52場 魔法学校の洗礼
グレイグを見送り、校内を探検する。
魔法学校の敷地は、大きく三つに分かれている。講堂や実験棟などの主要な施設が集まった本校舎。その裏手に広がる庭や森。そして、飛地にある新校舎だ。
メルディは今、宿泊所から玄関ホールに続く廊下をひたすら歩いているところだった。とりあえず一番路から順番に見て回ろうと思ったからだ。
もらったパンフレットによると、本校舎は扇を広げた形をしていて、玄関ホールを起点として伸びる大廊下から細かな脇道がいくつも張り巡らされている。
二番路、三番路、五番路はさっきグレイグの説明を聞いたからなんとなくわかる。一番路の先は講堂や研究室、四番路の先には訓練所、六番路の先には職員室や職員寮があるようだ。
庭には鐘楼や厩舎、魔物の飼育小屋まである。本当に見どころ満載である。
「うーん、廊下の先が見えない。来たとき、こんなんだったっけ? 結構歩いてるはずなんだけどなあ」
宿泊所の部屋を出て少し歩いた先で、サイケデリックな色合いの蝶を目撃して以降、同じところをぐるぐる回っている気がする。
どれだけ歩いても首から下げた鈴は鳴らない。赤い組紐にはライス粒よりも小さな魔語がびっしりと書かれていて、何やら高度な魔法紋を組んでいるのだとわかる。きっと鈴の中には、魔石が入っているに違いない。
「あの、外部の方ですか?」
背後からかかった声に、びくっと体が飛び上がった。振り向くと、くすんだ金髪と緑色の目を持つ、整った顔の青年がメルディを見下ろしていた。
一見するとエルフだが、耳が丸いのでヒト種だろう。ラスタ国王みたいに、外見の特徴だけを受け継いだのだ。
青年の後ろには、白いローブに身を包んだ超絶美形な二十代ぐらいの男性が、穏やかな微笑みを浮かべて立っている。
こちらは耳が尖っているのでエルフだ。後ろで一つにまとめた髪も見事な金色で、目はレイのような翡翠色の瞳だった。
「あの……?」
「あっ、ご、ごめんなさい。私、ゲオルグ・グレイグ・リヒトシュタインの姉、メルディです。夫のレイ・アグニスと今日からお世話になってるんですが、迷ってしまったみたいで……」
不審者だと思われてはたまらない。家族証を見せながら必死に説明すると、青年は目を丸くした。
「あのレイ・アグニスの奥さま? あなたが?」
それはどういう意味だろうか。似つかわしくないとでも言いたいのか。
ちょっと捻くれた考えを抱いたことに気づいたのか、青年は「ごめんなさい」と謝ると、メルディの持つパンフレットを受け取り、丁寧に説明してくれた。
「ここは六番路の奥の方ですよ。方向も逆ですね。このまま行くと、職員室に着きます」
「えっ、六番路? まっすぐ歩いてたつもりなのに、なんでだろう」
「途中で何かおかしなものに遭遇しませんでしたか? もしくは、何か魔法紋らしきものを見たとか」
蝶を見たことを話すと、青年は眉を下げた。
「それ、
「……弟から、危険な魔物はいないって聞いてたんですけど」
「危険ではないですよ。初級の闇魔法一発で倒せるので」
素人と玄人では危険の度合いが違う。あとでグレイグに文句言ってやる。
「玄関ホールは、僕たちが来た先にまっすぐ向かってください。脇道には絶対に入らないでくださいね。たまに悪戯好きの生徒が何か仕込んでるんですよ」
「ひえ……。気をつけます。ご親切にありがとうございます」
深々と頭を下げると、青年は嫌味のない朗らかな顔で笑った。イケメンの笑顔の破壊力はすごい。
「ところで、旦那さまはどこに……」
「ニール」
青年の言葉に被せるように、背後に控えていたエルフが口を開いた。ニールは青年の名前らしい。
ニールはエルフに「すみません」と呟くように言うと、メルディに会釈して、六番路の奥へと去っていった。
所属を聞くのを忘れたと気づいたのはその直後だ。エルフはともかく、ニールは生徒のようだし、グレイグかミルディアが知っているだろう。食事のときにでも聞いてみよう。
「まさか魔物に迷わされてるなんてね。いい人に会えてよかったわ。でも、エルフの人の目……なんか嫌な感じだったな」
去り際にメルディを一瞥した目は、港で屋台を開いていた店主たちの目よりも、もっと冷たい光を帯びているように感じた。
……まあ、見知らぬ人間に警戒するのは当然だし、これ以上考えるのはよそう。
気を取り直して玄関ホールに向かう。今度は蝶にも遭遇せず、すんなりと辿り着けた。あれだけ歩いたのは、一体なんだったのか。
玄関ホールには数人の生徒が歩いているだけで、時折どこからか爆発音らしきものが聞こえる以外は静かなものだった。
「この柱時計、来たときから気になってたのよね……」
吸い寄せられるように、玄関正面の壁際にひっそりと佇む柱時計に近寄る。
オーク材で作られた焦茶色の表面は、今までの歴史を示すように艶やかな光沢を帯びている。上部には丸い文字盤、下部の長方形のガラスの中には真鍮の振り子が下がっている。柱時計としては典型的なタイプだ。
長い時の中ですでに役割を終えてしまったようだが、文字盤の数字は魔語ではなく、大陸の人間なら誰でも読める公用語が使われていた。
気になるのは、これだけの大きさの割に床にも壁にも固定されていないことだ。魔法で留めているのだろうか。できれば仕組みを知りたい。
「デュラハンの定着魔法の応用? でも、あれは属性魔法じゃなくて生命魔法だし……。それらしい魔法紋もないのよね……」
舐めるように柱時計を確認する。もしかしたら壁か床に同色の魔法紋を書いているのかもしれないが、父親のアルティと違ってあまり色彩センスがないメルディにはわからなかった。
「それにしても見事な意匠ねえ。これを作った職人はさぞかし腕が良かったんでしょうね。魔法学校の創立当時からあるとしたら八百年前……。もしエルフだとしても、もう引退してるだろうなあ」
「……い……」
「この振り子も綺麗な円形……。今みたいな魔機もないのに、どうやって作ったのかしら。いいなあ。私もこんなの作ってみたい」
「……おい……」
「首都に戻ったら、時計職人の工房に行ってみようかなあ。防具職人なのに色んなものに手を出しすぎって言われるかな?」
「おい! 嬢ちゃん!」
真横から聞こえた声に、はっと我に返る。
最初に目に入ったのは、絵本に出てくる魔法使いが被っていそうな灰色のとんがり帽子だった。帽子と同じ灰色のローブの下のシャツはよれよれで、胸元のボタンが二つばかり無くなっている。
ヒト種よりもずんぐりとした体型に、顔の下半分を覆うもじゃもじゃの髭はドワーフの証だ。白髪が混じっているのでフランシスよりも年上そうだが、乱れた服装のせいか随分と粗野な印象を抱かせた。まるで職人街に屯っている職人たちみたいな。
いつの間に近寄ってきたんだろう。
ホールを見渡すと、ちらほらいたはずの生徒の姿は一人も見えなくなっていた。没頭すると周りが見えなくなるのはメルディの悪い癖である。
「やけに熱心じゃねぇか、嬢ちゃん! もしや、あんた職人だな? なら、そんな柱時計よりも、もっと面白ぇもんを見せてやるよ!」
「えっ、ちょ、ちょっとー!」
ドワーフの腕力で両腕をがっしり掴まれてしまっては、振り払うことも、鈴を鳴らすことも出来やしない。
内心パニックになりながら、為す術もなくついて行くしかなかった。
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