プロローグ 後編
摩訶不思議、奇想天外。目が回ってしまうほどの数々のアクシデント。まいるね。
シパルと心巳の誇りを賭けた戦いの後にすぐ仲良しとは無理があるため、俺は茜色の空に照らされながら、河原の見えるでこぼこの歩道を歩いて時間を潰していた。
「占七さーん、自分の家なんだから占七さんが出て行く必要がないですわ」
ポケットの中のモンスター、略してゲフンゲフンのハノグリプが俺に向けて音声を発する。
「そうだけどなぁ」
「聞こえませーん!」
ケータイのマイクに直接声を吹き込まないといけないのか。面倒だな。
ハンズフリーイヤホンが必要かな。
「おい、これで聞こえるだろ」
「おっけっけー! 見えもしますし?」
取り出してみれば、画面にはツルピカの木製椅子に腰掛けたハノグリプが肘掛けに肘をつきながら微笑んでいた。
「なんだか一気に静かになったね。暇ねぇ」
「……目標が無いからな」
「ねぇ占七さん。世界を救う使命とか、世界征服とか、なんなら草野球甲子園で優勝するとか、そういう達成感のあることはしないのかしら?」
「……生き物についてもっと知った方がいい」
良かれと思って意見を出しているであろうハノグリプに、俺は持論を述べた。
「やってはいけないことと、やるべきことを見つけた時に、生き物はようやく動けるんだ。人間にあるのは、本当は二つの選択肢だけで、やるか……やらないか……それだけだ」
「やらないことをやるって感じのは?」
上書き論か。はいかいいえで答える場合、その『いいえ』を選ぶ時に選ぶか選ばないかの二つの選択をさらに重ねるようなものだ。
そうなると、二つの選択肢のはずだった問題は木のように枝分かれしていき、「いいえ」を選び続けても、「はい」を選び続けても、決心しない限り延々と選択肢が伸びていく。
『はい』ははいではない。選んでも、それを本当に選ぶか選ばないかの選択肢が出来る。まさに、永遠だ。
「それは人間じゃ無い。やれるとしてもやらないことを選べるのが人間なんだ」
彼女は自分の頬に手を当てる。
「なら、占七さんは世界征服出来るのにやらないの? そういうことでしょ?」
「出来るかどうかはやるまでわからないよ」
「そういう知的欲求は無いんだぁ?」
「俺から見える景色は平和だからな。壊そうとすら思えないだろ」
不満そうにじっと俺を見るが、特に何かが起きることもない。
俺の中には何もない。型にはまりながら流れるのだ。
ハノグリプはこれ以上の展開は望めないことを歯痒く感じているのか、無駄に付いている手と足をバタバタと振った。
「集団思想ほんっと嫌いだわ! 個人よ個人としての誇りと生の実感こそ人間のほまれだわ! 戦争、虐殺、崇められ恐れられ、自分色に染めた世界を眺めながら死んでいくの! 何のために人間に生まれたというのかしら!?」
「……」
「何もしないならせめて人を殺しなさいよ! 自我があるのなら他者に譲らず自分のために生きるべきでしょ? 理不尽を全て破壊することこそ生まれた意味よ!」
目標が無いというのは、ありえないことだ。
例え、そう、環境が自分を抑え付けたとして、自分の望みが何一つ叶わない状況でも、環境を壊すという目標は持てる。
ならば、自由を無くしたいという目標も持てるのだろうか。
「なぁ、ハノ」
「……どうしたの?」
「俺に相応しいメインヒロインって誰だ?」
「私!」
即答。彼女は立ち上がって往々しく自身の胸に手を当てた。
「電波のくせに?」
「いずれ人間になるもの!」
「じゃあ俺と結婚してくれ」
──ビクッ、と震えた。
怯え、怯み、怯に包まれて、視線も宙へ泳ぐ。
俺に自由がやって来たのだ。
「……えと、その……」
「駄目なのか?」
「まだ、足りないというか……シパルお姉様とか、心巳おねえとか、白波ちゃんとか、ベノルリルさんとか、あの、色々……」
「関係ないだろ」
「……そんなこと言われても、占七さんが私と同じくらいに好きな子に同じことを言っても、全員イエスとはいかないよ」
「なんでさ」
「選ばれてないから……。私が占七さんを選んでも、占七さんが選んでくれないと一緒にはなれないの」
「だからなんでだよ」
「周りが飢えていると自分だけご飯を食べられないような優しい人を好きになる、占七さんが悪いんでしょ!? 酷いよ……!」
萎縮した彼女は大粒の涙を流した後、画面を消して俺との関わりを遮断した。
思えば、戦争という話の流れは、俺に決断を迫っていたということなのかもしれない。
いい加減に周りを切り捨てろと。
俺が。
「そう言われても」
それならこの無力感をどうにかして欲しいと勝手に押し付けながら、俺は本当に一人でぶらぶらと歩く。
やがて河原を跨ぐ石橋が見え始め、それを支える円柱に人影をとらえる。
既視感を覚えている。そこで俺は一人の少女と出会い、星々を巡ったような……気がした。
何故そんな気がしたのかはわからないが、その人影が柱の影でうずくまっているのを無視できるほど、終わった性格はしていない。
歩道から降りて砂利の上を歩き、近づいて行くと、それは星色の長い髪の少女だと分かった。裸足だからか砂利には血が付き、少女の所へ続いている。
一瞬だけ白髪の幽霊に見えるが、実際はビスクドールに人間の動きをさせているような、奇跡の美少女であったためにすぐに現実に引き戻される。
少女の目の前にまで移動し、俺は片膝をつく。
すると少女は顔をあげ、天使のように笑い、右耳の裏に開いた手のひらを当てた。
「──待ってた」
「……ああ」
……。
「……おい。……大丈夫か?」
「……あなたは、誰ですか?」
初対面だからか、不安そうに俺を見る彼女に少しでも警戒を解かせるため、まずは自己紹介をすべきか。
「俺は時。和々切時だ」
「え? ちょっと占七くん……」
「……え? あ、やば」
改めて訂正する。
「俺は占七。和々切占七。変な名前だろ?」
「占七くん……? 確かに、占七くんだけですね、その名前」
「お前は?」
彼女は一瞬だけ視線が外に向くが、すぐに俺に直す。
「不自然な言動は……嫌ですか……?」
「……いいや」
……お互いに分かりきっていることを、何とも馬鹿らしい。俺と夜下【よか】ならどんなことも屁理屈で自然にできるじゃないか。
俺がこの世で一番好きで、絶対に忘れなければ、絶対に出会う女の子。絶対に会いに行き、絶対に会いに来る、初恋の人。
愛よりも恋が勝ることを知ったんだ。
「そんなもの、俺に無いよ……夜下」
「ふふ、正解」
名前当てクイズに勝ち、賞品として彼女の嬉しそうな表情を見られた。
重要なことが終わり、今度は体の心配の番だ。俺は彼女の足に触れる。
「怪我してるのか」
「はい。そのままにしてます」
「血は……止まってるな」
靴を脱ぎ、彼女に履かせた。
「歩けるよな」
「ええ」
彼女の手を引いて、立ち上がらせるも顔は引き攣った。それでも歩くには支障がない。
歩道に戻るため、堤防の階段へ向かった。
「ベノルリルがお前を探してるぞ。随分と無茶したな」
「……うん。最短だと六歳だけれど、シパルさんとハノグリプさんを連れて来られないから……」
『えっ!?』
俺のケータイからハノグリプの素っ頓狂な声が聞こえたが、ポケットからだと聞こえないんじゃなかったのか。
「心巳と似たようなものだ」
「……やっぱりここに来たんだ、クロヤ」
「一番愛が深いからな。役目を果たせば後は好き放題やるんだよ。不幸をかき集めてさ」
「馬鹿ですよね、あの子」
天才と馬鹿は紙一重、それが一番似合うのが心巳だ。俺には天才にしか見えないが。
いや、自分の気持ちに真っ直ぐに向き合えるというのなら、それは動物的な本能として馬鹿と言えるか。
「邪魔かな私」
「なんでさ」
「私が今更出て来ても、もう、邪魔になりますよね」
「冗談じゃない!!」
言ってはいけないことを言えることは、時には絶望を招く。
想像すらしていなかった言葉に俺は気が狂ってしまっていた。
「ベノルリル、シパル、夜下が居て初めて俺の命に火が灯るんだ! お前が居るから俺のクソッタレな暗闇が照らされるんだよ! ふざけんなよ!」
「時くん……」
夜下の歩みが止まる。
「シパルさん、居なくなったよ」
「そう、だが」
「シパルさんが居ないと、私、占七くんと恋人にすらなれない。きっとね、心巳も占七くんに彼氏彼女の関係にはさせないでしょう」
「どうして」
「シパルさんが誰よりも一番あなたのことが好きだから。分かっていますよね」
「知らない!」
分かっている。例え俺が誰かと愛し合ったとしてもどうもしないだろうが、心巳や、夜下や、白波と結ばれることが起きてしまえば確実に自害する。そこらの女とは違って、彼女達と結ばれるということは永遠を生きることになる。つまりシパルの死を意味する。
俺が彼女を殺すのだ。俺がどんな想いを抱えていようと、確実に。
ああ、言ってはいけないことを言う方が簡単なのに。
「……ところで夜下。今何番だ」
「十五」
「……なんだっけ」
「色々と細かい御方。いい意味で。一度もリセットしていません」
「誰だ……?」
「何も決められない御方だよ。良い人だけれど」
全く分からない。
夜下から俺達を監視する人を数字で教えてもらい、どこまでの無茶が許されるのかを判断しているのだが、十五という人は滅多に聞かない。
一万? 一億、いいや一兆年に一度の確率じゃないか?
恐らく俺を見張るのに最も向いていない人だ。なにせ、心巳は惑星スペアのスペア人とか、これから橋の上でペラノメアに出会うこととか、完全にアウトな発言をしても許してしまうから。
俺の意思を尊重するためにね。
「分かる……よね。監視者は考え無しに決めている訳ではありません。厳しいかわりに直接干渉し、助けてくれる御方もいらっしゃれば、欺くために冷徹になる御方もおられるのです。今回はかなりのピンチだということなのでしょう」
「なんのだよ」
「……船。天界。惑星ハンター。ヴェセルの軍隊。ヘヴンスター。三強の『船』と『ヘヴンスター』、その他に三つもここに来ます。スペアも来ればこの地球は終わりますよ。出し惜しみしている時期ではないのです」
夜下が喋るたびに思い出す無限の記憶は、俺の人格を成長させる。
思い出す……というよりも、欠片を組み立てて記憶に昇華させていると表現すると正確か。
そうだ。トートは……そうなのだ。
「大変だ、トートがヴェセルに居る」
「ここでそこまで向かえば気付かれてしまいます。トートさんは……あなたの手足なのでしょう? ヴェセルに居るのは虐殺を止める手段がそれだからです」
「仕組まれているということか」
「ええ、善意で」
基本的に俺の周りは善意でしか動いていないな。
「早急に対策すべきは惑星ハンター。誰かを『終焉化』させたいけれど、それはシパルさんが居てギリギリ出来ること……。私達の今の手札では『原始化』しか残されていません」
「……悪い、原始化ってなんだ……?」
脳味噌を抉り取られたかのように夜下の言うそれを全く理解出来ない。
彼女は一体何が見えているのだろう。俺が知ってはいけない、危ない力なのだろうか。
夜下は眉間に皺を寄せ、険しい面持ちで空を見上げる。
「……原始化とは、一言で言えば『死ぬ』ことです。永遠に」
「死ぬ……?」
「私が原始化した場合、私の魂は死に、私の体に支配者様の魂が宿ります。それは本来、支配者様が望んだことの逆のことをする訳ですが、この舞台の上に観測者であるはずの支配者様を立たせるのですから、それによって占七くんの味方になるでしょう。そう、正真正銘、間違いなく、占七くんの」
「待て、待てよ。夜下が死ぬ……? ありえない。なんだよ、どうしたら死ぬってんだよ?」
それは、と口に出しながら、堪えられなくなったのか。夜下の目からは涙が流れた。
「想像するだけで、胸が苦しくなることなんだよ、占七くん……」
「お、おいおい……」
「占七くんが愛して……占七くんを愛した、永遠という地獄の中で占七くんと共に生きた、彼女達たった二十人の内の誰かを……」
「やめろよ……。それを俺にやらせようってか? お前の言葉を信じろってか!?」
「永遠の愛を否定すること。振ることなんだよ占七くん」
───
一旦、家に帰った後。夜下に白波の予備の靴を履かせ、黙って最寄りのファミリーレストランへ足を運んだ。
彼女の白き星の髪は周囲の視線を独り占めにし、孤独であることを許さない。
俺は彼女の壁となって店内の奥へと進み、カビでも生えているのではないかというほどのじめじめとした暗い席へ着いた。
その輝きたるや、例えどんな苦境も惨劇も彼女とならば、自身の人生は満ち足りるものとなるだろう。
俺はメニュー表を眺めながら皮切りに喋った。
「俺は……正直、このままで良いと思う」
「……うん、そうですね」
「何が駄目でリセットされるのかを知らなくて、その都度の出来事を思い出して中途半端な今に流されるまま、誰とも付き合わず、誰とも交わらずに、永遠を過ごしても良いと思うんだ」
「……私が、擦り切れてしまっても、かな」
「それが寿命というのなら、それが一番じゃないか?」
「私が占七くんに選ばれたなら、終わることなく永遠に側にいられるとしても?」
「……夜下以外を置いていくことが怖いんだ。それなら、みんなでせーので、死んだ方が……」
「永遠は過去をたかが一つの時間にします。今、莫大な時の流れを感じても、未来ではたかが米粒のような小さな時間になるんです。選んでくれれば、今までの何倍も愛しあうことが出来るじゃないですか。そうじゃないんですか?」
「全員を選べば良いのか」
「一夫多妻? 冗談でしょ。私達、そんなに占七くんに劣ってない」
「……なんで、こう、難しい話になっちまうんだろうな。悲しんだり、怒ったり、な。幸せというものがどんなものか分からないからか? なぁ。夜下」
「散々過去で幸せを満喫したから、今が不幸なんですよ。今から教えましょうか? 本にすれば軽く六百巻はくだらないですが」
別に、夜下の言うヴェセルの軍隊や惑星ハンターが信じられない訳ではない。むしろその存在が確かにあることを知っている。
そしてそれらに蹂躙されようとも、別に良いのではないかと思っているのが俺だ。
「元の力を取り戻さず、毎度の如く押しても引いても変わらない世界で、あなたはどうやって生きるというのでしょう。占七さんのスペックならばどんなことが起きようとも死ぬことは無いかもしれませんが、自分の本当の望みは永劫に叶いませんよ」
「……俺は自分の体が自分だけのものとは思ってねぇよ。俺はネジだ。俺が無いと世界はバラバラになる。色んな意味でな」
「それは占七くんの主張ではありません! 占七くんの中の、あの人の考えです! 私はあなたに……あの頃のように、私の手を引いて欲しい……!」
泣き落としは効かないと判断したのか、夜下は真剣な面持ちで右手の甲を差し出す。
……そうだ。夜下が理屈と現実でがんじがらめにされて、動き出すことが出来なかった時に救い出した俺は、今と真逆のことを考えていた。
自分と、彼女が、離れることのない永遠のつがいであろうと決意したのだ。その為ならば、永遠に別つはずの死すら跳ね除けた。
しかし。優柔不断な俺が夜下という人が居ながら、別の女を捨て切れなかったために永遠を捨て、夜下と別れてしまった。
そしてこの世に一人のはずの最愛の女性の十九人と出会い、夜下と変わらないくらいに同じだけ好きになっていた。
だから、この『終と始』は、和々切占七という魂が死ぬ間際の話なのだ。出会いが生きることの意味なのだとすれば、それはもはや俺の死を意味している。
断言しよう。俺には二十人の恋人と二人の恋人候補以外に愛し合える人は存在しない。決断を迫られているのだ。
「分かった……。五年後に答えを出す。それが俺の全ての人生において、最も平等に決断できる歳だ。だから……最後に、何も知らなかったあの頃に、あの居心地の良かったみんなと、もう一度だけ繰り返して、見極めたいんだ」
なれば、自身に自爆装置を付けて、課題を課せばいい。それでも出来なければ死んでもいい命には違いない。それすら成し遂げられないならば。
「……愚かよね」
彼女の手はオイルの切れた旋盤機のようにギゴギゴと閉じ、苦虫を潰した顔で俯く。
その雰囲気から俺が彼女に対して裏切り、深く傷つけたという一因は十分なほどに理解させられた。
「五年で、全員と? 私達は一人だけ選んで欲しいし、あなたも一人だけ選ばないと納得しない人間ですよ。まさか、ハーレムなんて夢みたいなこと考えてませんよね」
……ない。ありえない。彼女達も俺も同等の存在であって、精神的に侍らせることなど不可能だ。
「千八百七十五日を二十分割にして、一人三ヶ月しかあなたと本気の恋愛が出来ない! でもいいですよね、あなたは五年間は恋愛が出来るんですから!」
「……三ヶ月で始まりから終わりまでやりきりたいんだ。好きになった理由を整理して、片付けたいんだよ」
「占七くんはその程度でしょうね。適当にご飯でも一緒すれば、お話なんて作れるほどのヒロインですから。無駄に文字増やして後から設定でお涙頂戴ですか。そんな吐瀉物みたいな世界で、踊らされる私の身になってみなさいよ、ねぇあなた!?」
ああ……と、俺にはそれしか言えなかった。
彼女達には永遠の愛が備わっている。決して終わることのない愛は彼女に無限の生を生み出す。
二十分の十九の確率で愛の否定をされる彼女にとって、確かにこの世界はゲロまみれのクソシナリオに違いない。
今までの努力と積み重ねを否定しようというのだから、そうだろう。
しかし、俺の意思をはっきりと受け取れる夜下には、その遺伝率百%の人格によってどのような対応を行うかは織り込み済みである。
これほどに扱いやすく、扱われやすい女は彼女のみだ。
「……分かりました。始まりだもんね、この世界は。ならせめて……訳の分からない話よりも、始まりらしく、小さく重ねていくべきなんでしょう」
「夜下……」
「シリーズ一から二十の話はこれで終わり。今から終と始はようやくシリーズイチとして初まるの。それで占七くんは納得するんでしょ?」
……言葉は出ない。正しさや間違いを決めるための基準というものが存在しないから、自分の信念に基づいたもので出せるはずの答えを出すことが出来ない。
既に占七は死んでいた。そして、俺は古代嗣虎でも和々切時でもない。空っぽだった。
「シリーズ二十は意味もなく終わった。だから今がある。これを永遠に続けて私をどれだけ苦しめるつもり? フリアエは私の大切な妹のような存在なのに……保留したんですよね。悲しい。こんな罵倒を受けることさえ織り込み済みなことに嘆きますよ」
「……ああ」
「終わらせましょう、占七くん。あなたは全てを理解してしまった。だから愛する人を捨てられない。私が……あなたの宝物をはたき落とします」
夜下は胸を押さえて深呼吸をする。これから何が起きるのかを知っている彼女には、一思いに死ぬことを許されない。
青ざめながら手をテーブルに置き、俺の手と重ねた。
「終わりと始まりの、最後の物語。ちゃんと……終わらせてください」
「……終わらせよう」
「絶対に」
「俺は紳士だ。受けた恩は必ず返す」
「──デュネマドス、ゼニミアン、デクロレーズ」
……バタバタと複数人の足音が鳴り出し、段々と俺達に近付いてくる。
絶対に言ってはいけない禁断の名前。絶対に言えないはずの禁断の呪文。
振り向けば、テーブルの前に三人の少年と少女が立っていた。
茶色の髪と赤い目をした少年のデュネマドス。
紺色の髪と目をした少年のゼニミアン。
真紅の髪と目をした少女のデクロレーズ。
彼らこそ世界を創りし創世の支配者。終の支配者、始の支配者、虚の支配者だ。
「ねぇデュネマドス? 君のお気に入りはどうして僕の名前を知ってるんだろう。君のやったことは特別に許しているだけで、君のやることを許す訳ではないんだよ」
「俺は……お前のやったことは許していない。今していることは許せることなのかもしれないが、お前は俺の怒りに触れている」
「なぁデュネマドス。この占七とやら、本当に罪深いよ。流石は大量殺人鬼、人の身で全人類を本気で滅ぼそうとしただけはある。でもね、この子を使って僕を殺そうとするのは無謀というものだよ」
「人間の可能性を見極めているにすぎない。お前など、俺がこの手で殺すに決まっているだろう」
デュネマドスとゼニミアンの会話にデクロレーズは欠伸をし、俺の隣に腰掛けた。
「我は見飽きた。純度の高い善人は結局デュネマドスが全て見つけている。ゼニミアン、貴様の生み出した魂とやらは全てのモノが持つにはつまらない。この占七と夜下の戯れを眺めている方が心地よい」
「ちょっと……やめてよデクロレーズ。僕はみんなが楽しめるようにしたんだよ」
「それが間違いなのではないかと『疑問』を抱いたのだ。我にも偽りの魂を宿す人間もどきがいる。我を飽きさせないよう働いてくれているが、お前の人間はどうだ? 多数派になんの価値がある? 少数派の占七達の方がよっぽど面白いではないか。どうする?」
「あのね、君。分かってないね。苦しみも悲しみも痛みも全て娯楽なの。嬉しさや楽しさは気分が良いけど、気分が悪いのも刺激の変化。魂の特権でしょ?」
「……そうだろうか。我には分からん」
デュネマドスの強烈な右拳がゼニミアンをぶっ飛ばした。
床を滑って転げて他の卓のテーブルを派手に壊すが、けろりと立ち上がって元の位置に戻る。
「どうだ、面白いだろう」
「デュネマドス……」
「お前を知っていることが俺の反逆の意思だというのなら、占七とそれらに関係する者の記憶を消してやろう。このデュネマドスが初めてやるのだ、エナよりも信用できるだろ」
「やりなよ。どうせ、君の力は僕には届かない。僕が君を友とするためにやるんだよ。僕は君と友人でありたいから」
「気色悪い」
デュネマドスがテーブルをガン! ガン! と大きく叩くと、店の扉がバァン! と大きく開かれ、駆け足の音と共にセミロングの茶髪の少女がやってきた。
着いて早々デュネマドスに跪き、額を床に擦り付ける。それにデュネマドスは嫌悪感を出した。
「……そこまでしなくていい。エナ」
「いえデュネマドス様! 我が支配者様にこうべを上げることなど出来ません!」
「お前も人間になったな、エナ」
デュネマドスは膝をついてエナの肩に手を置き、無理矢理体を起こさせた。
「分かるな。占七とその愛した善人の記憶を完全に消せ。お前の慈悲深さと優しさを抑えて、占七の望みを叶えてやれ」
「し、しかし……」
ゼニミアンが殺気を放ちながらエナに凄む。しかしエナにとってゼニミアンなどどうでもよく、デュネマドスが険しい目つきになってから怯え出した。
「どうせすぐに追いつく。思い出せなくとも必ず善人と結ばれる。趣味の悪さは治らないよな、占七」
「……」
デュネマドスの赤い視線は、俺を貫いているのではないかと錯覚させる。俺の中身を全て見透かしているのだ。
それを遮るようにエナと呼ばれた少女が塞がる。
「和々切占七……あなたには失望しました。最強の殺人鬼が少女も殺せぬ人間になってしまうとは」
「俺は人を殺したことがあるのか?」
いつものように夜下に助けをもらおうと首を曲げるが、エナの平手打ちで逃げることを許されない。
「……占七君……。早く私を殺しなさい」
グニャッ。
視界が歪む。座った感触もぐちゃぐちゃで、匂いもしない。
再び夜下の方へ向くと、彼女は白い髪も白い肌も赤い肉塊へと変わっており、沸騰した湯のようにぶくぶくと蠢いている。
気付けば店に訪れていた客も夜下と同じように沸騰しており、窓の外では血の川が流れていた。
最後に、デュネマドスは無表情で吐き捨てる。
「次はない」
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