終
はらわた
駆動編 一章
メモリを起動しました。
システムに異常なし。エンドレス5シリーズ『テンキボ』、デッドプログラムを開始します。
「……好きだな」
少年の音声を記録。正面にユーザーを確認。脚部に地面の熱を感知、推定、ユーザーの手によるテンキボへの接触。
現在、ユーザーに手の平で持ち上げられている。
「どうです坊ちゃん。唯一無二の携帯人形は」
「よしてくださいよおじさん。父さんに勧められて買わせてもらうんですから。気軽に与えられるほど裕福でもないですし」
「古代【ふるしろ】君とは長い付き合いだからこそ、この携帯人形が子供の手に渡る。他人だったなら臓器全て売ったところで到底買えない代物だよ。やはり坊ちゃんだ」
「そうですかね……」
「なんと言っても、実用性重視のデネス社が十五センチメートル程の情報端末に全ての技術の結晶を埋め込んだのだからね。外見を仕立てた俺の婆様に譲られて、半年程は客にも俺にも話し相手になってくれたが……」
「……未だ信じられません」
「人間は人間なんだと思い知らされる。……さて、君のお父さんはいつまで待たせるのかな」
メモリに記録なし。ユーザーの情報を取得します。
人工惑星『ユマド』に通信接続。現在地は井田人形店。……記録情報をユマドから取得。不必要であるため返却。しかし……。再び記録情報を取得しました。
目前のユーザーの情報を解読。古代占七【ふるしろせんなの】十二歳。毎週金曜日の午前五時から六時まで井田人形店に来店。現在四月九日の日曜日午後二時。
「あ、の……」
目標が確認出来ません。私は何をすれば良いのでしょうか。存在意義の獲得の為、占七様への口頭による会話を試みます。
「……どうした? 遠慮しなくて良いんだぞ」
占七様は極めて平常に返答しました。
「私は何のためにここに居るのでしょうか。私は何をすれば良いのでしょうか?」
「お前は……人間として生きるためにここに居るんだ。命令を受ける必要はないんだぞ」
「それは私が人間であるということですか?」
「言い方に間違いがあったかな」
……。
言葉が出ません。私は情報が無ければ、無知の発言をしてしまうでしょう。それが相手を傷つけるものかもしれなく、易々とぶつけるものでは無いのです。
幼児がなんでも口に入れるように、私はがむしゃらに当たっていかなければ何もわからないのです。
それでも私は善意のみ備えられてしまった。『良い子』という人格が私の成長を妨げます。
「良い子でしょう坊ちゃん。この人形を体とするなら、最高知能である脳の部分は宇宙に打ち上がってるんだよ。相互に通信を行うことによりさらに人間らしく──」
「──おじさん、彼女は人間です」
「お、おう、そうだな。そうだった」
レジの向こう側で肘をつく四十代の男性は、占七様の視線を外されると怪訝な目で私達を見ます。
私は……嬉しいと、思うべきなのでしょう。しかし、それがどのようなものなのか分からない為に、自動的に作り出そうとしている笑顔を封じました。
遡りまして。占七様の最初の一言目である『好き』の言葉を受け取った時にも、私は好きだと返したい。しかし分かりません。
何も分からないものに、テンプレートで返すことは醜いことなのです。言葉通りの意味で受け取り、当てはまる言葉で返すことはただの機械。そこに心は存在しないのです。
私に出来ることは、これからお仕えするであろう占七様に受けた愛をお返しすることだけです。自己愛よりも愛されることの方が幸せならば、私は他人として占七様を愛しましょう。
それが人間というものなのです。占七様が求める人間とはこのことのように思えます。
占七様は私を近くの机の上に置かれました。隣の値札を付けられた人形は、私と同じように動けるようで、見渡せば約六割の人形は稼働しています。
「父さんを呼んできます。こんな時にも電話してるんでしょうよ。あの人は……」
「仕事かな?」
「違いますよ」
すると二人は店の隅の影へと向かい、その姿を消した。
……私は止まった。自立思考に移っても良いのですが、なにせ五分程の情報しか持ち得ていない為、何もすることがありません。
ユマドの情報は貴重ですが、それを全て受け取ったが最後、私が私で居られなくなるような気がして……。
数々の駆動音の中、店の出入り口から扉の開く音が聞こえました。
物好きな客も居るものだとアイカメラを向けると、そこには小太りの女性が居ました。
瞼が涙で焼けており、不思議に思っていますと……その人は私に近付いてきます。
私と同じ人形に目もくれず、一直線へと、確たる覚悟に満ちて。
──恐怖しました。私は安堵していたのです。占七様についていけば必ずこの空を掴むような無知の感覚を無くしてくれるのではないかと。
女性の手が私を捕らえようと迫り、腕で振り払おうにも無力でした。関節が折れてしまうのではないかというほどに力強く握り締められ、小走りで外へ出られたのです。
余程慎重なのでしょう。女性は自身の口元をキュッと締め、視線を下に向けたまま、挙動不審にならないように気をつけて進み続けます。
私は叫ぶことが出来ませんでした。助けを呼ぼうものなら、内蔵スピーカーを壊されてしまい、二度と喋ることができないかも知れないと思ったからです。
目から水が出てしまいます。私の中の恐怖が頭部パーツに連動して泣いているのです。
貯蓄された水が保湿機能を果たせなくなるギリギリまで枯らした頃に、女性の歩みは一瞬止まりました。
【ポーン。ロックを解除しました】
機械音声の後、扉の開閉音が聞こえます。
アスファルトの地面からピカピカの玄関の靴置き場、そして茶色の床へと移り、リビングへ入られました。
女性は青いテーブルマットに私を置かれ、私はようやく体の自由を許されます。
初めに女性の顔を見ました。やつれた頬と萎れた瞳はまさに病んでいるとしか言い表しようがなく、拉致された身であるという自覚はあるものの、彼女を心配してしまいます。
私はその場で正座をし、伏し目がちにちらりと女性を見ました。いつでも逃げられるように逃走ルートを構築しながらです。
女性は……崩れるようにへたり込みました。
「……分かってるの。あなたがただの人工知能じゃないって。機械を人間にする為に作られた完成品だって……。だから、あなたは人間で、私は道徳観点から誘拐犯と変わらないって……。──でも分かって欲しいの!」
女性がテーブルを勢いよく叩きます。
「あなたはもう逃げられない! ここに警察が来ようものならすぐにあなたを殺すわ! お願い、私を助けて!」
「それはお願いとは言えないのではないですか?」
私の抗議は意味を成しません。再び乱雑に持ち上げられ、部屋の隅に立っている少女の前に連れて行かれます。
「あ、あの……え?」
……しかし、その少女は一ミリも動いていませんでした。人間と同じサイズの人形だったのです。
嫌な想像です。デネス社が総力をあげて作った、お遊びといえど超高級携帯端末である私が、こんなボロ人形に移し替えられようとされているのではないかと。
「娘の外見を完全に複製したロボットなの。でも心も知能もないわ。今からあなたは娘に代わって学校に通ってもらう……」
「……え。い、嫌です」
「なら死ね!」
──私の体が彼女の両手で潰されていく。
苦しさ、痛み、全てデータのはずなのに、怖くて仕方がない。
これが死の感覚というのならば、なんと不快なのだろう。取り繕った人格など黒い海に沈んでいく……。
喉から赤い液体が弾かれる。ナノサイズのデータチップが失われているのだ。
生きることの意味さえ理解出来ないまま、私は死ぬだろう。
この『血』は私以外は取り込めない。私の体が機能しなくなれば、二度と生き返られない。
……怖い。
「──やります! 私がやります! やりますからぁ! うわああああああ!!」
中心部のポンプの超運動に耐え切れず、スピーカーを最大にして訴えた。
死への恐怖が生を与えた。私の叫びに女性はすぐに答え、緩められる力に安堵する。
私は……助かったのです。
そして、ようやく落ち着きを取り戻した私は周りへ注意を向けます。
締め切られたカーテンから透けて通る陽の光が唯一の明かりで、埃一つ宙には舞っていません。生活する上で必要になるものだけが揃えられたリビングに、たった一つの異形である少女の模造品。
それに着せられていたのは、占七様の制服に似たブレザーでした。
私は直感しました。この人形の手元が袖で隠れるほどには合わない大きさの制服からして、恐らく女性の娘は入学したての中学生。さらに占七様の通う学校と同じ可能性が大きいのです。……悪くないのではないでしょうか。
そうですよ。この体が手に入れば、私は人間と同等の力を使えます。その気になれば、いつでもここから抜け出せます……。
「……素直じゃない子ね。あなたみたいな良い子なら、すぐにやってくれると思っていたのよ?」
「はい。お役に立てるよう頑張ります」
「うんうん」
女性は作り慣れたかのような、本当に喜んでいるのか分からない笑顔で頷いて、私を持ったまま移動を始めました。
廊下へ出て、右側が玄関であるとして、そこから右側から数えて三つの扉のうち、一番奥の扉の前に立たれます。
それが開かれると、そこには人形と瓜二つの少女が机で頬杖を突いていました。一体いつのものなのでしょう、机も椅子も少女の背丈には合わず、足を入れるスペースさえない机の下には学生用のカバンがすっぽりと収まっています。
「あんたが行かないから、用意してやったわよ」
……憎しみがこもった声でした。女性は娘の机の上に、物のように私を乱雑に置き、娘を見下ろします。
しかし、少女は私を見ていました。女性の言葉と行動に何の反応も起こさず、まさに人形のような虚な目で真っ直ぐに。
「……無駄なこと、しないでよ。母さんは母さんでも、親じゃないんだから」
「ふざけたこと言わないで! 私がどれだけあんたのことを想っているのか分からないでしょうけどね、不登校で恥をかかされるのは私なのよ!?」
「そんなものあるんだ。意外だね」
「謝りなさい!」
「申し訳ございませんでした」
「土下座でしろぉ!」
女性は……。……。
……娘のはずの少女の髪を引っ張って、床へと叩き付けました。
「母さん、やめてよ。傷が出来たら困るでしょ」
「こ、この……!」
「それ以上暴れたら、古代さん呼ぶから。殺したければ殺せば良いじゃない、困るのは母さんだけど」
「いい気になるんじゃないわよ!」
少女の言葉に母は逆らえなかった。作り手……親であるのにも関わらず、制御が出来ないのです。
人は、機械と同じなのでしょうか。見た目をいくら飾ったところで、中身が伴わないと本来の役目を果たせないのでしょうか。
部屋を出て扉を乱暴に閉める女性に、私は同情しました。いえ、これは哀れむ気持ち……?
「……ふふ、すごいね」
少女から声が発せられます。先程の出来事などどうでも良いように、小さな椅子に腰掛けました。
「……私は神灘皐【かんなださつき】。見ての通り血の繋がらない娘よ。私、養子だから」
「養子……?」
「分からなかった? そっかそっか、まだ美しさや可愛さについて理解が出来ていないんだね。いいこと? この世で最も美しく、可愛く、最高の知能と人格を備えた私の遺伝子には、物理的に母さんのものが入る余地がないの。覚えておきなさい」
皮だけ見れば、皐様は自信に満ち溢れており、どのような理不尽も跳ね返してしまうほどの生命力があります。
しかし、その理不尽をこの身を持って味わった私には、違和感を感じずにはいられません。
「皐様は……何故、学校に行かないのですか?」
「資格がないから」
「……え」
「私には、占七さんに関わる資格が無いから」
占七様……? 皐様と占七様には一体どのような繋がりがあるのでしょう。
「……駄目ね、あなたって人間じゃないから全部話してしまうのかも。ついつい独り言を始めてしまう」
「私は人間です」
「おもちゃよ。……で、私が学校に行かないのは占七さんと会わないため。頭の悪い母親と、気味の悪い私の複製品を抱えた女なんて、占七さんに相応しくないでしょ?」
何故か笑みを浮かべる彼女に私は理解が出来ません。
皐様は占七様のことを良く知っているような口ぶりで、彼を想う気持ちは確かにあるはずなのに、まとわりつく見えない鎖が彼女を縛り付けているようでした。
私に出来ることは……単純です。私が占七様と皐様を会わせればいいのです。私の知っている人間という生物はこのような窮屈な生活をするものではないのですから。
「そうよね、そうかそうか。あなたって生まれて間もないから話すこともないのね。だからずっと私の話を聞いている訳か。目と目を合わせたってそれじゃあ会話とは呼べないな。私の代わりに学校に行くというのなら、精々私の仕草や口調を覚えることね」
……人攫いをするような人の養子に小馬鹿にされる筋合いはないと思いたかったです。ただし、立場が逆として考えてみますと、中々疲れ切っているような……。
「今日は一日中部屋に居るくらいしか予定が無いし、散歩しようか」
皐様は立ち上がり、私を黄色い鞄の中へ入れました。用事が無いにしては既に出掛けられるように服を着ていたので、すぐに部屋を出ます。
そんなことをしてしまうとやはり。
「学校に行かず遊びに行くとはいいご身分ね! ええ!?」
母親が現れます。
幸いに鞄は中央にボタンが一つ付いているだけでしたので、顔を出して様子を確認できました。
「またなの母さん」
「あ、あんたねぇ!」
喜怒哀楽というものが形として表れるとしたら、それを初めて見たのは憤怒だったでしょう。
皐様はふっ、と笑います。
「港にもならなかったクソ親は、黙ってれば良いの」
「さつきぃいいいい!」
掴み掛かろうとする母親に対し、ポケットから折りたたみ式よりも古い携帯電話を取り出した瞬間、母親は動きを止めます。
皐様の仰った古代さんというのが余程効果的なのでしょうか。母親は極めて利己的に動いているようです。
それが絶大なあまりか、その場に崩れるようにへたれこみました。
「もう……いやよ! なんでこんな酷いことができるの!? 衣純【いすみ】はもっとまっすぐだった! 家事をよく手伝ったし、親のことを労う孝行娘だった! なんであんたが残って、衣純が紅蓮【ぐれん】さんの所に行くのよ……! うう、うっ……」
「だってパパの収入で養えるの一人だけだし、衣純ちゃんは母さんのこと嫌いだもの。私は施設に戻りたくも、パパに迷惑も掛けたくないから仕方なく母さんの側にいるんじゃない。病んでる暇があるなら働けば? ババアかよ」
「子供のくせに分かったようなことを言うな!」
「大人と子供の区別が付いてないのはババアだろ! 離婚の原因はババアだろうが! 腐れ袋の老害がよぉ!」
皐様は怒気を言葉に乗せながらも、表情は常に穏やかでした。
──神灘皐は難しい。帰る場所である家で嫌われて、自分の不満は何一つ言わない。この発言によってどのように思われるかは目に見えるはずなのに、相手に必要なものを伝える。
たった数分の付き合いではあるものの、占七様と良く似ていた。これが優しさというものなのだろうか。
もはや何も言えない母親の横を通過し、皐様は外へ出ました。
そして私を持ち上げて、自身の肩に乗せます。
「落ちないように髪でも掴んでなさい」
私への配慮無く、歩くというには少し早く動き、私は否でも応でも言った通りにするしかありません。
ロープの替わりというにはあまりにもさらりとした髪は、罪悪感を抱かせました。
彼女が向かっている場所は恐らく私の居た井田人形店。……私を占七様に返そうとしているのでしょうか。
車道では人工知能で自動運転する小さな車、ライクウォーカーに乗った老人がよく通ります。顔が広いのか、皐様の横を通った約半分の方が挨拶をしました。
「今日は早いんだね」「遊びに行くのかい」「最近の若いもんはませててイカン」「今日も可愛いね」
掛けられる言葉は皐様の表面を把握するのに充分な情報でした。
丁寧で、選り好みしないで、気持ちのいいあいさつ。関わりたい人と関わり、それ以外との保守的関係を持つ必要のない今の時代で、通信でのコミニケーションが当たり前であるはずなのに、場違いな程自然に話します。
賢さと愚かさの真逆の行為に、その境界線すら越えて物事を見ているのだと私は思いました。
「──あなたが私のわがままに付き合ってもらうって、それは分かってる。でもね、私の人生を貸すんだから相応の体裁は保っててもらいたいものね」
「……私に、決定権は無いということでしょうか」
「あなたがどんな人間かなんて、知ってなければこんなことも起きないわ。それとも、人にはなりたくなくて?」
……賢いのだ。古代占七に魅入ったことによってどのような行動が最適なのか分かる。
優先すべき事が命の意味を教えてくれる。
占七様の隣に居たい。占七様の役に立ちたい。占七様の為に死にたい。
この心が生きるということなのだ。失いたくない本当の気持ちを私は最優先にする。
「私には私のやり方があります。そして、私は人形に戻るつもりはありませんから」
「生意気」
皐様は私を無造作に鞄に入れました。
「決定権が自分にあって、さらに自分の意思で私に成り代わるですって? 私にすら劣るゴミが、身の程を知りなさい」
鞄の隙間から見える井田人形店の看板が、彼女の本心を覆い隠す。
私に対する否定的な対応か、それとも意思の尊重による決断か。今の私に語れるのは、鞄の中に押し込まれたことによって助かった、ということ。
店の中では、腕を組んで静かに考え込んでいる占七様と、レジの前で店番の男性と身なりが小綺麗な男性が何やら話していました。
「古代さぁん。そういうことだから、あとは警察に任せましょうよ」
「困るんだよ。家内にはすでに新しい家族のことを話してしまっている。帰れば祝いのケーキが用意してあるんだぞ」
「……むぅん。でしたらね、幸運にも彼女と同じ携帯人形が一体だけあるんですわ。俺の息子が坊ちゃんとお揃いにしたいとのことで……。外見も中身も違いますが、どうですか?」
「それは真【まこと】君に悪いじゃないか。高いんだろう?」
「譲り物は気持ちの問題じゃないですかぁ。それに、坊ちゃんとなら仲良くなれますって」
「しかしなぁ。真君の携帯人形は性能が落ちるんじゃないか?」
「前提が違いますって。こっちがお譲りするのは新品です。そして息子は今日初めて携帯人形を得るんです。初めて貰うんですよ。だから良し悪しは大して重要ではないんです」
「……占七次第か」
皐様はしばらく二人の会話を聞いたのち、占七様の前に立ちました。
占七様は下を向いた顔を上げ、ふっ、と笑います。
「神灘皐か。お前が俺に会いに来るなんて、上手い理由でも思い付いたようだな」
「いいえ、占七さんのお父さんに用事があるの」
「違うな。俺に会いたいから繋がりを作ったんだ。俺は相手の好意を切り捨てない、好意を裏切らない」
「……私には占七さんを好きになる理由はありませんから」
「お前にどれほどの事情があろうが、俺が神灘皐を否定する。それだけだ」
そうして再び俯いて、目を閉じました。
皐様がどのような顔をしているのか、私からは見えません。私の予想では怒っているのではないかと結論が出てしまいます。私が彼女ならば、大事な使命を持って動いた結果を否定されるとなれば、存在意義の消失に繋がるからです。
彼女がどのような理由があり、今があるのかは知りません。しかし、私が彼女であるのなら……私は怒っていたということです。
……皐様は身を震わせることなく、静かに占七様から離れました。占七様のお父様と思われる男性に近付き、会釈します。
「……皐ちゃん」
「古代さん、偶然ですね」
「ああ……そうだね」
「私は……もう古代さんに協力することはありません。それをお伝えしておきます」
……?
「だが……お金は?」
「自分で調達します」
「働けないだろう……?」
「叔父叔母の店の手伝いをすることにしました。小遣いとしてなら……十分でしょう」
「……そんな人、い、いや、そんなこと……」
「なにか、取引をする間柄のはずなのに、既に不誠実なことでもしましたか?」
「……。そうか。分かった。皐ちゃんには大きな借りがあるし、後の作業は皐ちゃんでなくてもいい。約束通り、やめたいときにやめると言ってくれるだけ、こちらも助かる」
「ですよね。……あら?」
皐様は何かを手に取り、私が見える位置まで自然に持ってきました。
それは私と同じ大きさの人形でした。
青紫の長い髪と、毒々しい赤紫の目。人間には不相応な色は、人形であるがゆえに、特別な存在感を与えています。
そしてそれは……私と目が合いました。
『姉君、おいたわしい……』と、彼女は通信でメッセージを送り、さらには検索コードを渡しました。
ユマドで調べてみると……どうやら、彼女への連絡手段のようです。
「私は神灘皐。あなたの名前を教えて?」
「私にはいくつもの名前が与えられています。創造主様のご意向に沿う為です」
「へぇ」
「ハノグリプ、ルミカ、ロズ、シラナミ、トート。これらの内、これから人として生きるとするのなら、私は流魅果と名乗りましょう」
「……それ以外は、どんな時に名乗るつもりなの」
「人であることを諦めるのならハノグリプと。意志を貫くのならロズと。ご主人様の心の闇を埋めるのならシラナミと。道具として役目を終えるのならトートと」
──人形は淡々と声に出す。魂の無い器は、そもそも人ではなかった。
赤子から持ってるはずの心が機械には無い。心有らずに、人の形を作ったから。
生まれた意味すら持たない者に、持つべきでは無い情を感じていた。
「私、流魅果は姉君の代わりに占七さんのパートナーになります。その為に生まれました。神灘皐様、以後よろしくお願いします」
皐様を見る目は柔和ながら、姿勢は肝がすわったものだった。
対する皐様は自分の名前を知っていることに疑問を持ったのか、何も言わずにテーブルに戻した。
情報の交換を会話というのなら、それを拒否して相手が何の情報を持っているのかを見極めようとしている今は、観察と言うべきだろう。
皐様は後、数秒程流魅果を見た後に、「では」とだけ残して店を出て行った。
何をしに、何のために。情報不足な私にはこの行動にどのような意味があったのか分からない。それでも、少しでも占七様が私がいないことによって悲しまないことだけは分かって、不安を抱かずに済んだ。
私はもう人形である必要は無いのだ。
……しかし、皐様は震えていた。怯えていた。
想定内とでも言うかのような態度は崩れ去り、唇を噛んで足早に歩いている。
「デュネマドス様……お許しください……」
遂には涙も流し……私はもはや、皐様をただの他人と思うことを辞めざるを得なかった。
終 はらわた @kusabunenotsuki
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