山の声
月井 忠
一話完結
この山に新たな訪問者がやってきました。
男は小さな板のような物を手に持ち、それを覗き込みながら歩いています。
時折、顔を上げ、あたりを見回し歩き出す、そんな様子でした。
男は何かを探しているのでしょう。
それが何かは、すぐに判明することとなりました。
山の中腹にある、壊れかけの石像。
そこで男は足を止めたのです。
そこには昔、六つの石像がありました。
今は台座だけを残し、一つの石像が残るのみです。
男は唯一残った石像に手を触れ、何事かつぶやいていました。
どうやら彼も気づくことはないようです。
彼の背後には細く白い糸のような存在が、ゆらゆらと漂っていました。
その白い糸は今にも消え入りそうで儚く、男に何かを訴えるように小さな音を発しています。
一方の男はというと声が届いた様子はなく、手にした板を必死に触っていました。
以前はこうではなかったのです。
その昔、白い糸のようなソレは、石像と同じように六体いました。
それらは、今のか細い糸のような姿ではなく、帯のようでした。
一本、一本集まりながらその身を揺らし、物がたわむような不思議な音を上げると、それぞれの音が撚り合わされ、最後は歌や曲となって現れるのです。
彼らは決まって雨が降る前に、その舞を始めました。
雨を乞うていたのか、あるいは雨に備えていたのか、それは彼らにしかわからないことです。
その舞は山の中でひっそりと行われていましたが、ある時、人の中からその歌を聴き取れる者が現れました。
舞は必ず雨の前に聴こえます。
歌を聞いた者がそのことを他の者に伝えれば、後には必ず雨が降るのです。
その者は後に巫女と呼ばれ、雨の訪れを告げる者として、人の間でもてはやされるようになりました。
そうして、彼らと人の関係が結ばたのです。
人の中には歌を聴くだけでなく、彼らの姿を見られる者もいたのでしょう。
人は彼らのことを白蛇と呼んだのです。
白蛇たちは舞を踊り、雨を告げるときには六体で輪になっていました。
このことから人は、白蛇の数に合わせて六つの石像を作ったのです。
それから随分と時が経ちました。
白蛇は今も変わらず舞を続けています。
人の方はと言うと、彼らを頼らなくなりました。
だからなのでしょう、人の身で白蛇の歌を聴くことのできる者はいなくなったように思います。
あるいは、聴こえているのに気のせいだと断じて、耳をふさぐのでしょうか。
それに応じて、白蛇の数も減りました。
石像が朽ちていくのと同じように数を減らしていったのです。
彼らは人に敬われたことで、人に好かれようとしたのでしょう。
いつからか白蛇は人のために歌い、本来の歌の意味を忘れてしまったのかもしれません。
一度変わったものは元に戻らないということでしょうか。
彼らは今も人を求めて歌っているように見えるのです。
久しぶりにやってきた男は石像をひとしきり調べると、山を下りていきました。
男の後ろで、ゆらゆらと舞を披露していた白蛇はだんだんと薄くなり、ついには夕闇に消えていきました。
この山で白蛇が舞を踊り、かすかな曲が流れることはもうないのでしょう。
太陽が向こうの山の影に消えると同時に雲が覆いました。
白蛇の舞は今も変わらず雨を呼びます。
この山に雨の雫が落ちると、葉に当たり、乱雑な音で埋め尽くされます。
虫や獣が思い出したように鳴き出し、風が抜けていきます。
白蛇の歌はなくなりましたが、この山には絶えず流れる自然の曲が未だ残っています。
ただし、この曲の意味を見出す者はもういません。
それらの音を聴くのは、その音を奏でる自然そのものだけとなりました。
山の声 月井 忠 @TKTDS
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