むかし歴女、いま伯爵令嬢。いつの間にか人類の対野生動物要塞化。

ルーシャオ

第1話 転生したら伯爵令嬢、ただし婚約破棄された模様

 アルン伯爵家令嬢ドロシーは、その日——頭をぶん殴られたような衝撃を受けて、何のタガが外れたのか、見知らぬ記憶が溢れ出した。


 自分とは異なる、宇佐美うさみゆいという女性の人生が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。そして一瞬のうちにすべてを見聞きし終えたあと、ドロシーは気付いた。


(あー……私、そっか、これ前世の記憶だわ。最期まで思い出しちゃった)


 それは遠く別の世界での出来事で、しかしすんなりと理解できてしまった以上、受け入れざるをえなかった。


 前世の自分が、趣味の城址じょうし巡り中に足を滑らせて石垣から落ち、頭を打って死んだことを。


 しかも山奥のマイナーな山城やまじろの遺跡で、自分以外誰も訪れないような秘境だったせいで、助けなんか来るはずもなかったことも思い出した。そういえばすれ違う人みんな登山装備だったな、と自らの軽率さを呪い、登山届を出しておけばよかったと後悔までした。


 いや、今の問題はそこではないのだ。


 アルン伯爵家令嬢ドロシーは、今まさに、婚約者のテーナー伯爵キャリックから婚約破棄を突きつけられているのだから。キャリックの右腕には、ドロシーの貴族学校での同級生だったノルゼリン侯爵家令嬢アイナがピッタリと腕を組んでくっついている有様だ。


「ドロシー、聞いているのか?」


 キャリックの責める声が、ホールに響く。小太りながらも顔だけはよく、資産家であるため仕立てのいいスーツを着ているが、ネクタイの柄は紫と緑の星柄というセンスの悪さだ。二十三歳なのに額の後退具合も残念すぎる。撫でつけた黒髪は引退した父親と同じ髪型で、彼らのそれ以外の髪型をドロシーは見たことがない。


 一方、ノルゼリン侯爵家令嬢アイナは、典型的な貴族令嬢だ。豪華な金髪をこれでもかとカールさせ、ドロシーと同じ十七歳とは思えないほど大人びた胸元の広い赤のドレスが似合う。豊満な肉体の女性らしさはドロシーが逆立ちしたって勝てないのだが、なぜか彼女はモテないため貴族学校でドロシーに何かと突っかかってきていたことが思い出される。というか、それくらいしかドロシーにはアイナと接した記憶がない。


 だが、そんなドロシーも貴族学校の同窓会を兼ねたお茶会に誘われては、出向かないわけにもいかなかった。貴族は横の繋がりが生命線のようなもの、それに社交界ではアイナよりも嫌な相手と話さなくてはならないときもある。


 ドロシーは父にそう説得されて今日のお茶会へと送り出されたのだが、完全に予想外の出来事に直面してしまったのだ。


「ああなんて無様なのでしょうね、ドロシー! 婚約破棄を言い渡されるなんて、きっとテーナー伯がご決断なさるほど淑女としてあるまじき行いをしたのでしょう!」


 アイナの隠しきれていない喜びっぷりは、悔しがらせるどころか(そりゃそんな下品なことしてたらモテないよね……)とドロシーに再認識させるだけだった。


 ただ、よりによって今日のお茶会の主役はアイナであり、キャリックがドロシーとの婚約を破棄して、アイナとの新たな婚約を結ぶお披露目会となってしまっていた。このためにセッティングしたのだろうが、ドロシーとアルン伯爵家の貴族としてのメンツを考えると最悪としか言いようがない。


 もちろんサプライズで、巻き込まれるとは思わなかった他の出席者たちも困惑している。せっかくのお茶会におめかししてきた紳士淑女の目線が痛いが、それはドロシーへだけ注がれているわけではなく、公衆の面前で婚約破棄されたドロシーの不名誉を広めんとしているキャリックとアイナへの非難の目も多分にあった。


 アイナのお茶会だけあって、ここでドロシーを擁護する意見は出そうにない以上、退散するしかない。


 とはいえ、ドロシーは一応、この場を去る前に聞いておかなければならないことがあった。


「えっと、キャリック、聞いてもいいかしら」

「何だ? 言い訳なら聞く耳持たんがな」

「そうじゃなくて、婚約を破棄するなら私じゃなくてお父様に言ってもらわないと。私が決めることじゃないわ」

「ああ、それなら心配いらん。すでに使いを送って知らせてある、お前の不貞の行状とともにな!」

「不貞……不貞? 私が?」

「シラを切るつもりか? たびたび屋敷を抜け出してはダウンタウンの貧民の男どもと親しげにしていただろうが!」


 興奮し切って喚き散らすキャリックは、駄々をこねる太った子どものようにしか見えないが、これでも一応国内有数の資産家で伯爵である。真実如何はどうでもいい、咎めて損を被るよりは、とお茶会に集った紳士淑女は沈黙したままだ。


 一方、ドロシーは男性と親しげにした記憶などなかったが、よくよく考えてみれば、ダウンタウンの恵まれない人々のために無償でパンや衣服を配るボランティアをしていて——貴族の夫人や令嬢なら当然の奉仕活動、ノブレスオブリージュの一環なのだが——ひょっとしてそれのことか、とひらめきはしたものの、首を傾げた。


「あれはボランティアで」

「言い訳は聞かんと言った! さあ、とっとと帰れ! お前の顔なんぞ二度と見たくない!」


 もうキャリックに言葉は通じそうにない。キャリックと腕を組むアイナが引っ張られて転げそうになっているところしか面白いことがない。


 ドロシーは諦めた。ここで意地を張って喧嘩をしたってしょうがない、とキャリックともども見切りをつけた。


「分かったわ。皆様、ごきげんよう」


 ドロシーは一礼をして、そのまま踵を返し、アルン伯爵家屋敷へと帰るしかなかった。

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