第42話 親子対談

 バーランダー家の屋敷に到着したミレイは、一度大きく深呼吸をした。


 自問するまでもなく、緊張している。


(まさか、またここで戻ってくるなんてね……)


 もう二度と戻らないと、そのつもりで家を出た。

 父であるルルードはあまり気にしていないだろうが、ミレイとしては喧嘩別れも同然だったのだ、気まずいどころではない。


「行きましょう、ミレイさん」


 そんなミレイの手を、マナミの小さな手が握り締めた。


 大丈夫だよと、声に出さずとも瞳で語るその姿に、ミレイの心も軽くなる。


「ええ、行きましょうか」


 手を繋ぎ、門へと近付く。


 間近で見ると、本当に豪華な屋敷だ。

 アクアレーンの町長も元貴族らしい屋敷ではあったが、これと比べれば見劣りするだろう。


 今でも貴族扱いされることが多いその権勢は、今も変わらないらしい。


「ミレイお嬢様、そしてマナミ様ですね、お待ちしておりました。私がご案内致しまします」


 屋敷に近付いた二人を出迎えたのは、老齢の執事だった。


 懐かしい顔に、ミレイの表情もまた強ばる。


「ええ、よろしく頼むわ」


 執事の案内で屋敷に入ると、マナミがきょろきょろとあちこちを見渡す。


 外観だけでなく、内装まで凝られたその光景は、アクアレーンの時以上にマナミの目には物珍しく映るのだろう。


 可愛らしい仕草に、少しだけ気持ちが軽くなり……そんなミレイに、執事は思わぬ言葉を口にした。


「マナミ様は、一旦こちらの部屋でお待ちください。ミレイお嬢様をまずご案内致しますので」


「待ちなさい、何を企んでるの?」


 マナミを庇うように前に出るミレイだったが、そんな彼女に「落ち着いてください」と執事は淡々と答える。


「まずは奥様の状態を確認したいだろうという、旦那様のお心遣いですよ。奥様も、流石に初対面の者に弱っている姿を見せたくないでしょうから」


「…………」


 一見理屈が通っているようにも見えるが、招待した側が最初から挨拶もなしに客人を待たせるなどあり得ない。


 疑いの眼差しを向けるミレイだったが、そこにマナミが口を挟んだ。


「ミレイさん、行ってあげてください。私なら大丈夫ですから」


「……分かったわ」


 当のマナミに言われては、ミレイとしても否定しづらい。


 手を離したマナミが部屋の中に消えていくのを見送ったミレイは、執事の案内で更に移動する。


 向かった先は、母の私室。記憶にあるのと同じ場所にあったその部屋に足を踏み入れて……大きく溜息を溢した。


「そんなことだろうと思ってたわ。クソ親父」


「父親に対して口が汚いぞ、ミレイ。そのような教育を受けさせた覚えは無い」


 母親がいると思っていたその部屋には、父親のルルードがいた。


 本当に母がいないことを確認するため周囲に目を向けるミレイへと、ルルードは口を開く。


「あいつはいないぞ。今は俺の代わりに政務をしている」


「じゃあ、病気で倒れたっていうのも嘘なわけね。知ってたけど」


「そうでも言わなければ、お前は来なかっただろう?」


「……否定はしないけどね」


 ミレイとしては、母親への愛情がそれほどあるわけではない。

 妹が追い込まれていた時も、何もしなかった……否、ルルードを恐れて何も出来なかった人だ。


 母親への感情を正確に言葉にするならば、そう……同じ立場で、同じように何も出来なかった人物に対する同情だろう。


「それで? こんな真似をしてまで私と何を話そうとしたわけ?」


「そう逸るな、強がっているのが隠しきれていないぞ」


「…………」


 強気の口調は、かつて父親に抱いていた苦手意識を覆い隠すための演技である。


 じっとりと汗をかいた手を拭いながら、ミレイは思わず顔を顰めた。


「何、そう大した話ではない。現在この町を襲っている事件を解決して欲しい。あの娘の力でな」


「何のために? バーランダー家の力なら、マナミの手なんて借りなくても解決出来るはずでしょう?」


「その方が我が家の利益になるからだ、決まっているだろう」


 あっさりと言ってのけるルルードに、ミレイは歯を食い縛る。


 自分の利益のためだけに、早々に解決出来たはずの事件を引き伸ばしたのかと。


 こんな男が、自分の肉親なのかと。


「あなたなんかに、マナミを利用させてたまるもんですか!!」


「ふむ、利用されたくないというが、ならばどうする? あの娘に、この町をそのまま放置して去るという選択肢を取れるとは思えないが」


「なっ……」


 本来自分が守るべき町を人質に取るような発言に、ミレイは絶句する。


 そんなミレイの反応に構わず、ルルードは語り続けた。


「何も責任を全て丸投げしようという話ではない。対価は払うし、町を救った人間として表彰もしよう。そうしてバーランダー家との繋がりをアピールし、長期的にこの町に縛り付けられればベストだな」


「あの子を囲いこんで、自分にとって都合の良いように使い倒そうってことね」


「人聞きが悪いな。正当な長期取引と言って貰いたい」


 口ではそう言っているが、ルルードがこれまで結んできた“長期契約”はいつもロクでもないものだった。


 まだ世間を知らない若者ばかりを狙い、その良心や親切心に付け込むように不利な契約を押し付ける。

 後はそれを盾に限界まで使い潰し、すぐに次の“カモ”を待つというやり口を、ミレイはこれまで何度も目にしているのだ。


 今回も、今まさに苦しんでいる人を救うためだとお題目を掲げることで、断りづらい空気を作り、マナミに何らかの契約を押し付けるつもりだろう。


「……あの子はアクアレーンの義理の娘よ、あなたが勝手に囲い込むなんて出来ないわ」


「それならそれで、むしろ都合が良い。“領主と民間人”ではなく、“領主家同士”の契約として結べるからな。後から無かったことにするのはより難しくなるだろう」


「っ……!!」


 口の上手さでは勝てそうにないと、ミレイは口を閉ざす。

 マナミをこんな男の手駒にしてしまえば、必ず不幸になってしまう。


 どうすればそれを阻止出来るのか、ミレイは必死に頭を回して……ふと、気付いた。


「……あんた、もしマナミがバーランダー家の力を借りずにこの騒動を終わらせたら、どうするつもりなの?」


 ルルードの言い分は、どれもマナミがこの町の危機を救うためにバーランダー家と何らかの契約を結ぶことが前提となっている。


 そこが崩れた時のことは考えているのだろうか? というミレイの疑問に、ルルードは初めて困惑の表情を見せた。


「どうやって終わらせるつもりだ? どんなに優秀な調合師だろうと、素材がなければポーションは作れないだろう?」


 それはそうだと、ミレイも思う。

 この町の流通を牛耳っているのはこの男である以上、この男を通さずしてポーションの素材を持ち込むのは不可能だ。まして町全体を救う規模の素材など、個人で入手するなど出来るはずがない。


 ……普通なら。


「ははは……クソ親父、いくらあんたでも、マナミの非常識さまでは読み切れなかったみたいね」


「何……?」


「私が言うのも変な話だけど……見てなさい、すぐに吠え面かかせてあげるわ」


 そう言って、ミレイは踵を返す。

 最後に一言だけ、揺るがぬ決意を口にして。


「あんたなんかに、マナミは渡さない」

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