最低の竿役転生、フラグもヒロインも向こうからやってくる件

みょん

竿役にはならねえって感じのエピローグ

「……んなっ!?」

「ど、どうしたのぉ……?」


 ふと、頭を強く殴られたような衝撃を少年は味わった。

 ガンガンと鳴り響く頭痛と共に、今の自分とは違う光景が脳裏を巡って駆け抜けて行く――少年はこの時、思い出したのだ。

 自分がとある寝取られ系漫画の竿役に転生したこと、読者だった自分が大好きだった清楚系ヒロインを滅茶苦茶にし、元の原型が考えられないようなビッチに仕立て上げた最低の男になってしまったことを。


(な、なんで……こんなことにぃ!?)


 突然全てを思い出したわけだが、少年は幾分か冷静だった。

 心の中で響き渡る自身の声はあまりにも情けなく、絶対にこの竿役が口にしないような女々しい声だったものの、決して外には漏らしていない。


(俺……神名一輝になってるぅぅぅぅぅ!?)


 神名かみな一輝かずき、それが竿役である彼の名前だ。

 【寝取られ彼女は淫らに変えられる】という漫画に登場し、主人公からヒロインである彼女を奪い取る最悪の男であり、読者からもマジで制裁しろと声高に叫ばれていたキャラだ。

 ちなみに転生した彼もまた、一輝への制裁を叫んだ一人でもある。


「ね、ねえ……? 本当にどうしちゃったの?」

「っ……」


 甘い声が、一輝の鼓膜を震わせた。

 まだ呆然とする頭で彼が見下ろす先に居るのは、妖艶な雰囲気を醸し出す裸の女性――記憶が戻る前のついさっきまで、竿役として役目を遺憾なく発揮するかの如く手を出していた女性の姿だ。


「えっと……その……」

「??」


 神名一輝は、どこまでも堂々と悪事を働くキャラクターだ。

 染め上げた金髪に鍛え上げられた肉体、顔立ちも整っており流石は竿役の男ではあるのだが、記憶を取り戻した今の一輝に悪役としての面影は全くない。

 つまり何が言いたいかと言うと、見た目と雰囲気が合っていないのだ。


「あなたがそんな風に狼狽してるなんて珍しいじゃない? 何かあったのかしら?」

「……いや」


 どう答えれば良いんだと、一輝は思い悩む。

 しかしながら冷静に色々と考えれば考えるほど、既に自分が取り返しの付かないことを仕出かしてたのだと理解もしてしまう。


(俺……やっちまった……っ)


 目の前で見つめてくる妖艶な女性が誰であるか、それを一輝が知らないなんてことはない。

 この女性は何を隠そうヒロインの実の母親である。

 漫画を読む中でヒロインの母に手を出していた描写はあったが、それが正にこの瞬間――一輝が記憶を取り戻した今だったというわけだ。



 ▼▽



「……………」


 結局、軽く言葉を伝えて一輝は女性と別れた。


「……まさか、こんなことになるとはな」


 ゆっくりと歩を進めながら一輝はそう呟く。

 漫画では文字だけだったが、実際に声を聞いてみると意外と悪くないイケメンボイスで、不良っぽい怖さを孕みつつもこの低さがクセになる女性ももしかしたら居るかもしれない。


「……はぁ」


 ため息を吐く一輝だが、みっともなく取り乱すほどではなかった。

 というのも記憶を取り戻して転生に気付いたとしても、今まで一輝として生きてきた記憶が残っているのもあってか、別人になったという感覚がないのである。


「俺は……一輝だ。考え方はともかく、喋り方とかそこまで変わらんし」


 これで転生した瞬間に一輝としての記憶が吹っ飛んでいたら大変だったが、これからも一輝として問題なく生きていけることが分かったのは彼にとって一先ずの安心である。


「……とはいえ……とはいえだぞ」


 しかし、一輝の脳内を埋め尽くすのは先ほどの光景だ。

 まず今の彼には寝取りの趣味はないし、この世界のヒロインを遠くから舐め回すように観察したいという願望はあっても、決して漫画のように淫乱ビッチに仕立て上げようだなんて気持ちは一切ない。


「そりゃ実際にこの世界に来れたんだからお近付きになりてえよ……でも俺は、学校でも嫌われもんだしな」


 竿役の間男というのは、基本的には学校で嫌われている。

 それは一輝も同じなのだが生理的に受け付けない嫌われ方というより、単に不良然として授業をサボッたり喧嘩ばかりしているのが主な理由だ。

 クラス委員長としてしつこく注意をしてくるヒロインにもまた、嫌われていて当然なのだ。


「……はぁ。何度もため息を吐いちまうぜ……こんなんじゃ既に手元にない幸せが更に逃げちまう」


 それはもう逃げる物がないのでは……?

 なんてツッコミを入れる者は傍に居ないので、一輝のため息は一向に止まることを知らない。


「考えが逸れちまったけど、なんで今になって思い出すんだよ。よりにもよってヒロインの母親に手を出したその時にぃ!!」


 もはやどうしようも出来ない事実に一輝は地団駄を踏む。

 一輝になってしまったからこそどうして母親に手を出そうとしたのか、漫画では語られていない一輝の感情を知ってしまい少し複雑な気持ちではあるのだが、何度も言うが既にヒロインの母親に手を出したという事実は変えることが出来ない。


「せめて……あいつには絶対に手を出さねえ……今の俺にはそんな趣味は全くねえんだ。ただ外から眺めてりゃ良い……精々主人公とイチャイチャしやがれってんだ」


 ならばせめて、ヒロインには手を出さないと誓う――今、記憶を取り戻したばかりでいっぱいいっぱいの一輝に出来ることはこれくらいだ。


「……うん?」


 さて、もう少し気分を落ち着かせようとしたところだった。

 日曜日の夕方の街中は人の姿が多く、すれ違う人の多くが一輝に関わりたくないと言わんばかりに距離を開けていく。

 そのことにもはや逆に苦笑してしまいそうだった一輝の視線に入り込んだのは、不安定な運転をする車だった。


「……………」


 その車を確認した瞬間、何故か胸騒ぎがして一輝は走り出す。

 何故かは分からないがいきなり動悸のようなものがしたかと思えば、あそこに向かえと脳が指示を出しているようにも感じた。


(……あ、マズイ!!)


 そして案の定、フラフラと蛇行し始めた車は歩道へと突っ込む。

 異常な車の様子に気付いていくつもの悲鳴が上がる中、車が突っ込む先には呆然と動けない女の子が一人――一輝は無我夢中に突っ込んだ。


「あぶねええええええええええっ!!」


 瞬間、一輝は光になる……わけもなく、運動神経だけは凄まじいので陸上選手もビックリのスピードで女の子の元へ駆け付けた。


「え?」

「こっちだ!」


 女の子の手を引いて胸元へと抱き込み、突っ込んできた車から身を捩るようにして何とか回避した。


「きゃっ!?」

「っ……」


 女の子が傷付かないように、一輝は自分が下敷きになるのも厭わない。

 ちょうど路肩にある縁石の丸い部分が背中に当たったのか、想像以上の痛みに肺の空気が強制的に吐き出され、ゲホゲホと咳が止まらない。


「だ、大丈夫ですか!?」


 胸元に抱き込んだ女の子が起き上がり、一輝へと声を掛けた。


(ったく……散々じゃねえかよクソッタレが)


 そう悪態を吐く一輝だが、人助けを出来たことは満足していた。

 車が建物にぶつかったことで現場は凄まじいことになっており、倒れた一輝たちに駆け寄る野次馬の数も多く、非常に目立ってしまっているが何よりも女の子が無事だったことに一輝は安堵した。


「大丈夫だ……お前さんが無事そうならそれで……え?」


 さあ、助けたのはどんな美人なんだと軽い気持ちで顔を上げた瞬間、一輝は再び呆然とした。


「……神名君?」

「……藍沢?」


 その女の子を一輝は知っていた。

 風になびく亜麻色の髪に、優し気でありながらどこかもどこか厳しさを感じさせる凛々しい瞳、整った顔立ちはもちろん服の上からも分かる極上のスタイルの良さ――彼女の名は藍沢あいざわ愛奈まな、絶賛一輝の中で話題になっていたヒロインだ。


「……しゅわっ!」

「へっ!?」


 相手が誰か、それを理解した一輝の行動は早かった。

 前世で見てからずっと心に宿るスーパーヒーローの真似をするように立ち上がり、華麗に服に付いた埃を払って愛奈に背を向けた。


「アディオス!!」

「ちょ、ちょっと!?」


 関わらないと決めたのだから、関わらないんだ!

 そんな決意を見せるかのような全力疾走だが、思いの外背中の痛みは残っているのか所々で老人のようにふらふらとする一輝。

 その背に手を伸ばそうとした愛奈に最後まで一輝は気付かず、これで良いんだと大して会話もないことに満足するのだった。



 こうして、一輝の新たな物語は始まる。

 既に色々とやっちゃってる部分はあるが、寝取り竿役クソ野郎になんて絶対にならないと誓う少年の物語だ。

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