エスプレッシーヴォ!
中原 ももか
新しい生活
「眠いなぁ……」
ふわぁとあくびをする。
なぜかというと、以前よりびっくりするくらい登校時間が早くなったからなんだよね。
廊下の終わりである玄関の前に立ち、すこし振り返る。
「おかあさん、行ってくるね!」
「はーい、行ってらっしゃい」
食器の擦れる音と、水の流れる音とともに遠くから聞こえた声をてきとうに拾い、まだちょっと慣れないぴかぴかの黒いローファーを履いて、家のドアノブをひねる。
「あい、おはよっ」
すると、人当たりの良さそうな笑顔と、ショートカットがぴょこっとドアの隙間から覗いた。幼稚園からいっしょの大親友がわたしを待ってくれていたのだ。
「マリン!おはよ〜」
わたしもあいさつを笑顔で返す。
「さいきんちょっと暑くなってきたよねぇ」
「だね……これからもっと暑くなるのヤダなぁ」
今は四月中旬で、まだぽかぽかしてあったかいくらいの気温だ。
「とはいっても、すでに汗ダラダラなわけじゃないけどね!」
あははっと笑ってお互いの顔を見る。
そして、彼女は、なんだかもったいぶるように、えへんと咳払いをして口を開いた。
「……じゃ、行こっか、中学校に!」
「うんっ!」
――わたし、坂口
この春から、中学生です!
「――にしてもさぁ」
わたしの大親友こと加賀屋 マリン《かがや まりん》がそう声に出す。
「ん?」
「五クラスあるのに、あたしとあい、同じクラスになるなんて、思いもしなかったよね」
「その話、もう何回も聞いたよぉ〜……。でも、わたし、やっぱりマリンと中学生最初のクラスが同じで嬉しいなぁ」
「あたしもだよ〜!」
マリンはわたしの肩をぐいっと掴んで自分の方に引き寄せた。
「わわっ、マリン、歩きづらいよっ」
わたしが抗議の声をあげると、彼女は今日の朝日のようにまぶしくにかっと笑った。
わたしは、マリンの誰かをぱぁっと照らすこの笑顔が大好きだ。
「ごめんって〜」
「あはは、大丈夫だよ!」
わたしも笑って、軽い口調の謝罪を受け取る。
「そういえば、今日はどの部活行く?」
ふと思い出して、わたしはマリンにたずねる。
そう。
部活、正しい名前は、部活動。
小学校にはなくて、中学校にはあるもの。
大雑把に言っちゃえば、生徒たちが、顧問の先生やコーチなどに指導を受けながら、放課後や、学校が始まる前なんかに集まって、スポーツをしたり、絵を描いたり……みんなで特定のことをすること。部活は、大きく分けて運動部、文化部と二種類があり、更に細かく分けるとサッカー部や美術部、ダンス部や家庭科部などなど、それぞれの学校にもよる多種多様な種類がある。
わたしたちが通う学校――
マリンは上の方を見つめうーんとうなる。
「七日間あったけど、今日でもう六日目だねぇ。どこに行ったっけ」
そう問われ、わたしは苦笑いしながら口を開く。
「えーっとね、まずバドミントン部でしょ、学校の外をぐるってまわって走るあれ、外周はほんっっとにキツかったぁ。しかも全然ラケット振らせてくれなかったよね」
「そお?あたし的にはけっこう良かったんだけど」
体力がバケモノ並にあるマリンはきょとんとしている。ええ……。わたしは更に続ける。
「次は基礎練習が物凄い辛かったバスケットボール部、で、その次はダンス部、四日目は卓球部、それで次はソフトテニス部、陸上部……」
指折り数えながらマリンにそう伝えきった。
「あ〜、どこの部もめっちゃ良かったんだよな〜!」
思い出した彼女は目をきらきらさせながらわたしに顔をずいっと近付けてくる。
「近いってば!……マリンは運動トクイだもんね…やっぱり運動部行きたいの?」
「いやぁ、自分が心から真剣に、楽しんで活動出来る部活ならどこだっていいんだけど……」
「……でもこの五日間行ったの運動部だけじゃん」
呆れ顔で彼女にツッコミを入れる。
「わたし、マリンに着いてくのけっこう大変だったんだから!」
「ああっそれはごめんっ、でもあいがあたしと一緒に仮入部行きたいって言ったんじゃん!」
「……そうでした」
そりゃマリンに自由にさせたまま着いてけば運動部ばっかりになるに決まってる。
「ごめん……」
「いや、あたしもあいのこと考えてなかった」
「じゃあ、お互いさまってことにしようよ」
「あはっ、そうしよ!」
「で、何部行く?」
わたしが本題に戻すように言うと、マリンは再び考え込むような表情になった。
「あいは運動部疲れたもんね、文化部行きたい?」
「いやっ……まあ、うん、そうだけど……」
言葉をにごす。そんなわたしの様子を見て、彼女はカラッと笑った。
「じゃあさ、帰りのホームルームまでにあいのほうで考えといてよ!あたしはそれに付き合うからさっ」
反省してわたしのことを考えてくれたマリンのその提案に、なんだかじーんとしてしまった。
「ありがと……!」
「お礼言われる筋合いないんだから〜」
「うん…っ」
「あ、そろそろ学校だ」
マリンのつぶやきに、わたしもはっと気づく。
ほんとうだ。目の先、色あせた赤レンガの塀に、すこしさびた門が見える。
そういえば、もう周りはわたしたちとおんなじ制服を着た中学生たちばかりで、にぎわいがあふれてる。わたしたちも、たくさんの生徒に紛れ校門をくぐった。
昇降口までの道に、もう葉桜になってしまったサクラの木が何本も植えられていて、葉が風に吹かれておだやかに揺れていた。
「はぁあ……、小学校は四階建てだったからまだ良かったものの、なんで中学校は五階建てなの〜!」
昇降口の、下駄箱の前でマリンが嘆く。
確かに。くつをしまい、うわばきにはきかえながら、わたしも思う。
私立の中学校で更に良いところとかだったらもしかしたらエレベーターみたいに楽に移動出来るものがあるかもしれないけど、残念ながらそんなに高額なものはここにはない。しかたなく一年生の教室がある5階まで階段をのぼる。
運動がトクイなマリンはさんざん嫌だと言いながらも涼しげな顔で5階に到着したけど、わたしは息がきれてはあはあしてしまった。
わたしたちのクラス――一年二組は東・西・中央の三つある階段のうちの一つ、中央階段をのぼって右手にある。先に登校してたクラスメイトにあいさつをしながら自分の席に着いた。マリンもわたしの隣の席に座る。
「はぁ〜、着いた着いた」
「だねぇ……」
教室の壁掛け時計を見ると、時刻は八時二十分。朝のホームルームが始まるのが八時半だから、まだ時間によゆうはありそうだ。
復習するために持って帰った数学の教科書をリュックから出しながら、マリンに話しかける。
「わたし、行きたい部活、かたまってきたかも」
「お〜!いいねっ」
目をきらっと輝かせて、マリンは前のめりになる。「近いって〜」とそんな彼女にわたしは文句を言いつつ、あれこれ頭に浮かんできた部活の中からピンと来た部を口に出す。
「あっ、演劇部、結構気になってるよ〜」
「おおっ、演劇って普段できるようなもんじゃないからいいと思う!」
「あとね、文化部がいいとか言ったけど、バレーボール部も気になってる」
「いいじゃんっ」
終始ワクワクって顔で、マリンは話を聞いてくれた。
「えーっと、とりあえずそんなところかな」
「うん、オッケー!ちょうど二つだから、今日行く部活、どっちにするか考えておいてねっ」
「りょーかいっ」
キレイに話がまとまったあと、朝のホームルームのはじまりを告げるチャイムがなった。続いて教室前のドアがガラガラと音を立てて一年二組担任の
「きりーつ、れい!」
「おはようございます!」
日直の号令と、みんなの元気なあいさつが教室いっぱいに響く。
「はーい、出席確認するよー」
机やらいすやらが生徒たちによって引かれがたがたうるさくなる中、春川先生の聞き取りやすい声がはっきり聞こえてきた。
「蒼井ー」「はーい」「浅山ー」「はぁい」「植野……はお休みだね。大崎ー」「はいっ」……
一人ひとりの個性豊かな返事が聞こえ始めた頃、わたしはまた目をこすりながらあくびした。そしたら隣の席でたまたま返事をしてたマリンとたまたま目が合って、くすっと笑われてしまった。
そして、出席確認や、朝の連絡事項の伝達が済み、朝のホームルームも終わると、一旦休み時間が十分入る。ちなみに、授業と授業の間にも十分休み時間があるんだよ。小学校では、休み時間は五分だったから、移動教室に間に合わないとか、次の授業準備をバタバタしながらするとかがなくなってありがたいなぁ。でも――。
「あーっ!休み時間があるとはいえ、これから五十分×六授業も受けるのキツすぎだよーっ!!」
となりで一時間目の準備をしながらジタバタ暴れてるマリンを見て、ぷっと吹き出しちゃった。ついでに周りにいた、すこし仲良くなってきたクラスメイトの女の子たちも面白そうに笑っている。
「マリンちゃんの気持ちホントわかる〜」
「小学校と同じで四十五分授業でいいのにね」
「えっ、だよね!」
そう、これも小学校と中学校で違うところ。休み時間が増えたと同時に、授業時間まで五分長くなっちゃうんだよね。すぐ慣れる、とか先輩たちは言うけど、五分の差は大きい。まだ当分慣れそうにないや。
マリンや女の子たちとそんなふうに談笑してたら、またチャイム。教室が、賑やかな空気からだんだんいすを引く事務的な音に切り替わっていく。
「じゃあ授業始めるぞー」
国語担当の高田
「きりーつ、れい!」
「お願いします!」
そろそろ慣れてきたおなじみのあいさつをして、席につくわたしたち。
よおし、今日もがんばるぞ!
「はあ〜、今日も疲れたね〜!」
「……」
「数学めっちゃ難しかったなあ」
「……」
「……あ、……あっ、え――っとぉ……」
「……」
「――あっあいっ!ごめんっ!!」
急にわたしの前に回り込んできて、行く手を阻むようにぱちんと手を合わせて立つマリン。
「……はぁ……」
わたしはため息をつく。
「ねえーっ、ほんとにごめんって!断りきれなかったんだよおーっ!」
彼女は泣きそうに目を潤ませながら、わたしに頭突きするようなレベルで頭を下げる。
ことの発端はこうだ。
結局、今日は演劇部に仮入部することに決めて、わたしは帰りのホームルーム前にマリンにそのことを伝えようとしたんだ。でも――。
“ごめんあいっ!”
わたしが口を開くよりも早く開口一番、マリンはそう謝ってきた。わたしはなんで謝られたのかわかんなくて、どうして?って聞いてみたら。
なんでも、彼女は昼休み中に校庭に出ようとして階段をおりていたら、小学生の頃仲良かった中二の先輩にばったり会ったそうで、その先輩が所属しているソフトボール部に、部員をたくさん獲得したいから必ず二人以上で仮入部に来て欲しいと懇願されたらしいのだ。それで、マリンは断りきれなくて、二人でソフトボール部に仮入部に行くことになってしまった。
「……あははっ、いいよいいよ。別にわたし怒ってないし、先輩たちも部員欲しいからガチになっちゃうからしょうがないし。ちょっとイジワルしちゃった」
わたしがなだめるようにそう言うと、マリンの顔がぱああっと晴れた。
「っあい〜〜っ!ごめんね、ありがとおっ!」
正面に立っていたマリンにがばっと思いっきり抱きつかれる。
「うわあっ」
後ろによろけながらもマリンを受け止められた。
「大丈夫だよ、明日さえあと行ければいいし!」
「うんっ、マジでありがと〜〜!」
ますますまわした腕にチカラをこめる彼女に「もうわかったから!」と叫び、すこし彼女の体を押した。
「ごめんごめん。明日の昼休みはもうどこも行かないっ」
「ふふっ、ありがと」
笑いながら歩く二人のかげぼうしが伸びていく。
何気なく青空を見上げると、夕焼け色にそまりかけていた。
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