闇霧の呼び声
篠宮空穂
プロローグ 消えた故郷
松田智樹がそのことに気付いたのは友人との他愛もない会話からだった。確か、学生時代のばかばかしいエピソードか何かを披露しあっていた時だ。
出身地のあるあるネタに話題が移り、「俺、滋賀出身なんだけど」というと、その場の一人が自分も滋賀出身だと言ってきた。こうなると「どこら辺?」と話が続くのは当然の流れで、智樹は自分がかつて住んでいた町の名前を教えた。
「どこだ、それ?」と友人に聞かれ、北のほうの、小さな町だと軽く笑って答える。『どこ?』と聞き返されるのは慣れっこだ。付け加えるように比較的有名な都市の名前を挙げ、その近くだと答えると、相手は納得したようなしないような微妙な表情を寄越して返し、別の話題へ移っていく。ただそれだけだった。
だから、そのことに智樹が違和感を持つことは無かった。——帰宅後に何の気なしに故郷の名前を地図検索するまでは。
地図アプリで示された場所は智樹の故郷とは全く違う同名の場所を示していた。検索ワードが悪かったのかと、今度は「滋賀県 朝霧町」と県名と市区町村まで入れて検索してみた。検索結果はまた別の場所を表示していた。
(なんだ?)
試しに今度は地図アプリで故郷の町のある場所をスワイプで映し出す。拡大すれば町の名前が表示されるはずだ。地図上を走る線路を辿り、かつて育った、実家のある場所へと視線を移していく。しかし、そこにあるべき町の名前も建物の表示もなく、ただ無機質な道路だけが表示されていた。
「なんだこれ」
誰に言うとも無しに声が出た。マップアプリのバグだろうか?
今度はノートパソコンを引っ張り出し地図を表示させる。結果は同じだった。検索で地図サイトを調べ、片っ端から調べていく。調べていくうちに何か冷たいものが背筋を這い登ってくるような感覚を覚える。結果はすべて同じだった。何もない。
智樹はスマホへと視線を戻し、実家へ電話をかけてみることにした。恐怖に似た感情。
メモリーされた番号をタップし、発信音を待つ。反応はすぐに有った。
『おかけになった番号は、現在使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度おかけください』
繋がらなかった。タップした番号を確認する。間違いない。しかし、繋がらない。そんなことがあるわけない。電話番号が変わったなんて話は聞いていない。
もう一度発信する。結果は同じだった。繋がらない。
別のメモリーをタップする。母親の携帯番号——繋がらない。父親の携帯番号——繋がらない。
「どういうことだ」
声に出したところで答えが返ってくるわけでもなく。視線が室内を彷徨い——棚の上に無造作に置いた車のキーで止まる。
確かめなければいけない。……何を?
自分でもよくわからない衝動と予感に駆られ、智樹は無言でキーを取り上げ、外へ出た。
* * *
自宅から実家のある朝霧町までは高速を使って凡そ三時間程の距離になる。智樹はハンドルを握りながら故郷の景色を思い返していた。実家の外観、小学校の通学路、学校近くの公園、近所にあった神社。全て地図から消えていた。
「……?」
何かが意識に引っかかった。神社?
実家の近くには古い神社が一社あった。子供の頃によく遊んだ場所だった。古いがよく手入れされていて、怖い場所というイメージは無かったはずだ。……だが、記憶の中の神社のイメージは酷く暗い。なぜそう感じるのか、自分でも説明がつかなかった。その場所のことを考えると、不安と恐怖が這い上がってくる。智樹は二度三度頭を振ってそのイメージを振り払った。それでもまだ怖かった。今からでも引き返したい。なぜ俺は今車を走らせている?理由は自分でもわかっていない。ただ、確かめなければならないという気持ちだけが募っていく。『何を』なのかは今もって分からない。ただ、確かめなければならない。
焦燥感に追い立てられるように、智樹はアクセルを踏み込む。
「ともき」
車内に響くエンジンの音に紛れて、自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
誰の声かは分からなかった。
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