8.ルパ・リュリの店

「権利があると言うなら、その証拠を持って来なさいよ。地権証書を!」

 

 男たちに囲まれた女が一歩も引かずに言い放った。

 動きやすそうなワンピースにベストを重ねた姿は商売人らしいが、凛々しい表情を浮かべたその細面には髪がなかった。そのかわり、頭から顔にかけて個性的な紋様の刺青タトゥーが入っており、福耳から下がる大きな耳飾りと相まってどこか神秘的な雰囲気を感じさせる。

 空里は惑星〈鏡夢カガム〉の最下層区でエデラ人の通訳をしていたスキンヘッドの女を思い出した。だが目の前の女性ははるかに人間らしく感情豊かに見えた。

 口ゲンカの真っ最中だから当然かもしれないが。

 

「そっちこそ、地権証書を出して見せな。ついでに役人も呼んではっきりさせてやる!」

 毛皮のガウンを着て短い赤毛を逆立てた小男がくってかかった。どうやら男たちのリーダーらしい。

「ここにないのはお互い様でしょ。明日にでも店の方に来なさいな。役人でも銀河皇帝でも連れて来てさ!」

 女の言葉に、空里とシェンガは思わず顔を見合わせた。

「とにかく今は商売の邪魔よ。通りも塞がってるじゃないの。ほら、帰った帰った!」

 虫でも追い払うようにひらめかせた女の手に、男の一人が掴みかかった。

「このアマ! 人をコケにすると痛い目見るぜ!」

「何すんの!」

 乱暴に露店から引き剥がされた女に、小男がニヤリと笑いかけた。

「違法出店だからな。撤去させてもらうぜ」

 男たちが露店のターフを支える柱に手をかけ、身をすくませていた店番たちが頭を抱えてしゃがみ込む。 

「やめて!」

 その時……

 女の手を掴んでいた手に、さらに別の手が伸びて強く握った。

「いてぇ!」

 思わず女を解放した男は強い力で引っ張られ、そのまま地面に放り出された。その場の誰よりも背の高い人影が、女をかばって立ちはだかり、着ていたマントを脱ぎ捨てて軽装アーマーを露わにした。

 その肉体は筋骨隆々だったが、明らかに女性のそれだった。猛々しい紋様の刺青タトゥーが入った顔は、体つきに似合わず幼さが残って見えるほど若い。剃り上げた頭からは長い弁髪を垂らしている。空里は何かの本で見た古代中国の戦士を思い出した。

 無言で男たちを睥睨する女戦士の背後から、露店に手をかけていた男が襲いかかった。が、女戦士は背後に目があるかのように機先を制し、男の顔面に強烈な肘打ちを喰らわせた。

「こいつ!」

 長棒を振り回して正面から挑みかかった別の男は、手刀の一撃で得物を叩き折られ、思わず後ずさったところでバランスを失い……そこにいた見物人のミン・ガンに衝突して、小さな体を下敷きにしかけた。

「おっ! やる気か?!」

 シェンガに突き飛ばされた男と仲間たちは、誰を騒ぎに巻き込みかけたか悟り、腰を浮かせた。

「ミ……ミン・ガンか! いや、あんたには関係ねえ……」

 小男は手勢を手招きして、その場を引き上げにかかった。

「あ、明日店に行くからな、ルパ・リュリ! 叔父貴に話を通しとけ!」

 口ゲンカの相手だった女を指さして捨て台詞を残し、小男は仲間と共に見物人をかき分け去って行った。

 ルパ・リュリと呼ばれた女はため息をつくと、自分を救った女戦士に声をかけた。

「助かったわ、ジャナク。それから……」

 そう言ってシェンガの元へ近づき、しゃがみ込む。

「ミン・ガン、さんね。巻き込んでしまってごめんなさい。お怪我はない?」

「ああ、大丈夫さ。面白いケンカだったぜ。そっちの用心棒はテム・ガンかい? 若いけどいい腕っぷしだ」

 女戦士は油断なくシェンガを見つめていたが、無言のまま彼に向き直ると胸の前で拳を突き合わせて軽く会釈した。シェンガも同様の身振りをしてみせた。銀河に共通する戦士同士の挨拶だ。

 この場ではシェンガに聞きづらいので、空里は皇冠クラウンから目の前の女性二人について外見で分かる情報を得た。

 

 スキンヘッドにワンピースの女、ルパ・リュリはユーナスの民ユーナシアン。惑星〈千のナイフ〉を母星とし、銀河帝国全土で生活している種族だった。星百合スターリリィの化身と言われるユーナス神を信奉し、知的で商才に長け、いくつかの有力公家も存在する。だがほとんどは移民として地元の経済に貢献する商人や企業人だった。

 男女とも頭髪はなく、出身階層や家柄を示す刺青タトゥーを頭から顔にかけて入れている。女性は髪の代わりにその頭皮の美しさと刺青タトゥーの鮮やかさに矜持を持っているらしい。

 

 ジャナクと呼ばれていた女戦士は、シェンガの読み通りテム・ガンという種族だった。東南星域に多く分布するヒト型人類だが、母星〈風壁ファーリャ〉には主だった産業がなく、多くの住民が外星系へ出稼ぎに出ている。

 そのほとんどが戦士で、帝国や公家の傭兵、賞金稼ぎとして働いている戦闘民族だった。

 男女とも屈強な体躯を持ち、長い髪を弁髪に結っていることが多く、ミン・ガンに次ぐ程度に他種族から恐れられている……と。

 

 くわばら、くわばら。

 空里は女戦士との接し方には慎重を期することにした。


 二人の女性は異種族だが姉妹分のような友人関係で、ジャナクは久しぶりにこの〈天翔樹アマギ〉に立ち寄ったところだったという。そこでたまたま、今の商売用の地所を巡るいざこざに鉢合わせし、ルパ・リュリに加勢したのだった。

「みっともないところをお見せしちゃったね。お詫びに夕食でもご馳走したいところだけど、お急ぎ?」

 ルパ・リュリがシェンガに提案した。

「いや、そこのゼ・リュリの店で部屋を借りようと思ってたとこだ」

「なんだ! うちのお客さんじゃない。ご案内するわ。店主のゼ・リュリは私の叔父さんなのよ」

 その言葉に、女戦士ジャナクが初めて口を開いた。

「店を仕切ってるのはルパねえだ。実際にはルパ・リュリの店だ」


 空里は驚いた。

 上背のあるジャナクの方が年下で、さらに彼女の声が顔以上に幼さの残る少女のようだったからだ。

 いったい、いくつなのだろう?


 ゼ・リュリの店の一階は居酒屋に近い食堂になっており、夕食前の時間で賑わっていた。ルパ・リュリは給仕や調理人にテキパキと指示を出し、シェンガと空里を席に通した。ジャナクもすぐそばのテーブルに着く。

 主人のゼ・リュリはユーナシアンとしては珍しい小太りの中年男で、姪からミン・ガン戦士の来店を知らされると、揉み手をしながら奥から現れた。

「歓迎いたします。お部屋も上等なのをご用意しますよ。お連れ様は……」

 辻での騒ぎ以来、初めて空里に注意が向けられた。

 シェンガが言った。

「婢女が一人だ。部屋は同じでいい」

「では、寝台ベッドと長椅子をご用意して……」

 その言葉に、ルパ・リュリが叔父を肘で突いた。

「何言ってるの。ベッド二台よ」

 亭主の姪はシェンガに向き直って笑顔を見せた。

「ご主人にご異存なければ、ですが……」

「いいぜ。この店は気が利くな。気に入った。カルリオーレ衆の紹介通りだ」

 ルパ・リュリは笑顔を大きくしてパンと手を叩いた。

「ありがとうございます! カルリオーレ様のご紹介でしたらなおのことサービスいたしますわ。ミン・ガン様好みの果実酒もたくさん揃えておりますのよ。よろしければ酒蔵にご案内いたしましょうか?」

 その言葉に、ゼ・リュリは表情を固くして姪の顔を見た。明らかに過剰サービスだと思っているらしい。

「俺はあまり深酒しないが……ミン・ガンの好みもわかるならちょっと見せてもらおうか」

「承知いたしました! ほら、叔父さん」

 姪の肘突きに促され、ゼ・リュリは引きつった笑顔を浮かべたままシェンガを案内して行った。

「あなたのご主人様は公平な方みたいね」

 ルパ・リュリが空里に話しかけた。

「は、はい。おかげ様で」

「そんなに固くならなくていいのよ。この店では、あなたのような立場の人も普通にしてて大丈夫だから」

 

 自分のような立場──

 予習はしていたが、空里は改めて銀河帝国の社会において召使い的な立場の人間がどのように扱われているのか、皇冠クラウンから情報を得た。

 〈法典ガラクオド〉の定めでは帝国市民は皆平等に人権を保証されているものの、実際には奴隷制や人身売買も横行していた。

 ことにこの〈天翔樹アマギ〉のような都市化が進んでいない惑星では、スキを見せると昼間自分があったような危ない事態が日常茶飯事となっているのだ。

 

 気をつけなくちゃ……この店の人たちは親切そうに見えるけど……


「お前、あのミン・ガンに買われたのか?」

 隣のテーブルで飲み物を口にしていたジャナクが話しかけて来た。

「は、はい。一応、年季付きのお雇いですが」

 

 空里はあらかじめ用意してあった身の上話を披露した。

 辺境惑星に住むナスーカ教徒泡沫派の娘で、地元産業の崩壊によって出稼ぎに出たという設定だった。そこで人買いにかどわかされ、ミン・ガンの戦士リョンガに売り飛ばされた。が、リョンガには年季明けにはいったん故郷に帰り、続けて仕えるか決めていいと言い渡されている身の上だ、と──


「大変だったのね。でも、いいご主人様に拾われてよかったわ。お名前は?」

 ルパ・リュリの問いに、空里はこれも用意してあった偽名を答えた。

「あ、アンジュと言います」

「アンジュ。何か困ったことがあったら言ってね。出来るだけ力になるから」

 そう言って仕事に戻るルパ・リュリを見送りながら、ジャナクが言った。

「ルパ姉はこの辺りで、婢女や奴隷みたいな立場の弱い連中の面倒を見てるんだ。尊敬されてるが、目の敵にしてる奴もいる」

「ルパ・リュリさんは、貴族とか公家の方なんですか?」

 ジャナクは眉をひそめて空里を睨んだ。

「バカ言え! 彼女自身も難民だ。紛争を避けて故郷の〈千のナイフ〉から逃れて来たんだ。だからあんまり甘えて迷惑をかけるなよ」

 

 紛争──

 皇位を巡る戦いに身を投じていた空里だが、その結果手に入れた帝国の内側も戦争と無縁でないという事実は、なんともやるせなかった。

 

 空里は思わずひとりごちた。

「戦いなんか、この世からなくなればいいのに……」

「何?」

 何故かジャナクが気色ばんだ。

「本気で言ってるのか? 戦わなかったらどうやって生きていくんだ」

「いや、あの……」

 何か勘違いされた様子に、空里は慌てた。戦士として生きているジャナクには聞き捨てならない言葉だったらしい。

「お前、一生そのままでいるつもりなのか。戦わずに奴隷のままでいるのか。宇宙にいるのはルパ姉みたいな善人ばかりじゃないんだぞ」

 ジャナクは横を向いてグラスをあおった。

 何を言っても言い訳にしかならない気がして、空里はそのまま黙り込んだ。

 

 この惑星に下りてからのわずかな時間で、銀河帝国に暮らす人々の複雑で極端な人間模様にもまれ、目が眩む思いがする……

 空里は銀河皇帝という自分の肩書きに見合わない無力感にため息をついた。

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