第5話
「何が起こってるんだ?!」
このままではまずい。周りを警戒しながら荷物をまとめに急いで戻ると、60センチくらい離れた木々の間にまぶしい光があるのを見つけた。何かが俺の右側で動き、ひやっと冷たいものが突然左の頬に触れてきた。沼のような水たまりだらけのうっそうとしたこの場所は、息を吹き返したようにザワザワと動き出したが、地面にはまだ俺の荷物が転がっている。
「早くするんだ、早く」
自分を急かしながら、最後の物をしまい込み立ち上がると、俺は剣を手にした。
「ウワァァァアアアァァァーーー!」
次の瞬間、逆さまになった幽霊の顔が叫び声を上げながら、俺の目の前に現れた。
幽霊式のご挨拶でもしてきたとでも言えばいのだろうか? トカゲのように木にぶら下がっているそいつは、ミイラの亡霊のような姿をしていた。肌は青白く、目玉はくり抜かれ、生気のかけらこれっぽっちも感じることができない姿だ。そいつが大きく口を開けると肌はひび割れ、ついには裂け始めたが、そんなことに構わないらしい。俺に向かって、口からひどい臭いを放つ冷たい息を吹きかけてきた。
俺はピンと第六感が働き、すぐさまそいつを剣で払い除けた。
「おらぁっ!」
驚いたことに、剣がうまい具合に当たり、得体の知れない亡霊まがいのそいつは地面に転がり落ちて消えていった。しかし、森から聞こえるうめき声は一向に収まらない。辺りをすぐさま確認すると、俺の背後には何やら正体不明のものが混ざり合ったようなものが追手のように迫ってきていた。
言うまでもない。選択肢は『逃げる』一択だ。
怒りをあらわにした幽霊が俺を真後ろから追い、横を見ればそいつの仲間とおぼしきものたちがどんどん増えていく。ぬかるんだ地面に泥だらけの水たまり、それらに足を取られないようジャンプしてどうにか捕まらずにはいるものも、幽霊は俺の行く手をさえぎろうと前に出てくる。そんな時は一体ずつ、俺の手に握り締められたこの魔法の剣で倒していくしかない。
ハアハア、と呼吸がどんどんと荒くなっていった。こんなにも速く走ったのはいつ以来だろう? 前はこんなに速く走れただろうか? 一瞬考えたが、実際はそんなことはどうだってよかった。怪我なく健康に走れる身体を取り戻せて良かったと、感謝の思いしかなかったのだ。
そいつらの耳をつんざくような悲鳴のような叫び声に追われながら、目に不思議な光景が入ってきた。古めかしいフェンスの支柱の上を蛍のような虫が飛んでいる。全速力でそこを走り抜け、後ろを振り返ると、俺を追ってきていた煙のような姿の亡霊たちが岩にぶつかっては消える波のように、見えない何かに衝突するようにして消えていった。
足をザーッと滑らせて走るのを止め、そこら一帯をぐるぐると見回した。フェンスの支柱のところに見えない壁があるかのように、そこを境にして、場所の雰囲気や空気が変わったようだ。温度が少し暖かくなり、色も青みがほんの少し増している。木もさっきいたところより多くなり、中には車の幅ほどの大きな木もあったが、全体的に見ても奇妙な景観をしているわけではなかった。しかし、近づいて木をじっくりと見てみると、漫画に出てきそうな『人の叫ぶ顔』がついているようでもある。
「死の領域なのか何なのかわからないけど、そういう雰囲気だけは引き継いでるんだな」
「同感だぜ」
俺の感覚という感覚がゾッとし、声がした方に目をやると、若い男が立っていた――胸がはだけた毛皮のベストとカーゴパンツを身につけ、髪をオイルでしっかりとセットし、不良みたいな見た目をしている。
「俺は好きだけどな。お前はビビってんのか?」
男の手には、俺が持っている剣と同じものが握られていた。ということは、彼も有望者ということだ。しかし、俺のことを小馬鹿にしたような顔つきからは、いい印象をひとつも受けなかった。
「おい、どうやら精霊に追いかけられたようだな?」
男はそう言うとニヤニヤとしながら俺に近づいてきたので、俺は後退りした。
「そ、そうだよ」
厄介なやつに捕まってしまった――ケンカが強いのをいいことにやりたい放題の典型的な男だ。面倒が起こった時に、こういう態度に出るやつは腐るほどいる。こいつもきっと因縁をつけてケンカを売ってくる気だろう……。
男が俺に尋ねた。
「お前は逃げたんだな、戦いもしないで?」
「そうだよ。ちょっとびっくりしたけど」
「あいつらがこっちのゾーンに入れなかったのはラッキーだったなぁ?」
「超ラッキーだよ」
「もう何か倒したのか?」
男は俺に近づくことをやめず、にじり寄ってきた。
「『倒す?』 い、いや、何も。ゾンビのリスを一匹殺しただけだ」
「たった一匹? そりゃあよくできた、大したもんだ」
男はへらへらと笑いながら続けた。
「どこの権威ある印縛処から来た?」
俺は首を振りながら後退りし、ポーチの中にあったスタンガンに手を伸ばし答えた。
「ちょっと違うと思うけど……」
男は含み笑いをし、俺に右手を突き出して見せた。手の甲には赤く光るマークがあった――虫の姿を模したかのようなマークだ。
「俺は権威ある印縛処から来た。卿の子孫だぜ」
「そりゃあぁああ――すごいな」
思わず声がうわずった。これはまずい、男は俺の品定めをしていたのだ。男が唇をぺろっとひとなめした――それは、男が俺のことをちょろいやつ、と見定めた合図だ。
でもなぜだ? なぜ、男は俺と戦わなければいけないのか?
男が剣を硬く握り締めたのが見えた。俺は攻撃される前に、慌てて大きな声を出して問いかけた。
「あ、あのさ! なんで戦うんだ? 戦う必要なんてないんじゃないかなぁ?」
男は攻撃体制を緩め俺に尋ねた。
「戦いたくないのか?」
「戦いたくないよ、これっぽっちも。本当のことを言うと、今何が起きてるのかもわからない――」
「そうなのか、わかったぜ。誰も詳しい説明なんかしてくれないもんな」
男は微笑みながら答えた。
「よ、よかった、わかってくれて――」
しかし、瞬時に男の笑みは悪意に満ちたものへと変わった。男の後ろに薄気味の悪い大きなスズメバチのような虫が現れ、俺の顔に向かって何かのボールのようなものを投げつけてきた。ボールが俺にぶつかると割れ、刺すような痛みを放つ雲のようなものがボールの中から現れた。
「あーっはっはっはっ!」
男は大声をあげて笑った。笑い声が聞こえた直後、俺の頭に何か硬くて薄いものが直撃し、クラクラとそのまま倒れ、地面に頭が叩きつけられた。視界も定まらず、剣を持って俺の前に立ちはだかる男を認識するのがやっとだった。俺は片手に剣を、もう片方の手にはスタンガンを持っていた――襲われた時でも道具からは絶対に手を離さない癖があったのだ。――まだ勝機はある。
男は狂気めいた笑い声を上げながら、俺のことを剣で数えきれないくらいめちゃくちゃに叩き続けた。
「あははははは! おい、降参するか、それとも生きる価値などない負け犬だと認めるか! どっちを選ぶ、ギブアップか死か!」
俺は胎児のような姿勢になり、できる限り頭を守りながら、チャンスを伺っていた。
男は剣で俺のことを力いっぱいに叩きながら近づいてきた――その瞬間、今だ、とやつの足にスタンガンをこれでもかと押し付け、そしてスイッチを押した。
俺の顔を叩く寸前で、男の動きがピタリと止まった。スタンガンの威力で全身が痛みに襲われたかのように、びくともしなくなった――スタンガンがまだ使えて良かった、感謝しかない! 男は地面にどぉんと倒れ込んだが、スズメバチのような虫はまだ宙に浮かんでいた。
俺はどうにか起き上がり、念のためにと虫を叩き落としてから、残る力を振り絞って森の中へ駆け込んだ。身体にはズキズキと痛みが走り、右のすね、腕や肋骨も悲鳴をあげていた。今の身体には走ることすら酷なことだったが、それでも進むしかない――昔、最悪の状態でも全力疾走したことがあったが――今に比べたら朝メシ前だったろう。尋常じゃない痛みにさいなまれても、俺は何時間もこうやって動いているんだから。
しかし、男を倒したからといって気を抜いてはいけない。全身傷だらけで身体にむちを打ちながら走っていると、視界が狭まり見えるところが限られてくる。こんな調子でいたら、もっとひどい怪我を負うことだってあるだろう。
その時、突然爆発音が響いた。同時に何か異常に熱いものが俺の腕をかすめると、悲鳴を上げたくなるような痛みが身体全体に駆け巡った。俺の横にあった木は爆発で穴が貫通し、その穴の周りは赤々と燃え上がっていた。
怖々としながら後ろを振り返ると――
「待ってろ、くそ野郎!」
あの狂った男が吠えるように叫び、追いかけてきていた。
(何が起こってるんだ?!)
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