54場 ファンとの遭遇
興奮するエレンを必死に宥め、ようやく椅子に座らせて話を聞いたところ、エレンは本当にメルディのファンだった。それも筋金入りの。
ファンになったきっかけは、「着るだけでマッチョになれる鎧」に感銘を受けたからだそうだが、そこから過去に遡り、今までの作品を全て一覧にしてまとめているのだそうだ。
その上、メルディが初めて世に送り出した作品――の試作品である、子供の頃のグレイグにプレゼントしたセレネス鋼のブローチを、必死にバイトしたお金で買い取り、常に身につけているという。
「ほら、これです! すごいですよね、この繊細な薔薇の意匠。とても十歳の子供が作ったものとは思えませんよ!」
街では気づかなかったが、ローブの下のサマーベストの胸元には、確かにメルディの屋号紋が刻まれたブローチが光っていた。
知らないうちに弟は商売を覚えたようである。こめかみでピキッと青筋が立つ音がした。
「あいつ……。人のプレゼントでお小遣い稼ぎして……」
「あっ、グレイグを怒らないでください。ボクが無理言って売ってもらったんです」
健気にグレイグを庇うエレンにため息をつく。
「あのさ、エレン君。グレイグになんて言われたのか知らないけど、それ、実は試作品なのよ。お金出して買うものじゃないんだからね?」
お金を返して改めて新品を作ると言うと、エレンは「試作品なんて、もっと価値があるじゃないですか!」と叫んだ。気持ちは嬉しいが、愛が重い。
「メルディ・ジャーノの数少ない初期作品を持ってるなんて、弟のグレイグが羨ましいと思ってたんですけど、まさかお会いできるなんて……! ああ、本当に夢みたいです! この手は一生洗いません!」
「いや、洗って? お願いだから」
握手した右手を抱きしめるエレンに、眉を下げる。初めて会ったときは大人しい子だと思ったのに、とんだ思い違いだった。
とはいえ、初めて顔を合わせるファンだ。こんな機会は二度とないかもしれない。サービス精神がむくむくと顔を出す。
「その……。他にもしてほしいことある? 弟が迷惑かけたお詫びというか……」
「えっ、じゃあ、サイン! サインも頂いていいですか? さっき買ったばかりのノートが……」
テーブルの上をひっくり返し、真新しいノートを探し当てる。ただ、表紙には足跡がついてしまっている。街で船乗りとぶつかって落としたやつだろう。これを買うために街に出ていたらしい。
エレンはノートを捲ると、羽ペンにインクを含ませ、おもむろに紙面の上に垂らした。白一色だったページに、歪な黒いシミができる。
「新しいノートなのに、インクで汚しちゃうの?」
「学校に伝わるおまじないなんです。ノートが真っ黒になるまで、勉強が捗りますようにって」
ふうふうとノートに息を吹きかけてインクを乾かしたエレンが、羽ペンをメルディに渡す。
工房に入って九年。ファンにサインするなんて初めてだ。こんなことなら、レイに綺麗な字の書き方を習っておけばよかった。
内心の緊張を隠してサインしたノートを返すと、エレンは感極まったように目を潤ませた。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです! 一生の宝物にします!」
「こちらこそ、ありがとうね。あの鎧をそんなに気に入ってくれて嬉しいよ」
「それはもう! あの鎧のおかげで、貧弱なボクにも少しずつ筋肉がついてきたんです!」
なんと言えばいいのかわからない。思わず喉を詰まらせたメルディに、エレンが言葉を続ける。
「おかしいって思いますよね。デュラハンなのに、鎧を着られないなんて」
「そんなこと……」
「いいんです。今まで散々言われてきたことだし、ボク自身もそう思ってるから」
ノートに目を落とし、エレンが肩を揺らす。自嘲じみた笑みだった。
「ボク、生まれつき体が小さいんです。そのせいか魔力も弱くて、デュラハンなのにロクに魔法も使えない。実技の成績はいつも底辺。グレイグがサポートしてくれなかったら、きっと、とっくに退学になってると思います」
魔力の強さは遺伝によるが、本人の資質によるところが大きい。たとえ両親がデュラハンだとしても、属性を持てず、仕方なく鎧兜を諦めてカツラを被るデュラハンも稀にいる。エレンはその稀なケースのようだった。
ふいに大きくなった蝉時雨の中、窓から差し込む夕日が研究室の床に二つの影を作る。一つはメルディ。もう一つはメルディと大して変わらない細長い影。
現実はいつだって残酷だ。どんなに願っても、それはとてもデュラハンには見えなかった。
「この学科を選んだのは、ドニ先生が声をかけてくれたからなんです。魔技術学科なら、魔力の強さは関係ないって……。でも、先生の手伝いも満足に出来てない。ボクは誰の役にも立てない、ダメなやつなんです」
「それは違うよ、エレン君」
今度はしっかりと声が出た。断固とした口調に、エレンがはっと顔を上げる。その瞳は悲しみと困惑に揺らいでいる。彼の目に、今のメルディはどう映っているのだろう。
「誰の役にも立たない人なんていない。少なくとも、私の力にはなったよ。さっきのエレン君の言葉は、私の炉の炎を燃え上がらせてくれたもの」
エレンの望んでいる言葉ではないかもしれないが、少しでも気持ちを伝えたくて、ノートを握る手に触れる。
グレイグよりも、レイよりも小さな手。それでも、いずれはメルディよりも大きくなるはずだ。
「私はものを作れるけど、どう頑張ってもこの魔法学校には入れない。エレン君には今まで身につけた知識があるじゃない。誰かの役に立つっていうのは、何も魔力や腕力だけじゃないよ。そんなに自分を卑下しないで。君にしか出来ないことが、きっとあるはずだから」
エレンは何も言わなかったが、小さく頷くと、ずずっと鼻を啜った。
「ごめんなさい。つまらない話をして。せっかく憧れの人と会えたのに、ボクったら」
「やだなあ。そんなに持ち上げないでよ。舞い上がって、金槌を振るう腕がブレちゃうから」
「そ、それは困ります! メルディさんにはもっと素敵な作品を生み出してもらわないと……!」
一瞬の間を置いて、どちらともなく吹き出した。研究室の中に、けらけらと笑い声が響く。
その声を聞きつけたのか、鎧が擦れ合う特徴的な足音が近づいてきて、開いたままのドアからグレイグが顔を出した。
「あー、お姉ちゃん、こんなところにいた。みんな探してるよ? 迷子になったら鈴を鳴らしてって言ったじゃん」
「迷子になったって言うか……」
「ちっとも戻って来ないんだから、迷子じゃん。さしずめ、一番路から順番に見て回る途中で、何かに気を取られちゃったんでしょ」
「気を取られたと言うか……」
もごもごと言い淀むメルディに首を傾げたグレイグが、隣に座るエレンに視線を向ける。
「エレンが保護してくれたんだよね? うちの姉がごめんねー」
「保護したって言うか……」
今度はエレンが言い淀む。もし眉があったらハの字に下がっているだろう。
その様子を見て、また笑いが込み上げてきた。レイを取られてどうなるかと思ったが、ファンにも出会えたし、なかなか楽しい新婚旅行になりそうだ。
「ねえ、エレン君。私、しばらく魔法学校に滞在するんだ。よかったら、またお話ししようよ」
「は、はい! ぜひ!」
飛び上がるように立ち上がったエレンの胸元には、メルディがサインしたノートがしっかりと握られていた。
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