才能の民主化
テクノロジーの民主化という言葉があるよね。たとえば、インターネットの普及は、知識や情報が誰でも同じように手に入るようになった、もちろん限度はあるけれど。そして、誰でもでないのが一部の特権階級というなら、その特権を一般に開放するような技術だから民主化と言う。
テクノロジーの民主化は単なる技術の進展ではなくて、人々がその技術を使って自らの権利を行使し、より良い生活を築くための手段になるのだから、基本的人権の拡大が民主化ならテクノロジーの民主化も同じ路線だよね。
才能の民主化は、(今まで共有が難しかった)「才能」という言葉で片づけられていた技術が共有可能になったという意味で捉えると、今までにない新しい流れだと感じる。いや、今でも職人の目利き判定がAIで出来ているので、そう考えると才能の民主化は既に起こっていて。新しくもないのかな。
ともあれ、プログラミングができない人たちが、誰でも近しいことができるようになるだけで、世の中は随分と違うものになると思う。人々がその技術を使って自らの権利を行使し、より良い生活を築くための手段になるのだから。
もちろん、特権階級に居る人たちにとっては困った話だけれど、現代社会の恩恵を受けるというのは、そのような民主化の恩恵を受けてきたということなのだから、知らぬ存ぜぬは傲慢だ。過去の犠牲者に土下座して反省しろとは言わないけれど。
IT技術者は、オープンソースという言葉があるように、民主化に積極的な人たちだけれど、彼らは未来を切望しているから誰もが民主化の恩恵に与って幸せになりたいのだ。誰もが権利を拡大されて世界が広がると信じている。未来志向だね。
ところで、オープンソースでは『 伽藍とバザール 』が古い議論として有名だね。これは特権階級との戦いがテーマではないけれど、関係が無かったということはない。そして、ソフトウェアの開発が独占されることなく、多くの人々の協力によって進化してきたという背景は、まさにこの「才能の民主化」の先駆けとも言えるよね。
補足しようと思う。
平等にも「機会の平等」と「結果の平等」があり、機会の平等は民主的だと思ってる。
たとえば、絵を描くことが手段だとすれば、その手段が誰でも使えるなら機会の平等であると言える、と思う。
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