50場 おいでませ魔法学校

 そびえ立つ巨大な門に、メルディは開いた口が塞がらなかった。


 等間隔に鋲が打たれ、セレネス鋼で補強された黒檀の扉。その両端の石柱の上には、今にも動き出しそうな飛竜の石像が飾られ、鋭い眼差しでメルディを睨め付けている。


 扉の上、手が届かないほど高い位置に掲げられているのは、『シエラ・シエル魔法学校』と刻まれたプレートだ。こちらは真鍮製で、太陽の光を反射して金色に輝いている。


 そして何より、外壁を構成する赤煉瓦は、積み重なった地層の如く高さによって色が変わり、王城もかくやと思えるほど重厚に見えた。


「でっか……」

「この辺り一帯の土地は、全て魔法学校の敷地だからねえ。ここからは見えないけど、裏には森もあるし、小川もある。今は飛地に新設された校舎もあるらしいし、端から端までじっくり見て回ろうと思ったら、一日じゃ足りないだろうね」


 話には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。さすが最難関の魔法学校。歴史も規模も段違いだ。


「お姉ちゃんたち、お待たせー。来校手続き終わったよ」


 門の隣に設置された守衛室から、グレイグが戻ってくる。


 はい、と手渡されたのは、『家族証』『メルディ・ジャーノ・アグニス』と記された手のひらサイズのカードだった。レイの方には『レイ・アグニス』と記されている。


 裏にはびっしりと魔法紋が書かれ、隅には小指の先ほどの小さな黄色い魔石が嵌っていた。色が薄いので、おそらく光の魔石だろう。


 カードの裏をしげしげと見ていたレイが、「へえ」と興味深そうに呟く。


「今はこうなってるんだ。魔法紋を書いたのはミルディア先生?」

「そうそう。レイさんのときはなかったんだよね?」

「スライムを利用した人工魔石は、まだ開発されてなかったからね。僕のときは土人形ゴーレムの警備員だけだったから、出入りは結構ザルだったよ」


 土人形は土魔法で作られた動く人形だ。魔生物のロビンみたいに意思はなく、術者の命令通りにしか動けないが、単純作業にはもってこいなので、建築現場の人足や野営中の見張りとして使われていたりする。


「ちょっとー。私は魔法に明るくないんだからね。このカードって一体なんなの? ちゃんと説明してよ、グレイグ」


 メルディを置いてきぼりにして盛り上がる二人に唇を尖らせる。

 

「説明するも何も、生徒の家族だって証明するカードだよ。魔法学校の中で鍵のかかった扉を開くにはこれが必要なんだ。試しに開けてみなよ」


 グレイグに促され、改めて門に近づく。真鍮製のずっしりしたドアノッカーの横には、カードと同じ小さな魔石がついた正方形の石板が掛かっていた。そこにも魔法紋がびっしりと刻まれている。


「そこの石板にカード当てて。一秒ぐらい」


 言われた通りにした途端、ごごご、と地響きがして、とてもメルディの力では開けられなさそうな分厚い扉が内側にゆっくりと開いた。


「びっくりした? これが魔法学校名物の自動扉だよ、お姉ちゃん」


 声も出ないメルディを置いて、グレイグが中に入っていく。口元に笑みをたたえたレイに優しく背中を押され、ようやく我に返った。


 一面に敷き詰められた、濃紺と白の市松模様のタイルの上に足を踏み出す。


 玄関ホールは高い高い吹き抜けになっていた。


 校舎は四階建てのようだ。階層ごとに扉と回廊はあるものの、何故か上階へと続く階段はない。


 首が痛くなるほど顔を上げた先の、天窓のステンドグラスの辺りには、光魔法の明かりがちらちらと漂っている。


 差し込む日光に含まれる光の魔素を、そのまま魔力に変換して明かりを生む魔法紋を書いてあるのだろう。漂っている明かりは、ある程度の大きさに成長すると、まるで暗がりを探すかのように周囲に散っていった。


「全自動の明かりってこと? すご……」

「何しろ広いから、窓がいくらあっても薄暗いんだ。だから、ああして魔法を使ってるんだよ。夜はさすがに魔石灯を点けるけどね」

 

 グレイグの説明に感嘆の息をつき、視線を周囲に巡らせる。


 正面の突き当たりには、グレイグの身長を遥かに超す大きさの柱時計があり、左右には廊下が三本ずつ対称的に伸びている。


 廊下の起点の壁には、それぞれ『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』『Ⅳ』『Ⅴ』『Ⅵ』と魔語で書かれたプレートが掛かっていた。


「時計を正面として、左から順番に一番、二番路って言うんだ。学生寮は二番路、食堂や浴場は三番路、お姉ちゃんたちの宿泊所は五番路の先だよ。覚えといてね」

「え、ちょっと待って、待って。もう一度教えて……」

「僕がいるから大丈夫だよ、メルディ」

 

 レイが笑ったと同時に、六番路の奥の方から甲高い鳴き声が聞こえた。次いで、見事な青い羽毛に包まれた二羽の鳥がメルディ目掛けて飛んでくる。


 その見た目通り、青色魔鳥ブルーバードという希少種の魔物だ。風魔法に長けていて、鳴き声で遠く離れた仲間と交信できる上、エルフ並みの長寿だと言う。


「フィー! アズロ!」


 二羽の青い鳥は、三人の周りをくるくると回るように飛ぶと、メルディの両肩に舞い降りて嘴を頬に寄せた。歓迎のキスだ。


「いらっしゃい、二人とも。来てくれて嬉しいわ」


 続いて現れたのは美しいエルフの女性だった。


 白いブラウスと、ベージュのタイトスカートの上に鮮やかなコバルトブルーのローブを羽織り、腰まで伸ばしたプラチナブロンドが光魔法の明かりに照らされてきらきらと光っている。


 何年経っても変わらない穏やかな微笑み。知的な青色の瞳。レイの元担任で、グレイグの現担任。そして、フィーとアズロの飼い主でもある、ミルディア・ロペスだ。


 最後に会ったのは数年前――グレイグが魔法学校に入学すると決めた頃だっただろうか。手紙のやり取りはしていたといえど、実際に姿を見ると元気そうで安心する。


「ミルディアさん、お久しぶりです!」

「お久しぶりです、ミルディア先生」


 メルディの横に並んで頭を下げるレイに、ミルディアが笑う。

 

「やだわ、レイったら畏まって。結婚式に行けなくてごめんなさいね。校長先生が引退するなんて言うものだから、どうしても有休取れなくて……」


 笑顔の裏に滲む怒りに、慌てて「お祝いのお手紙頂いたので! 大丈夫です!」と声を上げる。

 

「パパとママもミルディアさんによろしくと言ってました。これ、つまらないものですが……」


 グレイグの闇から取り出した紙袋を粛々と差し出す。首都で買ったお土産だ。たとえ昔からの知り合いでも、礼儀は必要である。


 ミルディアは「あら、まあ。気を遣わなくていいのに」と目を丸くしつつ、喜んで紙袋を受け取ってくれた。

 

「改めて、結婚おめでとう。教授選でちょっとバタバタしているけど、夏休みで生徒はほとんどいないから、気楽に過ごしてね」


 魔法学校は夏に二ヶ月、冬に二週間程度の休みがある。大抵の生徒は、長期休みに入ると一斉に帰省する。


 今、魔法学校に残っているのは、グレイグのように教師の手伝いをする生徒や、補講や実験がある生徒。そして、様々な事情で実家に帰りづらい生徒だけだという。


「その、教授選って、どんなことをするんですか?」

「大学院の入学試験と変わらないわよ? 論文に筆記、そして実技。最後に面接ね」


 魔法学校の教師であれば誰でも立候補でき、『何故、校長になりたいか』『校長として、どう学校を運営していきたいか』などの志望理由と、『今までどんな研究をしてきたのか』『これからどんな研究をするか』を論文に記し、合格点を取れば筆記試験に進める。


 そして、筆記試験をクリアすると校長から実技課題を与えられ、その答えを持って面接に挑み、最も相応しいと判断されたものが次期校長に指名されるのだそうだ。


 棄権はいつでも可。ミルディアは校長の椅子に興味がなく、最初から不参加のため、教授選の実行委員長に任命されてしまったらしい。


「論文の採点は終わったから、次は筆記試験なの。グレイグには申し訳ないことをしたわ。ただでさえ論文で忙しいのに」

「いいですよ。ミルディアさんにはお世話になってますから。愚弟でよければ、いくらでも好きに使ってやってください」

「やめてよ、お姉ちゃん。ミルディア先生が本気にしちゃうでしょ。容赦ないんだから」

「諦めな、グレイグ。百二十年前もそうだったよ」


 玄関ホールに笑い声が響いたそのとき、ミルディアのローブから耳障りなノイズが走った。ポケットから取り出したのは小型の通信機だ。歓談を邪魔されたミルディアが渋い顔をする。


「他の委員や業者と連携を取るのに持たされているのよ。どこでも連絡がつくのも良し悪しよね。今までは、校内放送でしか呼ばれなかったのに」

 

 メルディたちから少し離れ、ミルディアが通信機を耳に当てる。そのまま何事かを話していたが、さっと顔色が変わった。


「えっ、ラルク先生が?」

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