第3話

群衆のざわつきは次第に止み、その声の主がどこにいるのか特定するのは楽になっていた。横にいた赤い彼女が後ろの方を見ていたので、俺も一緒になってその方向を見た。


「おいおい、マジか? 俺はあんたがスタグネーション卿だって知っているが、骨の髄までそのお役柄に徹して陰キャになる必要なんてないんじゃねぇのか! どうしてあんたが追い出されちまったのかねぇ?」

ある男が大きな声で言いながら、前の方にズンズンと進んでくると、群衆たちはモーセの十戒の割れた海のようになって、彼のために道を開けた。彼は俺たちの存在なんか気を止めることなく、風を切るように目の前を横切っていった。まるでステージに立っているスタグネーション卿だけしか視界に入っていないように、真っ直ぐに卿だけを見つめる男の瞳はどんな黒よりも黒かった。男も卿と同じように黒いコートを着ていたが、指にはこれでもかと指輪が数々はめられ、胸ははだけていたが、首には金の鎖がジャラジャラと巻きついていた。彼の目と同じような漆黒の色をした髪は、短くツンツンと立てられていた。


大声を出しガハハと笑い声を上げながら、男がステージに上がった。俺はチラチラとあたりを見回し、周りの反応を伺ったが、誰ひとり男の行動に動揺している人はいなかった。それどころか、何人かは彼に向かい敬意を表すようにひざまずいていた。先にステージに上がっていたスタグネーション卿すらも、彼の登壇を拒否しなかった……あの男はいったい誰だ?

その答えは、彼が俺たちに向けて顔を見せた瞬間すぐに判明した。

「よう、有望者ども、俺が死の領域の第二室の卿、インダルジェンス卿だ」

彼は目の上に手をやり、まるで太陽の眩しい光を遮るような仕草をしながら、群衆を見回した。

「おお、本当に優秀なやつらじゃないか、俺の子供たちもいるようだな。この日を見ることになるなんて俺は幸せ者だな!」

インダルジェンス卿と名乗る男は、興奮したように拳を何度も振り上げた。

「さぁ、心の奥底から叫ぼうぜ、盛大に祝おうじゃねぇか! これっきゃないだろ! 英雄たちがここに集まってるんだからな! 人間にとっての新しいゴールデンエイジがやってくるんだ!」

彼の興奮がここに集う者たちへと伝わり、群衆たちは一丸となって大声で歓喜の雄叫びを上げた。

「お前らは強い! ここにいる全員が、だ! お前らに勝てるやつらなんか誰もいねぇぞ! お前らがここを去る時は、覇者となった時だ! 勝利を骨の髄から味わえ! 勝利の女神を奪ってこい!!」

群衆の中には、インダルジェンス卿と一緒になって雄叫びのような叫び声をあげる者もいた。

「死の領域にいるからと言って、死を心まで味わい尽くせ、なんて誰も言っちゃいねぇぞ! 今は歓喜に酔う時だ! 再生の周期の第一の階層が再びやってきた、つうことは『富める大地』へと続く道の幕があげられたってことだ!」

男は息をつくことなく、興奮のままにしゃべり続けた。

「勇気ある有望者たち、お前らは神のご意志によって選ばれた。その力は証明として身体に印されている。フリンジワイルドへと向かえ、運命に真っ向から立ち向かえ! フリンジワイルドは、運命に立ち向かう意志を自ら持ち、そこに足を踏み入れる者を今か今かと待っている。道中出くわすものは迷わずぶんだくれ。力、富、知識、人間もだぞ。お前自身のものにするんだ。つかんだら奪え、かっさらえ、そして喜び狂え! 勝利をふんだくってここに戻ってこい! ゴールデンエイジに蘇るんだ! 自分自身に力を宿し、新たなる時代の人間界に力を与えろ。ヒーローとなり、リーダーとなり、敬われ慕われる存在となれ。お前らの国を支配しろ。すべてはお前らがここで正当な手段を持ってして手にした力で成し遂げられる!」


熱すぎるスピーチの中、彼は手を高くあげ、高笑いした。

「さぁ、再生の周期の第一の階層が始まるぞ。今ここから卿は生まれ、周期が一新される!お前らは何の卿になるつもりなんだ?」

群衆が彼に煽られ、次々と『何の卿になりたいのか』を叫び始めた。

「俺は次の死の領域卿となるぞ!」

「生の領域を終わらせる卿になるんだ!」

「無敵の卿だ!」

群衆の姿を見て、インダルジェンス卿はまた笑い出した。


群衆は熱気に包まれていた。俺は横にいる赤い彼女に向かって困ったような顔を見せると、彼女はまだステージで狂ったように笑っている彼を嫌悪と怒りに満ちた目で見つめ、

「――インダルジェンス卿」

とつぶやいた。何かを固く握りしめたような手は、胸の前で拳を作っていた。

「もうよい」

スタグネーション卿がそう言うと、群衆は静かになったが、インダルジェンス卿だけがまだ己のスピーチに酔いしれているようだった。

スタグネーション卿は、インダルジェンス卿のことは気にせずに話を始めた。

「有望者たちの士気を高めようとするその意気込みには感謝をしよう。しかし、時間を無駄にはできない。お願いだから物事を遅らせるようなことだけはしないでいただきたい。我々は、今の姿のままでは、長い時間ここにいることはできないのだ」

「そんなに長くはかからねぇよ。あんたがちんたらやってるから俺様が出てきたまでだ」


インダルジェンス卿はそう言うと指をパチンと鳴らした。するとどこからともなく、霧に包まれ、薄い布だけを身にまとった美しい姿の男女がステージの上に続々と現れた。

「有望者たちよ、心して聞け。今からお前らに最初の武器を与えてやろう」

インダルジェンス卿の合図で姿を現した男女が、木箱からたくさんの剣を運んできた。

「ここに960本、お前らの数と同じだけの試用剣がある。各自剣を受け取ったら、肌身離さず持ち歩け。お前らが力をつけてフリンジワイルドを出て行く時、剣はお前自身を象徴するような武器へと姿を変えるだろう」

インダルジェンス卿が手首を軽くひねると、槍のような長さの持ち手がついたハンマーが何もないところから現れた――いや、ハンマーと言うよりかは、鉄の塊に持ち手が付いたと言うか――それよりも、何か液体が入った大きな鉄でできた樽と言ったほうがふさわしいかもしれない。

「ここにいるお真面目さんか敬虔なお方たちなら、この武器の名前をご存知かもしれないな。きっと同じようなものを持っているやつもいるだろう。さぁ、よーく考えてみな」

インダルジェンス卿は横にいるスタグネーション卿をチラリと見て続けた。

「これが何なのかヒントをやりたいか?」

スタグネーション卿はその言葉には何の反応も見せず、暗闇の中から何かを出した。

(……あれは砂時計か?)

人の頭くらいの大きさをした砂時計が宙に浮かび、スタグネーション卿の手の上に乗った。妖しい紫の光を放つ砂時計には黒い鎖が繋がっていたが、鎖は瑞々しすぎるほどの生気に満ちた赤い花に覆われていた。

(あれが武器だって言うのか? ゲームとか漫画の世界なのか、ここは……)

「失礼します、有望者様」

「あ、ありがとう」

男なら思わず二度見するようなボディラインをした女性が、試用剣を俺に手渡しにやってきた。剣を受け取りながら、思わず彼女のたわわに実った果実のような胸の間にできた深く狭い谷間に釘づけとなった。

「どこ見てんの?」

赤い彼女の現実的な声で、一瞬でハッと我に返った。

夢から覚めたように今何をしていたのか思い出し、前を向くと、剣の運び手は何事にも気づくこともなく、自分たちのいたところへと戻っていくところだった。赤い彼女の方を見ると、軽蔑するような眼差しで俺を見つめていた。

「あんなに肌を露出させている女性を見たのは久しぶりだったから――いつもは気にもしないんだけど」

俺は小さな声でつぶやいた。

今度は彼女が啖呵を切ったように、

「別に言い訳しなくてもいいわ」

と俺に向かって吐き捨てるように言った。

「あのナイスバディな女に声をかけずに、そのまま行かせちゃっていいのかしら?」

とげとげしい彼女の声が突き刺さったが、他の若い男たちがやっているように色気たっぷりの運び手の姿を目で追った。すると、熟れ時の桃のようなヒップには糸のように細いTバックが――

「また見ちゃって……よくそんな目つきでジロジロと見れるわね?」

赤い彼女の声がまた俺を現実へと引き戻した。彼女のきつい言葉は正直少しうざいくらいだった。

「そんな気はないから」

俺はそっけなく返した。

「あんたも所詮はインダルジェンス卿のお仲間ってことね。すっばらしいじゃない、そんな人だとは思ってなかったわ」

「何言ってるんだ、仲間だって? 違うよ、俺は死んだんだ、生きてる間は後悔の繰り返しだった――もう、あんな人生はまっぴらだ。俺が死んだ時、ああいう不甲斐なさも俺の中で死んだんだよ。これからは後悔なんかしたくないんだ」

彼女は少し黙った後、くすくすと笑いながら話し始めた。

「そうなの、あなたはこれが始まる前にすでに自分はダメなやつだと悟ってたのね……。ふふふ、多分あなたは正しいわよ。これを勝ち抜いて『卿になる』なんて、きっとバカみたいな考えだもの」

馬鹿げた考え――そう言う彼女の言葉は彼女自身にも向けられているかのように、自虐的に聞こえた。

「申し訳ないが――もう終わりだ!」

俺たちの注意を引くかのようなインダルジェンス卿の叫び声がとどろいた。

「ここにいる皆に剣が行き渡ったな。じゃあ、お前らは今からぶち込まれ――」

「待て」

勢いよく話し続けるインダルジェンス卿の言葉をスタグネーション卿が遮った。

「まだ剣を手にしていない者が一人いる」

群衆はあたりを見回し、こそこそと話し始めた。すると、裸に近い姿をした男のうちの一人が、誰かを指差しているのを見つけた。

「なんだって、俺たちが間違って数えていたのか?」

困惑しているように口をへの字に曲げたインダルジェンス卿の姿は、初めて正気になった様のように見えた。

「どちらでもよい」

スタグネーション卿がため息混じりに言った。


数分後に卿たちが予備の剣をその若い男に手渡すと、

「よし、いいだろう。今から俺たちは――」

とインダルジェンス卿が話し始めた。

「もういい。お前は何かを履き違えている」

またもやスタグネーション卿が遮った。スタグネーション卿は、今度は俺たちに向かい話を始めた。

「有望者たちよ、君たちは正式にフリンジワイルドへと今から向かうこととなる。迷うことなく進み、できる限りのものを手にするといい。ただし、このチャンスは1034年ごとにしか訪れない。時間は限られている、だから無駄にしてはならない。いち早く戻ってくることができた者、高い能力を誇る者は勝利を手にし、覇者になることができる」

彼は会釈をひとつしてこう締めくくった。

「第一の階層が実り豊かなものであることを願っている」

インダルジェンス卿もスピーチの最後に叫んだ。

「聞こえただろう! 声をあげて貪ってこい! とことん奪い尽くせ! お前らの気持ちが満足するまでな!」


すると、その瞬間何かが起きた。

俺たちの目の前にいた人々が、一人ずつ光に吸い込まれてく。俺は赤い彼女を見たが、彼女は顔色ひとつ変えることなく平然としていた。俺は慌てふためいた。

「君は怖くないのか?」

彼女に声をかけると、氷のような視線を俺にチラリと投げかけ、光に吸い込まれていった。それから光は俺のことも吸い込んだ。


***


「ここは……?」

気がつくと俺は一人で、見たこともない場所にいた。しかし、前にも来たことがあるような既視感もあった、霧がかかって、泥で満たされたような水たまりだらけ、という以外は。

「ここで何が起こってるって言うんだ?」


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