眉根を寄せて何事かを考え始める。

「待て。いや……だがあれは……」

 彼が顔をしかめたとき、休憩室の扉がスパンっと開かれた。

「で、殿下、呪い渡りの巫女さま、お手をお貸しください!」

 息せき切って駆け込んできたのは一人の解呪師だった。相変わらず微妙にヴァリスからは目を逸らしているが、報告をしてくれるだけまだマシである。

 それだけ深刻なのだ、ここの状況は。

「呪いが深度Ⅲに達した者が出ました!」

「またかよ」

 あからさまに舌を打ち、ヴァリスが身を起こす。

 呪に侵された者は、その症状の重さが三段階に分けられている。深度Ⅲは最も重い状態だ。理性をなくして暴れ回り、呪いの種類によっては苦しみ抜いて死に至る。

 ルゥルゥも素早く立ち上がって、軽く指笛を鳴らした。

「ユキ、こちらへ!」

 伸ばした腕を目がけて、窓から一羽のフクロウが飛びこんでくる。真っ白な羽に金の目を宿した鳥は、ほぅと一声泣いた。

「起こしてしまってごめんなさい。他に手が空いている子がいないのです」

 くるくると喉を鳴らしながら、フクロウは目を細めた。どうやら機嫌を損ねずに済んだらしい。

「患者はどこだ」

「こ、こっちです!」

 解呪師に案内された部屋では、連日よく見る光景が広がっていた。

「暴れないで! 落ち着いてください! 腕を痛めます!」

「う、ゔゔ、ああぁぁああああああっ!」

「くっ……先輩、鎖を!」

「分かってる! そっちは任せたぞ!」

 三人がかりで手足を押さえ込まれ、特殊な鎖で両手両足を拘束されている男がいる。相変わらず、ここに運び込まれる患者は兵士が多い。兵舎は王宮でも端の方にあるためか、呪いはまだ王宮中には蔓延していないようだった。

 男はまだ、見た目は普通だった。爪はやや伸びているが、牙は生えていないし、唸り声も人間のそれだ。ひどいときは、決して人間には出せないような音で吠える者もいる。

「おい、こいつは最初からこうだったのか」

「い、いえっ! つい先ほどまでは深度もⅠだったのです! それが急にっ……うわ!」

「あああああああああっ!」

 男が腕を力任せに振る。肩に巻き付けられていた鎖から逃れようと身をよじり、関節部分がみしみしと軋んでいく。

 まずい、肩が外れてしまう。

「おい、そいつを押さえんな! 手ぇ離せ!」

「ユキ!」

 二人同時に叫ぶ。反射的に解呪師たちが手を離したのと、一羽のフクロウが男へ向かって一直線に飛んだのは同時だった。

 だが、男は素早く鎖を振り払い、ぐるんと首を回すとフクロウを視界に収めた。口元がにたりと歪む。

 ――まずい。

 ルゥルゥの背筋が粟立ち、思わず叫んでいた。

「ユキ、だめです、戻って!」

 ルゥルゥの言葉に戸惑ったように空中で動きを止めかけたユキの足を、男ががしりと掴んだ。

「ユキ!」

 ざっと血の気が引いたのが分かった。フクロウの足は他の鳥に比べてやや太いが、その程度でなんとかなる力の差ではない。鳥にとって、足が折れることは致命的だ。

 ダメだ。間違えた。彼女に呪いを渡らせようとするのではなかった。

「ユキ!」

「っ!? おい、馬鹿!」

 ルゥルゥは躊躇わなかった。男の腕に飛びつき、肘のあたりの特定の場所を、拳で的確に殴る。

 呪に侵されきった人間に痛みや恐怖はほとんど無意味だ。だが、人間の体である限り、反射的で本能的な動きは変わらない。目の前で手を叩かれれば咄嗟に目を閉じ、ものを食べれば唾液が出るように。

 男は腕全体に走った痺れに、思わずユキから手を離した。その隙を逃さず、ユキはそのまま高く舞い上がり、完全に魔の手から逃れる。

「ユキ、無事で良かっ……」

 ほっと安堵の息を吐いたときだった。おもむろに伸びてきた手がルゥルゥの首を乱暴に掴みあげる。

「あっ……」

 子供が静かに水に沈むように、声もなく吊り上げられる。ぎりぎりと締めあげられる音とともに、一瞬、視界が暗くなった。

 刹那、すさまじい痛みと圧迫感に脳が支配される。ぢかぢかと目の前が明滅し、急激に呼吸ができなくなる。吸った息がどこにも行かずに消えていく。

 誇張なく、ああ、死ぬ、と思った。理性だけがどこか冷静で、体は必死に生きようとしている。ひっきりなしに手足をばたつかせ、男の腕に爪を立て、どうにか口を開いて息を吸おうとした。だが、男の力は緩みもしない。

 ぎちぎちと動脈が絞められていく。視界がぼやけてかすみ始めた。痛みはもう既になく、奇妙な苦しさだけが残っている。

 視界が揺れる。白い光が視界を埋めて、意識が遠のいていく。

 まずい、このままだと本当に――

「離しやがれ、馬鹿が!」

 目の前で、銀の閃光が弾けた。

 高く結わえられた長い髪がぐるりと舞う。勢いに任せて男の腕に体当たりしたヴァリスが、ルゥルゥから無理やり男を引き剥がす。弾き飛ばされるような形で床に落ちたルゥルゥは、本能的に大きく息を吸って咳き込んだ。

「げほっ! っぐ、ぇほっ! ごほっ……」

 なんとか息を吸いながら、えずくように呼吸を繰り返す。生理的な涙がぼろぼろとこぼれた。視界の外から中心に向かって無数の星が舞う。

 呼吸がわずかに戻ったところで、重い頭を無視して顔を上げる。

「ヴァ、リスさ、ま……っ」

 瞬間、視界に赤がばらまかれた。

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