第2話



 キオンは屋敷の執務室の前に立っていた。光が射しこむ回廊の真ん中で、ルゥルゥを見つけると目を細める。

「久しぶりだね、ルゥルゥ……お前はまた、すさまじい数を連れているね。猛獣使いの名は健在か」

 彼は糸目をよりいっそう細めてルゥルゥを見る。今の彼女はヨルを頭に乗せているだけでなく、肩に小鳥とリスを乗せ、足元に何匹かの犬と蛇を連れ、傍らには鷲が飛んでいる状態で歩いていた。一人動物小屋のような有様に、後ろを歩くアイシャが苦笑している。

 彼らは皆、ルゥルゥが共に暮らしている家族だ。屋敷のそこかしこにひそんでいて、ルゥルゥが歩くと皆ついてくるのだった。

「お父様、お久しぶりです。その愛称、まだ流行っているのですか?」

「お前が社交界デビューデビュタントからこっち、あまりにも社交場に顔を出さないものだからね。愛称ばかりが一人歩きをしているよ」

 はて、とルゥルゥは首を傾げる。自分は確かに、十四でデビュタントを迎えたきり、ほとんど社交界に顔を出していない。混ざりモノたちの相手に忙しく、そんな暇がなかったからだ。

 加えてどうやら、デビュタントのときにいつものごとくヨルを頭に乗せていったのも相まって、おかしな名が自分につけられていることは知っている。

 曰く、混ざりモノ狂いの猛獣使い。

 特に嘘でもないので、ルゥルゥはそんな噂は気にもしていなかった。事実を言われて不機嫌になることなどない。

「……というか、それは虎かい?」

 ルゥルゥの後ろには、彼女に付き従うようについてきた一匹の白虎がいた。のっしのっしと歩くたびに回廊がわずかに振動している。

「ハルです、お父様」

 にっこりと笑ったルゥルゥを見て、彼は娘の隣に立つアイシャを見た。彼女は肩をすくめる。

「こっち見られても困るよ、旦那。お嬢の混ざりモノ好きは昔からだ。諦めてほしいね」

「私は諦めているつもりなんだが、毎回ルゥルゥは予想を超えてくるからね……ルゥルゥ、今度はどこから拾ってきたんだい?」

「ディナトお兄様が、東の異民族との交戦の折に連れてきてくださいました。お土産だそうです」

 ルゥルゥには兄が三人いるが、そのうち一番歳が近い三番目の兄は、騎士団に所属している。快活な彼はルゥルゥのこともよく理解していて、ことあるごとに混ざりモノを連れてきてくれるのだ。

「大丈夫ですお父様。少しじゅが強かったのですが、『まじない渡し』をしておきましたから! ほら、見てください。とっても可愛い」

 顎の下を撫でると、ハルは目を細め、ぐるぐると気持ちよさそうに喉を鳴らす。なんて可愛い子なのだろう……

 うっとりとするルゥルゥを見て、キオンは静かに苦笑した。諦めているとも言う。

「ルゥルゥ、聞いておくれ。今日はお前に頼みがあって来たのだからね」

「……? はい、なんでしょう?」

 ルゥルゥは居住まいを正しつつ、よく分からぬままに首肯した。父から改まって頼み事をされるなど珍しい。書面では頼めないことだったのだろうか?

 穏やかな微笑みを絶やさぬまま、キオンは言う。

「お前に、第二王子の婚約者として、王宮に上がってほしいんだ」

「……なんだって?」

 反応したのはアイシャだった。

「おいおい旦那。今、もしかして第二王子の婚約者って言ったのか? お嬢が?」

「そうだよ、アイシャ。お前は黙っていなさい」

 笑顔だが有無を言わさぬ語気で、彼はアイシャを窘めた。普通の使用人ならば青ざめて口を噤んでいたかもしれないが、アイシャは黙るどころか鼻で笑った。

「ふざけるんじゃない。お嬢をあんな魔窟にやるだけでも業腹だってのに、よりにもよって第二王子の婚約者? 旦那、あんた、お嬢に死ねって言うのか?」

 すさまじい怒気がアイシャの背から立ち上り、ルゥルゥは驚いてぱちりと瞳を瞬かせた。自分は死ぬのか?

「お父様、第二王子殿下はおそろしい方なのですか?」

「はは、ルゥルゥは社交界に本当に興味がないねえ」

 のんびりと言って、彼は目を細めた。

「テュシア王国第二王子、ヴァリス・テュシア殿下……彼はね、生まれた直後に呪いをその身に受け、御年二十三になってもまだ解けていないんだよ。そのせいで、王宮内でも腫れ物のような扱いを受けていてね」

「まあ」

 ルゥルゥは仰天して大声を上げた。呪いが二十三年間解けていない? そんな人間がいるのか?

 すると、アイシャが深いため息をついた。

「それだけならまだ可哀想な王子様で済んだんだけどな……あのなお嬢、あの王子はヤバい」

「ヤバい」

「そうだ。呪いをかけられたせいで迫害されながら生きてきたらしいってのは、まあ、まだ同情できるけどね。問題は、そのせいで第二王子の人格が歪みきってるってことだ」

 アイシャはルゥルゥの両肩を掴み、言い聞かせるように告げる。

「第二王子だってのに、そいつの婚約破棄の回数は両手じゃ足りない。あの男の隣にいて平気なご令嬢なんかいないんだ。侍女にも護衛にも怒鳴り散らすわ、そもそも共通言語が暴言でできてるわ、呪われてるから隔離されてるってのに好き放題暴れ回るわ……しまいには、あの王子は人を呪う」

「呪う……?」

 ルゥルゥは首を傾げた。この国において、人を呪うことはもちろん罪だ。王宮には解呪師かいじゅしという職業があり、彼らには人を呪う才もあるが、それも法で固く禁じられている。

 なのに、国の上に立つ王子が人を呪っている? にわかには信じ難い話だ。

 だが、アイシャの瞳は真剣そのものだった。

「婚約した令嬢が怪我をするなんて日常茶飯事。ひどいときは、王子と話しただけで原因不明の急死を遂げたやつもいたらしい。それが王子にかけられた呪いによるものなのか、王子自身が呪ってんのかは知らないが……」

「呪いが外に染み出す? だとしたら、殿下は相当な呪に侵されているはずですが……」

「そうでなかったとしたら王子が自分で呪ってることになる。より最悪だ」

 確かに、その仮説が正しければ、ヴァリス王子は非常に厄介な人物なのかもしれない。

「アイシャ。憶測でものを言ってはいけない。王子が呪った証拠はどこにもないのだからね」

「それを解明すんのが解呪師の仕事じゃないのか? そもそも、なんで第二王子なんて大層な人が伯爵令嬢と婚約なんか……確かにこの家は伯爵家の中でも侯爵に近い位置にあるけど、もっとふさわしい身分の令嬢がいるだろうに」

「さっき自分で言っただろう? 殿下の婚約者がなかなか決まらないのだよ。身分の釣り合う令嬢たちはことごとく彼との婚約破棄をして、新しい婚約者を見つけている……公爵家や侯爵家には、もう年頃の娘がいない」

 なるほど、とルゥルゥは頷いた。

「だから、伯爵家である我が家にお話が回ってきたのですね」

 ぽんと手を打つ。キオンは穏やかに頷いた。

「彼は呪いのせいで、見た目も普通の人間とは異なっているからね。初対面の令嬢たちにはたいてい怯えられているらしい。不憫なことだと思わないかい」

「不憫なのはそんな輩と婚約させられそうになってるお嬢のほうだろうが」

「アイシャ、お前の意見は聞いていないんだよ」

「は! あたしの主は旦那じゃない、お嬢だ。あたしもあんたの意見を聞いてやる義理はない……お嬢が傷つく可能性があるなら、このままお嬢をさらって、この世の果てまで逃げてやろうか?」

 アイシャはまるで噛みつきそうな勢いで言った。手負いの獣を目の前にしている気分になる。

 しかし、ルゥルゥはしばし瞳を瞬かせ、ふんわりと笑ってアイシャの袖を引いた。

「ありがとうございます、アイシャ。私を案じてくれているのですよね。ですが……私、実はそれほどこのお話に不満はないのです」

「お嬢!?」

「そもそも、私はクレイディ伯爵家の娘ですから……お父様が決めたお相手に嫁ぐのはおかしなことじゃありません。それに、結婚相手が呪われているくらい、さほどおそろしいとは思いませんし……」

 絶句するアイシャをよそに、彼女はふと、何かに気づいたようにキオンを見る。

「ああ、ですがお父様。一つだけ、お願いをしてもよろしいですか?」

「なんだい、愛しいルゥルゥ」

 ルゥルゥは春のような微笑みをたたえて、自分の体に群がる動物たちを示した。

「この子たちを全員、王宮に連れていきたいのです。それが叶わないのでしたら、私は婚約できませんと、殿下にお伝えください」

 打って変わって静かな口調で、ルゥルゥは言い切った。

「私は一生、彼らをそばに置くと決めています。生き物を引き取るのならばその先の全ての面倒を見ろとお母様は言いました。この子たちを侍女に任せて、一人で悠々と嫁ぐだなんて私にはできません」

 キオンは意味ありげに微笑み、頷いた。

「いいよ。私から口添えしておこう」

「まあ、ありがとうございます」

「いいや、こちらこそありがとう、ルゥルゥ。親孝行なお前にひとつ、良いことを教えてあげよう……お前が第二王子と婚約してくれるのならば、王宮の中にある専用の薬草園に、自由に出入りして良いそうだ」

 瞬間、ルゥルゥの目の色が変わった。ぐりんと首をめぐらせ、瞳孔の開ききった目で父親を見る。

「……それは本当ですか、お父様。王宮の薬草園といえば、世界中に存在する全ての薬草、毒草があると言っても過言ではないと噂の……! ヨルたちが大好物としている水晶花すいしょうばな鏡蔓草かがみつるくさ薄紅名草うすべになぐさもあるという、あそこですか!?」

「ああ、そうだよ。王家からの書面もある」

 少女は差し出された書類をひったくるように受け取り、そこに王家の刻印が押されているのを見てぎょっと仰け反った。みるみる頬が紅潮する。

「婚約します、お父様! 今すぐ!」

「お嬢……」

 アイシャは額を押さえる。だが、目を輝かせて動物たちとはしゃぎ回るルゥルゥの決意が変わることはない。アイシャもそれをわかっていた。もう止めても無駄なのだと。

「それはそうとルゥルゥ、一つ、ヴァリス殿下について知っておいてほしいことがある」

 唐突に言われ、ルゥルゥはハタと動きを止める。

「殿下の前で、無闇に呪いの話はしないことだ。彼はその身に受けた呪いを恨み、憎み、苦しんで生きている。呪いを解く方法をずっと探しているけれど、同時に、人前で呪いの話をされることをひどく嫌うからね」

「まあ、そりゃあ……その呪いのせいで今も閉じこめられて、極力誰にも関わらないように生かされているって話だろう。無理もない」

「いいや」

 アイシャの言葉をすっぱりと否定し、彼は細い瞳の向こうからルゥルゥを見た。

「殿下が苦しんでいるのは、腫れ物のように扱われているからだけではないよ。彼に、全ての原因たる呪いをかけたのが――殿下の、実の母君だからだ」

 ルゥルゥは呆気にとられ、思わずキオンを凝視した。

 実の母親から呪いを受け、王子という身分でありながら怯えられ、疎まれ……解けぬ呪いに、今も苦しみぬいている?

 それは、一体、どれほどの――

「だから、ルゥルゥ。殿下のお心を傷つけないよう、殿下をお支えしなさい。お前は解呪師でこそないが、母譲りの呪いの才がある。きっと、殿下の良い理解者となれるだろう」

 呆然とするルゥルゥを前に、キオンは読めない表情のまま、穏やかに微笑んで釘をさすだけだった。

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