第12話 反乱の兆

「起きてください。もう朝ですよぉ」


「くぁ……おはよう」


「はい、おはようございます」


いつものようにシャロに起こされ、全力で伸びをしながら目を覚ました。


 開かれたカーテンからは毎朝浴びるはずの太陽の光が入ってこない。窓に目を向けると、空は鉛色をしており、いつ雨が降ってもおかしくなさそうな空模様だ。


「フリード様が起きたら部屋に来るようにとおっしゃっていました。」


「おお、わかった。一体何の用だ?」


「いえ、詳しくは……」


 思い当たる節はまるで無い。また俺の訓練のことだろうか。何はともあれ行けば分かる。ティアはそれに合わせて朝食を作ってくれているらしく、顔を洗ってひとまず部屋へと向かうことにした。


「で、来たんだが何の話だ?」


 フリードはいつもの室内着を着ておらず、いかにも外に出ますという格好をしている。


「すまないがしばらくここを離れることになった。少なくとも今日1日はかかる用だ。従って、今日の訓練はシルに任せる。いいな」


「ん?何かあったのか?」


「地方でいざこざがあったらしい。普段なら配下に任せるのだが、今回はそうはいかなくなった」


 王の務め、ということだろうか。コイツも大変だな。


「なるほどな……」


「私は殿下と違って厳しくないので安心していいですよ」


「ああ、フリード以上に頼りになりそうだ」


「……ふん。まぁそういうことだ。では行ってくる」


 そう言ってフリードは窓を開けた。


「え、そこ窓―――」


 言いかけた瞬間、フリードの背中から羽が、いや羽を模した魔法だろうか。それが急に生えてきて、瞬く間に出ていってしまった。それがあまりにも速すぎて、俺はしばらくの間空いた口が塞がらなかった。


 そんなフリードの衝撃的な出発を見た後、ティアの朝ごはんを食べ、またいつも通りの勉強だ。


「聞いたか?今日はフリード様がいないんだってな!」


「あ、はい。何でも、どこかでいざこざがあったとかで。」


「まぁ今日1日は帰って来れないだろうしな」


「そうらしいですね」


 ソルヴァもフリードから聞いたのだろうか。ソルヴァはいつものように豪快な笑いをしている。だが、その表情の奥に別の何かが蠢いてるように見えた。


 そんないつもと少し違う様子を感じつつも、俺は目の前のテキストに向き合った。




「よし、今日はこれで終わりだ!」


「ありがとうございました。今日の宿題って……」


「あー、今日はいい。その必要はないからな。」


「そう……ですか?」


 俺の学力が一定の水準に達したということだろうか。客観的に見ても今の俺の学力は十分に成長していると思う。宿題がなくなればその分、魔法に集中できるので願ったり叶ったりだ。


「俺はシルバーのやつに顔を出してから帰るわ。じゃ、またな」


 いつもはもっと話してから帰るのだが、今日はそそくさと出ていってしまった。数十分ほど復習をしてから俺は勉強道具を片付けた。


「昼飯できてるかなぁ」


 時間は少し早いが、まぁ待てば良い。部屋に戻ろう。


 廊下に出ると、辺りは驚くほど静寂に包まれていた。いつもは使用人がいたりして、あちらこちらに人気があるのだが、それがまるで無い。


 不審に思いつつも、廊下を歩いていくと正面からメイド服を着た女の子が2人こちらへと走ってくるのが見えた。


「ご主人様!」

「イスルギ!」


 何やら様子がおかしい。


「2人ともどうした?」


「襲撃だ!屋敷の外に30人くらい吸血鬼が暴れてる!何人かは侵入してきてる!アタシ達も鉢合わせたけど、白髪と黒髪の吸血鬼が助けてくれたんだ!」


「襲撃……吸血鬼の反乱……」


 いつもと違う雰囲気、意味深なソルヴァの言葉、悪いイメージが浮かぶ。


「くそっ、目的はなんだ?」


「まずはシルバー様の所へ行くべきでしょう。彼がこの事態を把握していないとは思えませんし」


「ああそうだな。ひとまずは―――」


 言いかけたところで、廊下の奥から足音が響く。静かな空間をゆっくり、ゆっくりと鳴らしながら誰かが近づいてくる。


「……女?」


 音の方向からは赤毛が目立つ、メイド服を着た若い女性がこちらへ向かって来ていた。


「あのメイド服って2人と一緒のやつか?まさかの新人メイド?」


「いえ、あんな人知らないです……」


 黙々とこちらへ近づいてくるその姿は形容し難い異様さが取り巻いている。


「おい、お前は一体―――」


 俺が話しかけた瞬間、女の手にある短刀が緑に光る。あれは……

 女の一瞬の所作に反応して、俺は咄嗟に左手を横に突き出した。


「なっ」


 風が、風に似た何かが一瞬で通り抜ける。


 直後、腕が宙を舞い、痛みが刻まれる。


「がぁぁぁぁぁ!」


熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い

熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い

熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い



 脳と左腕が灼熱と激痛に支配されて思考を阻む。そう、この感覚はまさしくあの平原の悪夢を思い出させるようだ。


「くっ、あぁぁぁ!」


「ご主人様!大丈夫ですか!!」


 シャロが慌てて回復魔法をかけ、段々と焼け付く痛みが薄れていく。


「ぐ、あぁ、うっ!はぁはぁ、」


 痛みに耐えながらも何とか因子を扱えるように呼吸を整える。


「い、イスルギ……なんで、アタシを……」


「はぁはぁ、馬鹿かっ、助けることに、、理由なんか、、いるかよ、、、それに……」


 あの一瞬、あの光に見覚えが無ければ反応出来なかった。そしたらきっと今頃ティアは……


 いや、今仮定の話はいい、状況を把握しなきゃだ。


「ふぅん、まさか躱されるなんて思わなかったわ」


 女はこちらを値踏みするかのような目で見ながら話しかけてくる。


「お前はっ、誰だ?」


「私はクラリス。ただのクラリスよ」


「クラリスって、まさか……?」


「ティア、知ってるのか?」


「最近噂になってる犯罪者だ。通称『狂人』。行動原理も何もかもが気まぐれで、そんな様子からついた通り名だ」


「ちなみに、強いのか?」


「ああ、何でも貴族が抱えてた傭兵団が丸々一個アイツに潰されたくらいだ」


「何だそれ、おっかねぇな……」


「そんな名前で呼ばないで欲しいわ。私はただのクラリスって毎回言っているのに、周りの人達が勝手に狂人扱いしてきて困っちゃうのよね」


「はっ、このやり取りだけで何となく理由がわかった気がするぜ」


 どうすれば良い。戦ってもきっと勝ち目は無い。この騒動を引き起こしたのもコイツか?さっきの攻撃からすれば、確実に俺達を殺しに来てる。だったら―――


「2人とも逃げろ。」


「えっ」

「なっ」


「正直、守りながらだと戦えない。それにこのままなら全滅だ。だから逃げて、外は……危ないから中でも良い、とにかく逃げて隠れるんだ」


俺が抑えてる間に屋敷の他の奴らがきっとどうにかしてくれる。ならば俺は守ることを優先すべきだ。


「ばっ、馬鹿っ!片腕がないのに、どうやって!それもアタシの……アタシのせいで……」


「誰のせいでもあるか。アイツが悪いに決まってる。それに……ティアに死んで欲しくないよ、俺は。腕のことは気にすんな」


「それ……でも……」


 ティアの目には涙が溢れ、それがボロボロと零れていく。


「何も死にに行くわけじゃない。勝つ気でいくさ」


「アタシ……は……」


 ティアは負い目を感じて、尚も動こうとしない。それならば、


「あーあれだ。じゃあ、もし生き残ったら俺のほっぺにキスしてくれよ。そしたら死んでも死ねないね。」


「……馬鹿っ!」


「それじゃ、早く逃げろ。シャロも、絶対逃げ切れよ!」


「……はい。分かりました。どうかご武運を」


 俺は2人が逃げるのを見届けてから目の前の女と向かい合った。その間、女は攻撃をしてくることもなく、ただ棒立ちしたままこちらを見続けていた。


「律儀に待ってくれるなんて、優しいじゃねぇか」


「私の目的はあなただったから。それ以外はどうでもいいのよね」


「俺が目的だと?」


「安心して、殺しはしないわ。そういう契約だもの」


「くそ、訳わかんねぇな」


 殺しはしないが半殺し程度にはするつもりなのだろう。殺気が俺の体にまとわりついて、こびり付いて、刻まれていく。


「あなた、そんなに震えて戦えるの?」


「馬鹿言え、武者震いに決まってんだろ」


 時間稼ぎは十分だ。刀に雷を纏わせ、構える。片腕がない分、どう立回る?


「じゃ、いくわね」


 そう言った瞬間、俺の目の前から姿を消す。


 どこだ?


「あはっ」


 上から凶刃を携えて襲ってくる。声に反応してギリギリで躱すが、直後に蹴りを入れられる。


「ぐっ」


 衝撃はあったが、何とか耐えて刀を振る。だが、いとも容易く避けられた。


「あなた、弱いのね。これじゃ、殺しちゃいそうだわ」


「ああ、そうだ。俺は弱いぜ。だから手加減してくれねぇか?」


「ふふっ、冗談を」


 再び攻撃を仕掛けてくる。今度は直線を走ってきて、俺の懐に入り込んできた。


「あっぶな!」


「まだよ」


 俺が反応すると瞬時に刃を投げ、それが俺の腹部に突き刺さる。


「!?」


 痛みに喘ぐ間もなく、刺さった刃を掴み、綺麗に引き裂かれた。


「がぁっ!」


 幸い、因子のおかげで耐えられている。だがもう1発喰らったらやばい。


「あら、もう無理そうね。投降すればこれ以上痛めないであげるわ。私は優しいもの」


「アホか、俺は逃げねぇ。そう決めたんだ。それに、まだ俺は勝つ気だぜ?」


 策なんかない。勝てる見込みなんざゼロパーセントだ。ハッタリと虚勢だけで無理やり自分を奮い立たせている。


「あなた、気に入ったわ。もし生き残ることがあれば、きっとあなたを殺して私の物にするわ。私は一途なの」


「何ともまぁ絶望的な愛の告白だな。」


 その愛を形作るかのように女の刃には風が纏われている。そう、さっき俺の腕を斬ったあの風の刃。前にカマキリにやられたものと同じ魔法だ。正直土壇場で避けながら攻撃できるかどうか……


 キラリと刃が光り、風が空を切ってくる。


「くっ!」


 すんでのところで回避するが、その回避先に避けようのない2つ目の攻撃が飛んでくる。


 終わった。そう思って目をつぶったが、目の前には想像と違う光景が広がっていた。


「確認。無事ですか?」


「お前の顔見て安心する日が来るとは思わなかったわ」


「確認。無事ですね」


 俺を守るかのように黒髪の男が、憎たらしい言い回しをしながら現れた。


「状況は理解してるか?」


「把握。おそらくソルヴァ様の犯行と思われます」


 その名前を聞いた途端、何で?という思いとやっぱりかという気持ちが同時に生まれる。


「分担。屋敷の外の敵はレイズに任せ、私は屋敷内を殲滅しています」


「なるほど、だいたいわかった。悪いけど、アイツの相手頼んでいいか?」


「了解。任せて下さい。それで、あなたは?」


「今の話を聞いて俺はやることができた。たぶん俺じゃなきゃ出来ねぇ」


「あら、私が行かせると思うのかしら?」


そう不満をあらわにしながら、風の刃を飛ばしてくるが、それをロイドが素手で弾き飛ばした。


「交代。ここからは私が相手します」


「そういうことだ。俺じゃ力不足だからそいつの方が楽しめると思うぜ。って、お前いつもの剣は?」


「譲渡。レイズに渡してきました。彼の方は戦う相手が多いので、私は素手です」


「なるほどな。ほれっ、俺の使え」


 そう言って、自分が持っている刀をロイドに投げる。


「見ての通り片腕が無くて、俺じゃ上手く使えねぇ。だったらお前がパワーアップした方がいいだろ。その代わりさっさと倒して俺らを助けてくれ」


「了解。すぐに殲滅します」


 こうして、俺の足を斬った男と腕を斬った女の壮絶な戦いが始まった。


「俺は俺のできることを、だ」




▷▶︎▷



 ある場所に立ち寄った後、俺はフリードの部屋に向かっていた。あそこならシルバーがいるはずなのだが、ソルヴァの直前の言葉が脳裏をよぎる。


「たしかシルバーのとこに行くって言ってたよな」


 フリードは言わずもがなだが、もちろんシルバーもありえないほど強い。彼が今、外に出て事態を抑えようとしないはずがない。だが、そんな様子が一向に見られないとすると、ソルヴァが何かしら仕掛けをしているはずだ。


 俺が乗り込んでどうにかなるとは思わないが、時間稼ぎが出来ればそれでいい。


 廊下には顔を潰された吸血鬼の死体が転がっている。たぶんロイドがやったのだろう。おっかない奴だ。でも、頼りになる。


「……ん?」


 走っている途中で、俺の耳が微かな音を拾った。音の出処は俺の部屋の中だ。

 敵だろうか。いや、この感じは……


 思い切ってドアを開けると、シャロとティアが手に持ったホウキやフライパンで殴りかかってきた。


「危ねぇっ!」


 敵かもしれないと警戒していたおかげで、すんでのところでそれを回避した。


「あ、あれ?」


「ご、ご主人様?」


「ああ、俺だ。なんとか逃げきれたぜ」


「い、イスルギ……」


「悪い、お互いの安全を喜びたいとこだが、俺はシルバーに会いに行ってくる。先生…ソルヴァが騒動を起こしたって話だ。それを確かめてくる。2人はここに居てくれ」


「なっ!またそんな!」


「『狂人』の相手はロイドに任せてある。人手が足りねぇ、だから俺が行く」


 ティアが俺を心配してくれるのはよく分かるが、俺が動かない訳にはいかない。


「どうしても……行くんですね……」


 シャロは俺に近づいて、胸に手を当てる。


「どうしても、だ。それにソルヴァの顔面に1発食らわせたいからな」


 裏切っていたことに対する怒りもそうだが、兆候を感じながらも深くは突っ込まなかった自分にも腹が立つ。


「そうですか……………残念です」


「え?」


 瞬間、雷が俺の体に走り、自由を奪う。


「がっ!」


「シャロ!何を―――」


「ごめんなさい、ティア」


「あっ……」


 ティアも同じ雷撃を食らい、その場で意識を失った。


「なん……で」


「本当は『狂人』があなたをソルヴァ様の所へ連れていく手筈だったんですけど、予定が狂いましたね。」


 何を言っているんだ。脳がその言葉の理解するのを拒絶する。


「なにを、言って――」


「その失敗した時の保険にわたくしがいたのですけれどね」


「うら、ぎったの、か?」


「そうです。わたくしがここで働いたのも、ソルヴァ様が教師として雇われたことも全てが計画の内です。これからあなたを連れていきます」


「それ、なら。あの、毎日は、、一緒にいた時間はっ、、全部、嘘、、だったのか?」


「……嘘でしたよ。わたくしの役目はあなたを見張る事でしたので、ああすれば都合が良かったんですよ」


「……なっ!」


 絶望と悲しみが頭を蹂躙するのが分かる。そんなはずがない、否定してほしい。

なのに、それなのに……


「ここに来てからのわたくしは全てが嘘。仮初の自分を演じていたに過ぎません」


 その言葉に希望の全てが打ち砕かれる。


 でも、


「だったら……だったらなんで―――」


「もう、おやすみなさい」



 ――そんな表情してるんだよ。



 3回目の雷鳴に俺は意識を刈り取られ、少女の頬を伝うその雫の意味を聞くことは出来なかった。

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