賢者と往くタイムスリップ

前田マキタ

第1話 過去


――過去に戻りたい、そう思ったことはありませんか?


 やけに読者と距離が近い書き出し。

 この、人を選びそうな本を何となく読み進めていると、来客を知らせる鈴の音が聞こえた。


「っしゃいませ~」


 開いたページを下にして置き、カウンターに立つ。


「中級ポーション1点で――です……はい、まいどー」


 一時間ぶりに来た客をやる気の無い声で送った。


「はあ~~」


 たった今、誰もいなくなった店内で一息。

 窓の外に広がる澄み渡った空を見ながら、思う。


 今日も平和だなぁ。


 呑気な太陽は、知らん顔で地上を照らし続ける。



◇ソルドール魔道具店


 午睡を貪りたくなるような昼下がり。

 ドアに掛けられた鈴の音と共に、客が一人やってくる。

 今一力の入らない声で歓迎しようとするも、なんと来たのは見知った顔だった。


「おお、久しぶり、メイ」

「あっ!いたいたっ、二ノ元気してた?」

「ぼちぼち……そっちは忙しんだろ?宮廷魔術師」


 メイは魔術学園時代の同級生だ。

 宮廷魔術師というエリート職に就いていて、おまけに美人。


「まあね。でも最近やっと落ち着いたからさ。休み取って旅行来ちゃった」

「そうか……終わったんだな」


 勇者一行による魔王討伐。

 約三年もの間魔王によって脅かされた日常も、先日ようやく幕を閉じた。

 俺は王都から離れすぎて直接的な被害はなかったが、宮廷魔術師として前線で戦ったメイは嬉しさもひとしおだろう。


「二ノが作った商品はあるの?」

「ちょっとだけな。そっちの棚に置いてある」


 メイは「へぇ」などと言いながら、商品を物色した。

 狭い店内には所狭しと小瓶や杖が並んである。


「ここって、すごい質が良いよね。王都にも負けないくらい」


 一つのポーションを手に取り、彼女は感嘆した声を出す。


「師匠が凄いんだ。何でも昔、作品の一つが国宝になったとかないとか。自称だけど」

「自称なんだ……それはすごい師匠だね」

「まあ、色々勉強になるのは間違いないな」


 メイは、師匠と俺の作ったポーションを一つずつカウンターまで持ってきた。


「それにしても、まさか二ノが魔道具店に勤めるなんてねぇ」

「思うところあってな…」


 ポーションを袋に詰めながら答える。


「正直魔術師になると思ってたよ。実技得意だったじゃん」

「……”普通”の範囲内だよ」


 メイは、受け取った袋をカバンに入れた。

 カウンターに肘を置く。

 この時間はあまり来客がいないから、むしろ助かった。


「そっか…でも二ノに合ってると思う。それにこの町ものどかで良いとこだし……良いなぁー私もここに住んじゃおうかな?」

「ははっ、せっかく良いとこ入れたんだから勿体ないだろ」


 せっかくのエリート街道。

 進める内に進まなきゃ損ってやつだ。


「…だよね、冗談。あっそうだ、今日の夜空いてる?もし、空いてるなら飲まない?再会を祝して!」

「じゃあ、広場の近くの居酒屋で会おう」

「やった!約束だよっ、また後でね!」


 人懐っこい笑顔を残し、メイが店を出ていった。

 そのうち子供とか連れてきそうだな……。

 今は多分忙しいだろうが、仕事がある程度落ち着けばあの美貌だ。

 引く手あまただろう。

 そうなると、魔術学園時代から開いた差は広がる一方だな。


――”あいつ”と同じように。


「何やってんだろう……」


 学生時代の自堕落な生活を思い出す。

 毎日学園に行っては、帰ることしか頭になかったあの頃。

 あの時頑張っていれば、今と違う道もあったのだろうか。


「やめやめっ、意味が無い」


 そう、考えても詮無きことだ。

 鬱屈した気持ちを振り払うように仕事に打ち込む。

 単純作業は、悩みを考えずに済んだ。



「それじゃあ二ノ、戸締まりよろしくの~」

「師匠もお気をつけて」


 日が傾き、街灯が点々とつき始めた黄昏時。

 師匠のソルドールが帰り、俺は閉店作業に移る。

 それを終えた頃にはすっかり夜だった。


「あまり、待たせちゃ悪いしな」


 若干急ぎ気味に歩を進める。

 どんな話をしようか考えながら歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿が。

 最近の影は、考えただけでも差すのか。


――歩いていたのはまさかの”あいつ”だった。


 今日は、旧友によく会う日だな。

 ”あいつ”に対しては複雑な思いを抱えているものの、懐かしむ気持ちも確かにあった。

 せっかくだからと声を掛けるため少し小走りになる。

 だが、”あいつ”はさっさと路地裏へ入ってしまった。


「……?」


 地元民でもないのに、わざわざ路地裏を利用する意味がよく分からない。

 しかし、ここまで来たら絶対に一声かけてやりたい。

 半ば意地になって追いかけようと、足を上げたその時。


「――もし、そこのあなた」


 突然誰かに呼び止められた。

 鈴を転がしたような綺麗な声。


「ッ!?」


 恐る恐る振り返ると、フードを深く被った女がいる。

 女は、真紅の唇を三日月のように曲げると。


「あなたは、”いつかに戻りたい”――そう思ったことはありますか?」


 耳にぬるりと入ってくるような妖しい声で尋ねてきた。


「…は?」


 何だこの女、こえーよ。


「過去をやり直したいと思ったことは?」

「何ですか……急に」


 気味が悪いので足早に去ろうと横切ったそのとき。


「――このままで良いのですか?」


 心を見透かしたかのような一言に、思わず次の一歩が止まる。

 女からは、今まで嗅いだことのない香水の香りがした。

 強い匂いなのに何故かキツく感じない不思議な香り…。

 そのせいか、重くねっとりした空気が纏わり付いて離れない。


「急いでますので……ッ」


 かすかに残った理性で緊張を無理矢理振り切り、逃げるようにその場を後にした。


「……」


 女は、いつまでも俺を見ていたような気がした。




「何だったんだ一体……」


 冷たく乾いた風が頬を撫でる。

 気付けば、喉がカラカラに渇いていて気持ち悪い。


「平和になった途端変なのが湧き出すなぁ……」


 恐怖を誤魔化すための独り言とは裏腹に、俺の頭の中ではさっきの言葉が離れなかった。


『――このままで良いのですか?』


 質問自体は陳腐で、ひどく曖昧だった。

 なのに、何をあんなに動揺したのだろう。

 メイに会ったから?

 ちょうど過去を思い後悔したら?

 それとも。


――”あいつ”が頭をよぎったから?


「いやいや」


 なんてことはない。

 さっさと”あいつ”に追いついて、軽く挨拶できればそれでいいのだ。

 それに、店で待つメイをいつまでも待たせるわけにはいかない。


 考えを振り払うように頭を振って歩き出す。

 そして、ついに路地裏の行き止まりまで辿り着いた。

 しかし、思考が故障した機械のように停止する。


「――え?」


 時間が止まったかのように周りの音が聞こえなくなって、俺の目は釘付けだ。

 月の光が照らす「それ」に。

 こんなの……まるで劇の一幕じゃないか。


「嘘…だろ…」


 混乱する俺の眼前に映っているのは。



――血だまりを作りながら地面に伏した”あいつ”と、血塗られた剣を持った男だった。



「ッ!?」


 は?あれっ?なんだ、刺されてる……誰だ?こっちを見てる……俺も刺される?……ッ!?

 頭は冷静なのに、動き方を忘れたのか何も出来ない。


 一方、襲撃者は俺の姿にかすかな動揺も束の間。

 壁を蹴って瞬く間に屋根へと登り、どこかへ行ってしまった。

 そこでようやく全身に血が巡り、やるべきことに思い当たる。


「おいっ、大丈夫か!?」

 

 まずは、人命救助だ。

 俺は、倒れた”あいつ”のもとへ急いで駆け寄った。


「おいっ、しっかりしろ!」

「……ハァ……ハァ……」


 苦しそうに呻く"あいつ"は、額から脂汗を玉のように吹き出している。

 こ、こういうときはえっと……むやみに動かしちゃいけないんだっけ?


 出血部を手で押さえる。


「だめだ、全然止まらない…っ」


 人間からこんなに出るのか?

 冗談かのように血が出ている。

 生暖かい液体が手に滲んだ。


「もう大丈夫だ!絶対助かるからな!」


 そうだ、こいつが死ぬわけないのだ。

 だって、こいつは。


――勇者と共に魔王を倒した賢者なのだから。


 賢者がこんな田舎の、滅多に人の来ない路地裏でくたばるはずがない。


「ちょ、ちょっとまってろ……ひとよんでくる」


 このままでは埒があかない、そう思った俺はパニックになりつつも人を呼ぼうと押さえていた手を離す。


「っ」


 しかし、そんな俺の手首を弱々しい右手が掴んだ。

 その瞬間。


「あ、あれ……?」


 立ちくらみのような脱力感に包まれた感覚がして、意識がみるみる遠ざかっていく……。


「ご…め……ん」


 全ての感覚が停止していく最中、賢者の声が聞こえた。

 そして。


 メイにどんなお詫びをしたら……。


 待ちぼうけを食らわせてしまう事への罪悪感を最後に、俺の意識は完全に闇へ落ちたのだった。

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