第18話 母上

 ※この話には残酷な表現が含まれています。


**********


 その人間の指先が結界から出た瞬間だった。


 いままで感じた事のない悪寒が背筋を走り、気づいたときにはその人間と距離を取っていた。


 なんという不覚だ。

 このオレが人間ごときに……。


 その人間は足を止めることも無く、そままこちらに向かって歩いてくる。

 そして、人間の全身が結界から離れた。


 馬鹿な人間め。


 そんな言葉が頭をよぎったと同時だった。


 自分の全身から汗が噴き出すと、猛烈な何か分からない感覚に襲われ、


「っ!? うわああああああああ!!!!」


 声だけが出た。


 体が全く動かない。


「うわああああ!! 来るなっ!! 来るなああああ!!」


 人間の大きく黒い影がオレの顔に差す。


「おおお、オレを誰だと思っている! オレは――」


 しまったと思った時には遅かった。

 のどが潰れるような感覚と、猛烈な頭痛。


 しかし、のどを抑えることも頭を抱えることも出来ない。


「うがっ……ううううぅうぅぅぅ!!」


「やっぱり”魔王の加護”は生きてるか」


 黒髪の人間が何か言っている。


 オレは痛みと苦しみを必死に耐える。

 大丈夫、俺は何も言っていない。

 言っていない。


「加護って赤ん坊にもあんのかねぇ? しかし加護ってよりゃあ、もはやよなこれは」


 こいつらは一体何を話している?


「赤ん坊? 赤ん坊……」


「うううぅぅう……ふぅうぅぅぅうう」


 よし、だいぶ痛みが引いて来た。

 魔王様、申し訳ありません。

 けっしてあなたを裏切ろうとしたわけではありません。

 ただあなたへの忠誠が強すぎるあまり、父上の名を言いそうになっただけです。


「おーい。後ろにいるのは分かってるぞー。出て来ーい」


 何だ?


 人間が俺の後ろへ向かって何か叫んでいる?


 ――まさか!?


「ヤマトさん。魔族語で言わないと通じませんよ」


「があああああああああ!!!!」


 オレは全身の力と魔力を振り絞る。

 しかし、何がどうなっているのか、自分に流れているはずの魔力の一切感じることが出来ない。


「ほーら! コイツがどうなってもいいのかー?」


 くそっ! 体も全く動かない。


「母上!! 来てはいけません!! 逃げて下さい!!」


 どういう訳か、声だけは出るようなので、オレはありったけの力を振り絞って叫ぶ。


 ズバンッ!


 轟音と共に右手に衝撃が走る。


「(声にならない声)!!!!」


 俺の右後方に何かが落ちる音。


「次は××だぞー。 速く出てこーい!」


 強烈な痛みと出血!!

 痛覚を遮断して、速く腕を再生しないと!!


 !?


 なぜっ!? なぜ再生出来ないッ!?


 ズバンッ!


「(喉が裂けそうなくらいの絶叫)!!!!」


「聞こえているなら出て来なさい。我々もこのような事は本意ではない」


 一体何が起きている!?

 人間はただそこに立っているだけだ。

 魔力すら感じない。


「よーし。次は×いくかー」


 いやだいやだいやだ!!


 次は足? 耳?


 ま、まさか目??


「おーい。ガキが小便もらしてるぞー。いいのかよ? おかーさーん??」


 泣くな泣くな!!

 堪えろ堪えろ!!


「ん? おかあさん? お母さん……」


 人間は空を見上げて何かを考えているッ!!

 早く!! 今のうちに早く逃げて!!


「ああ~思い出したぁ~~」


 涙で揺れる視界に、人間の悪魔のような真っ黒い笑みが映った。


「もういいわ、お前」


 足がカクンと折れる感覚。


「おべっ!?」


 オレは顔面から地面に突っ伏した。

 口の中に砂の味を感じながらなんとか起き上がろうとするが、


「んぐああああああ!!!!」


 既に存在しない部分に激痛。


 それを何とか堪えて顔だけでも人間の方を向く。


 体が思うように動かせない。


「あああああああ!!!!」


 もう一度、足を使って無理やり寝返りをうとうとする。


 傷口が地面に擦り付けられる痛み。


 ここまできたら痛み何てどうでもいい!!


「可哀そうにな。こいつはこんなに一生懸命なのに。残酷だ」


 バサバサバキバキバサバサ!!


 何かが激しく鳴る音がする。


 頭が回らない。


 何の音だ? 空耳?


 バサバサバサ!!


 !?


 木の葉が爆発したような勢いで散り、森の中から人影が飛び出してきた。


「は、母う゛えぇ!!」


 何で!?


 黒髪の人間の前に母上がいる。


 助けに来てくれた?


 しかし様子がおかしい。


「くっ!? は、離せええ!!」


 母上の体は宙に浮いて、吊り上げられたようになっている。


 そして黒髪の人間は無言で、容赦なく母上の首を掴む。


「うぐっ!? 何をする無礼者ッ!? この私を誰だと思っている!!」


「ああ、やっぱり」


 なんとか出来ないのか?


「ヤマト? 何一人で納得してるんだ?」


「こいつ。母親だ」


「いや、そんなの分かってるが?」


 視界がぼやける。


 涙じゃない。


 もう意識が……。


「ハナせト イテいル! ニンゲン ゴトキがっ!!」


 母上が人間の言葉をしゃべっているのが聞こえる。


「何だ、やっぱり言葉分かるんじゃねーか」


「おいヤマト。そろそろ俺も怒るぞ? 母親って……おいまさか母親ってそういうことか!?」


「大事な体だからな、丁重におもてなししないとな」


「オまエッ!! ナニもノダッ!!」


「とりあえず。寝てもらうか」


 母上……。


 母上の体から力が抜けグッタリしている。


 そのまま地面に仰向けに横たえられる。


 人間が母上の上着をに脱がしていく。


「や……やめろ……は、母上に……さわるなぁっ」


 声を絞り出す。


 聞こえているのか聞こえていないのか。


 人間は無視をする。


 母上の胸があらわになる。


「胸元に”朱炎あか”の魔紋」


「なんてこった。じゃねぇか。もしかして幹部の嫁か?」


だな。下半身も確かめれば詳しく分かるが、ここでやるといよいよ変態扱いされそうだからな」


「え……ヤマトさんそういう自覚はあったんですね」


 クソクソクソッ!!


 オレに!!


 ……オレにもっと力があれば!!


 オレが子どもじゃなければ!!


「こいつはとりあえず背負っていくとして……」


 誇り高き”魔王様の右腕”の息子でありながら、こんなところで終わるのか。


 これじゃ皆に言われたように、本当にじゃないか!


「魔貴族ならめかけでも魔紋は一緒でいいんだよな?」


「そのはずだ。やっぱり下も確かめておくか? 変態のヤマト」


 嫌だっ!


 死にたくない!!


 シニタクナイ!!


 その時、急に体が熱くなるのを感じた。


「あ。ヤマトさんまずいですよ。の方が”狂化”しそうです」


?? アキくん魔族に興奮してるの? 変態じゃん?」


「ああもう! 冗談言ってる場合じゃないですよ!!」


 体ガ熱イ!!


「それにしても、魔族の女って何でそろいもそろってこんな巨乳なのかねぇ」


 何カ 来ル!!


 ――――



 ――――



 ――――


 疲れた……。


 体がだるい……。


「やっぱ幹部の血縁と言えど、ガキはガキか」


 オレ、何をやってたんだ……?


「こっちはちょっと危なかったですよ!? 今日は流石に悪ふざけが過ぎませんか??」


 体に感覚が無い……。


「いい勉強になっただろ? あいつらも、お前もな」


 ああ、オレ……本当に死ぬんだ……。


「ガハハハ!! 何て顔してんだお前ら、もしかしてんじゃねぇか?」


 でも、不思議とさっきまでのような悔しさはない……。


「ドン引きしてるじゃないですか!! トラウマになって冒険者やめちゃったらどうするんですか!?」


 燃え尽きた……。


 真っ白に。


「俺は期待値が高いやつにはスパルタ教育をするんだよ。この程度で音を上げる様じゃそれまでだったって事だ」


「そういうのって、ただのパワハラって言うんですよ? 知ってました?」


「さて、じゃあトドメといきますか」


 足音が近づいてくる。


「あ! そうだ。誰かトドメやりたい人いない?」


 声が近づいてくる。


「……本気で言ってます? それ」


 足音が止まる。


「あの……私……」


 遠くで女の声。


「!? 本気ですか!?」


「ええ。あの、何事も経験だと思うんです。こういうの」


「いいねいいね! ほらアキちゃん! あれ何だっけ、何か聖魔法かけてあげて!」


「はぁ……。まあ将来有望なのはいい事か……」


 先ほどよりも軽めの足音が近づいてくる。


「パレッタちゃん。こんなになってても魔族は魔族だからね? ミスってもフォローはするから、最高出力でやっちゃって」


「大丈夫です。骨も残す気はありません」


 足音が止まる。


 会話の内容は分からないが、いよいよ最後の様だ。


「あ、待って。最後にちょっと」


 ?


 黒い影で空が覆われる。


 正体は人間の顔のようだが、視点が合わない。


「なあ、お前。”魔大臣”の息子だろ」


 ……。


 オレ達の言葉。


 やっぱり最初から全部分かってたんじゃないか。


「最後に教えてやる。お前のオヤジ殺したの、俺な」


 ああ、なるほど。


 それは敵わないわけだ。


「おーけー、パレッタちゃん。やっちゃって!」


 それを聞いてオレが悔しむとでも思ったか?


「インク フェル マクス――」


 だって父上は――。


「焼き尽くせ!! 『ヘルファイア』!!」

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